2024.01.17



鏡花全集 目次総覧

第五次小林秀雄全集 人名索引

荷風全集  目次総覧

太宰治全集  目次(1956年版)




鏡花全集 目次総覧


『鏡花全集』全28巻・別巻1巻(岩波書店、1940.3~1976.3)
※当初全28巻で刊行。その後、1974年から76年にかけて第2刷を刊行した際、新資料と書誌からなる別巻を刊行し、全28巻別巻1巻となった。








第五次 小林秀雄全集 人名索引(50音順)






 平成13年(2001)4月にスタートする「第五次小林秀雄全集」は、平成14年(2002)7月に完結します。そのあと、ただちに「第六次小林秀雄全集」となる「新注小林秀雄全集」が始まります。第五次全集は、全作品が旧字体・旧かなづかい、堅牢・重厚の菊版で、どちらかといえば永久保存の愛蔵版です。これに対して第六次の全集は、全作品が新字体・新かなづかい、本造りもハンディな四六判で、日常愛読用の普及版です。(小林秀雄善作品のこと)
 しかも、第六次全集では全作品に脚注がつきます。この脚注は、本文に見える作家名や作品名、文芸用語・哲学用語などを必要最小限に解説し、よりなめらかに小林秀雄の文章を読み進めるための一助とするものです。
 全体の構成は、第五次全集とぴったり対応しています。ただし、「いつでもどこでも読める全集」をめざして、第六次の全集は第五次全集の一巻分を、それぞれ二冊に分けます。そのため第六次全集は、全二十八巻/別巻四となります。
 詳しくは追って、別途の内容見本でお知らせします。
第五次小林秀雄全集

第一巻  様々なる意匠・ランボオ  上巻・下巻
第二巻  Xへの手紙        上巻・下巻
第三巻  私小説論         上巻・下巻
第四巻  作家の顔         上巻・下巻
第五巻  文芸批評の行方      上巻・下巻
第六巻  ドストエフスキイの生活  上巻・下巻
第七巻  歴史と文学・無常という事 上巻・下巻
第八巻  モオツァルト       上巻・下巻
第九巻  私の人生観        上巻・下巻
第十巻  ゴッホの手紙       上巻・下巻
第十一巻 近代絵画         上巻・下巻
第十二巻 考えるヒント       上巻・下巻
第十三巻 人間の建設        上巻・下巻
第十四巻 本居宣長         上巻・下巻
別巻I   感想           上巻・下巻
別巻II  無私を得る道       上巻・下巻








  鏡花の死其他

           
                         昭和14年

             1

 泉鏡花氏が逝去された。謹んで哀悼の意を表する。「縷紅新草(るこうしんそう)」(「中央公論」七月号)が、遂に最後の作品となったわけだが、あれにも蜻蛉(とんぼ)のお化けが二匹、女のお化けが二人出て来ていた。「高野聖」の昔から、この作家は、倦きずにお化けばかりを描いて来た。近頃お化けも流行らない、従って鏡花も一向に流行らない大家として逝去された。と言えば冗談口めいて聞えるかも知れないが、流行る流行らないの原因などは、先ずそんな処に在るより他はないもので、実際の処、流行の方がそもそも半ば冗談事に過ぎないのである。
 流行などという平俗な言葉を使うのが嫌な人が、時代意識がどうの、歴史がどうの、歴史の必然がどうのと言ってみても、言葉というものは、人の口の端に上り始めれば、見る間に平俗化してしまうどう仕様もない強い傾向を持っているから、折角の新解釈も、忽ち元の木阿弥で、根本の物の考え方には一向進歩の跡も見られぬ。ヒュウマニズムの流行もパーマネント・ウエーヴの流行と同じ性質のものだぐらいの常識を備えていないと、現代に処する事は難かしいのである。



泉鏡花   小説家。明治六年(一八七三) 石川県生れ。独自の浪漫的・幻想的境地
を開いた。作品に「高野聖」 「歌行灯」 など。昭和一四年(一九三九)九月七日没。
享年六五。


高野聖    泉鏡花が明治三三年に発表した小説。僧宗朝が、若い頃の飛騨山中での
不思議な体験を語る。


ヒュウマニズム   二〇〇頁参照。




 先日、読みそこねた「縷紅新草」を、町の人気のない図書館で読んでいると、いろいろな事が、次々に考えられた。僕は、所謂鏡花の世界という様なものには、凡そ縁が遠い人間だと思っているのだが、僕より若い人達は言う迄もないとして、僕の年頃の人達では、鏡花の作品は沢山読んでいる方だと思う。読む都度、どんな興味が自分を捉えたのかを反省すると、結局それは、この作者の、言葉というものを扱う比類のない手腕に捉(つかま)ったというより他はない様である。
 うまい作家と言われる人は多い。又、うまいと言っても、うまくなればなる程、我慢のならぬ様な種類の人もあるし、まずそうでうまいという様なひねくれた人もあるし、いろいろな段階がある様だ。と言うより、寧ろ作家が自らそういう階段を作ってみては、上ってみたり下りてみたりしている、と言った方がいいかも知れない。うまくなろうとしたり、自分のうまさに不安を感じたりしているわけで、才能の錬磨が、才能の玩弄に落ちない事は、先ず稀有だと言っていい。
 鏡花のうまさという様なものになると、うまさの階段を驀地に登り詰めて、もうその先きがないと言った様なもので、彼がうまいのか、うまさが彼なのかよく解らない。こういう作家には、化かされなくても、少しも自慢にならないから、化かされている方がいいに極っている。


驀地に(ばくちに)   まっしぐらに。


 鏡花の世界は、音を省いた詩の世界であって、言ってみれば、現実の素材という様なものがない。登場人物が如実に描けているか、いないかという様な事は、登場するお化けの如実さを云々する程の意味もない。まして、相も変らぬ陳腐な型で、芸者は伝法であり、肴屋は江戸ッ子であっても、作者の建前から言うと、一向差支えない。蜻蛉のお化けさえ出そうという人に、肴屋の型の新旧など、問う処ではないわけである。


伝法   勇ましいさま。特に女性が勝気にふるまうさまをいう。



 所謂鏡花の世界は、現代小説家の世界から、非常に遠い処にある様に見える。つまり、現代小説家は、いろいろな点で、所謂鏡花の世界を逃れようとし、又逃れ得てはいるだろうが、鏡花の魂からは逃れられるものだろうかどうか。何故かというと、鏡花という人は、凡そ作家というものに関する、恐らく一番根本の或は一番難解な問題に於いて、凡そ徹底しているからだ。
 そう言えば、何もこの人だけに限るまいと言うかも知れないが、この作家では、問題が非常に純粋な形で現れているのだ。視野の狭さ、頑固さ、或は感受性のある傾向、いずれ、いろいろな条件の、ある幸運な出会いの結果であろうが、兎も角、小説家と言われる人々の間では勿論、詩人にも稀有な、純粋な形で現れている。
 読者は、既に僕の言い度いところを、推察したであろうが、文章の力というものに関する信仰が殆ど完全であるところが、泉鏡花氏の最大の特色を成す。文章は、この作家の唯一の神であった、と言っても過言ではないので、これに比べると、殆ど凡ての現代作家達が、信心家とは言えない。多くの神、多くの偶像の間を、彷復している。
 泉氏は、言葉の世界のなかに、完全に閉じ寵った。事実はそこに這入って行けない。社会の諸々の事実や事件も、作者自身の瑣事さえも、実際世界で得ていた命を捨てて、美しい言葉として、全く生れ変らない限り、作者の世界には這入って行けない。作者の信じたものは、言葉の影像の絶対の価値だけであり、それらの諸価値の間に、作者が捕え得たと信ずる或る必然関係だけであって、そこに編み出される言葉の建物は、作者には殆ど不朽のものと思われた。「縷紅新草」は、現代の世相に関係がないどころか、作者自身の生活にさえ関係がない。作者の白髪も見えなければ、皺もない。老成人の風格という様な曖昧なものさえない。この作者が信じた世界の変らぬ青春から見れば、浮世の苦労の染みた文章の風格という様なものは、人間の果敢なさの最後の仮面と言った様なものと映らぬとも限らぬ。それほど鏡花の世界は、嘘ばかりから出来た真である。
 所謂浪漫派の典型と言うかも知れないが、そうばかりでは片付かない難問もある。例えば鏡花の流儀は、現代のリアリストが無邪気に考える程、果して風変りなものだろうか、架空な仕事であろうか。鏡花は、嘘から出る真だけを信じた。言わば無から形あるものを創る仕事だけを信じた。盲信したと言ってもいいだろう。いずれ信仰には常に明証が欠けているし、美学は、そういう事柄に閲し、失敗を繰返す他何にもしない。併し、畢竟そういう仕事より他に、一般に芸術家というものの悦びがあるのだろうか。どんなに明敏な分析力を持った芸術家でも、心底にこの盲信を蔵している。分析が其処までとどかぬ、という様な筋のものではなく、進んで信じなければ、埒のあかぬものを蔵する。これが芸術に於いて、その原始の性質を持続させるものであり、芸術に於ける人間的な性質も、其処にあるのかも知れぬ。




浪漫派   一八世紀末から一九世紀初頭にかけて、ヨーロッパで展開された文学・芸術上の思潮・運動動。古典主義・合理主義に反抗し、自然・感情・空想・個性・自由の価値を主張する。日本では、他に北村透谷、初期の島崎藤村、与謝野鉄幹・晶子、薄田泣菫など。


畢竟  つまるところ、結局。




 在るが儘の真では足らず、嘘から真を創り出そうという欲望ほど、人間の刻印の確かなものもあるまいから。これに比べると、現代小説家の言う人間的という言葉などは、案外、動物的な性質以外のものを指していないかも知れない。
 又、こんな風にも考える。鏡花は、自分の裡から出て来る言葉しか信じなかった。そして、そういう言葉が、やがて、出来るだけ明瞭な特殊な形となって完了しようとする傾向がある以上、その筋道に関して、出来るだけの工夫と監視とを怠るまいとした。この仕事が氏の全精神を充たし、そこにどんな波乱が起っていようと、外から見た処、単純極まる生涯を終えた。これは浪漫派作家の典型だろうか。それとも凡そ作家というものの典型だろうか。
 僕は、寧ろここにも、芸術家というものの、非常に原始的な性質を見る様に思う。子供は、万人の言葉より自分の言葉の方が理解し易い事を疑わないであろう。誰にでも当て畝まる言葉、つまり誰のでもない言葉の方が、自分の独自より理解しやすいと考える為には、教育による第二の天性を必要とするだろう。若しそういう子供の理解力の生ま生ましさを失わずにさえいれば、自分の言葉の確実さに比べれば、万人の言葉は皆疑わしいと断言する成熟人も可能なわけだ。童心の喪失が、人間をイデオロジストにするのかも知れない。
 実証的事実というものが、万人の言葉で代置出来る事実というもの以外のものを指さない以上、自分の言葉が一番信じ易い作家にとって、これは、多かれ少かれ、疑わしいものたる事を免れまい。



イデオロジスト    ideologist(英) 特定の社会的観念の捉唱者。また、特定集団の掲げる主義主張を疑いもせず受け入れて主張する人。



してみれば、実証的事実の検討によって、社会なり自然なりの本質を極めようとする仕事も、自分の裡に閉じ籠り、その表現作用に工夫を廻らす仕事に比べれば、何処まで歩けば安心がいくというのか、一向不確かな仕事に過ぎまい。
 こういう流儀は、芸術家とともに古く、又芸術家とともに日に新しいと考えざるを得ない。これは僕には明瞭な事の様に思われる。少くとも、現代小説家の言う客観的などという言葉のわけの解らなさに比べれば。




     2




 現代の作家は、次第に言葉の力に関する信仰を失って来た。では、その代り、物に関する、事実に関する信仰に熱烈なものを抱いているか。例えば、鏡花が内部の世界を眺めた眼の強さと同じ様な強さを、外界を眺める眼に持っているか。どうもそういう風には見えない。言わば言葉の力を信じ得る理由とほぼ同数の、言葉を信じ得ない理由を抱えて、まごまごしている様に見える。気が散れている様に見える。これも時代の然らしむるところに相違なかろうが、時代の然らしむるところというのが、猫も杓子も気が散れているという以上の意味を持っているかどうか、かなり疑問だ。
 近頃、文壇で散文精神という事が言われている。皆、どういう事だかよく解らぬと言っているが、別に深い仔細はないらしい。解らぬと言えばさっばり解らぬし、解ると言えば、馬鹿々々しい様な事、という種類の言葉の一つの様に思われる。平たく言えば、なるたけ在りそうな事を、従って理解しやすい事を書くのが、小説というものの味噌だ、というぐらいの意味だろうと思う。少くとも散文精神というような曖昧な原理からより、そういう平易な原理から、よほど楽に、殆ど大部分の現代小説が演繹出来るように思われる。


演繹   一般的な原理から、特殊な事柄を、論理的手続きのみで推論すること。



 現代人は、神秘的という言葉を使うのを厭がる。これも鏡花のお化け同様、流行りすたりの関係であって、現代に格別神秘的な事柄が減ったわけではない。人生は理解出来る事柄と同様に理解出来ない事柄も必要とするだろう。率直に考えれば、それは殆ど自明の理である。お化けが恐いのはお化けが理解出来ないからであり、自然が美しいのも自然が理解出来ないからであろう。自然が日に新たにその不可解な全体を現す事は、風景画家がよく知っている。友人が完全に理解出来たら友情もあるまい。それも、理解しても理解してもまだ理解出来ないところがある、という様な筋のものではあるまい。その様な事は友情に関するほんの一要素だ。或は一要素にもならなかったりするものだ。友は、日に新たに理解出来なくとも、少しも差支えのない全体として現れる。愛情は、そういう全体しか見やしない。各人が自分の友情について、少しでも反省したら、誰も知り過ぎる程知っている事柄である。
 僕は屡々不思議に思う事がある。小説家で、詩や音楽や絵が好きな人がずい分あるが、彼等は、そういうものに、別して在りそうなものも、解りやすいものも求めてはいない。ところが、小説の事になると、まるで人間が変った様に、人生は解っている様な顔をしたがる。当人はわれに返った積りかも知れないが、傍目からは商売に返ったとしか思われぬ。
 どういう商売かというと、人生のあちらこちらに縄張りをして、其処を、在りそうな、理解し易い、何か或るものにしてみせる商売である。従って人生は、はじめから、在りそうな、理解し易い、ばらばらの諸事象から出来上っていると見て、仕事にかかるのが好都合である。現代の小説家は、例えばフロオベルから、リアリズムという小説技術は学んだ筈なのに、彼が信じた様な絶対的な小説という言葉による創造の世界の絶対性などは、もう到底信ずる力がない。
 いい小説が再読三読に堪えるという事は、言い代えれば、これを理解しようとして、これを別の形式に要約して了えない、要約する必要もないという事に他ならない。それは依然として、不可知な生き物として僕等に影響する。現代の小説は、いよいよこれと反対の傾向を辿っている。大多数の小説が解って了えば、それで万事がお終いである。若干の刺戟をきっかけとする、皮相な人生の理解という読者の一消費を目当てにしか、作者の方でも、もう小説というものを書かぬ。
 小説という第二の自然、或は第二の人生の、堅固な独立した世界を築き上げるという様な信仰は、もはやなく、人生と読者との間に挟まり、何も知らない青年子女の為に、恰も教育原理を失った教育者の如く、極めて任意に、人生註釈の労をとらんとするのが、現代小説の趨勢である。従って、なるたけ在りそうな事、理解しやすい事と心掛けるが、まかり間違えば、忽ち在りそうもない事、理解し難くて大いに差支えるという様なものも書く事になる。



フロオベル   Gustave Flaubert フランスの小説家。一八二一~一八八〇年。作品に「ボヴァリー夫人」「感情教育」など。



昭和14年(1939)37歳 




 この辺りの事情を示す、かなり込み入った好例をこの月の小説で見た。武田麟太郎君の「短篇小説集」(「改造」)である。久し振りで読むので楽しみにしていたが、全く落胆して了った。小説に毒されて、人生を見る眼が曇って了った様な読者を、こういう小説で騙す事は出来ようが、率直な眼は騙す事は出来ない。彼の出世作「市井事」には、こんな出鱈目な人生の図はなかった。どうしてこんな事になったのか。そんな事はわかり切っている。今度はどんな趣向で書こうかと苦労する小説稼業というものが、作者を何が本当やら何が嘘やらわからぬ世界に連れ込んで了ったのである。この「短篇小説集」の人生は悉く嘘である。僕は鏡花の嘘は認めるが、この種の嘘は認めない。鏡花のは嘘から出た真であり、武田君のは言わば真から出た嘘に過ぎない。
 集中の「大凶の籤(くじ)」という短編には、狐のお化けが出て来るが、鏡花のお化けとは、まるで性が異う。お化けも下落したものだと情けない。お化けが信じられない人が、お化けなど描いてみても始らないのである。鏡花はお化けの存在を確信しているから、お化けが在りそうなものか、在りそうもないものか、という様な問題は、作者にはてんで起らない。泉氏はほん物の神秘家の魂を持っているが、武田君の頭に、小説趣向の必要上、仮りに宿を借りた神秘家は、贋物である。在りそうもないお化けを、在りそうなお化けに見せる工夫(これが武田君が努めた工夫であるが)そういう工夫によってお化けは出るのではない。
「大凶の籤」は、この集のエピグラフの様なものであり、以下の諸短篇は、みな在りそうもない事を在りそうに見せる工夫であり、人生図と称すべきものではない。



武田麟太郎   小説家。明治三七年(一九〇四)大阪生れ。この年三五歳。プロレタリア作家として出発、後に市井事ものを発表。昭和二一年(一九四六)没。


短篇小説集   『改造』昭和一四年九月号に、武田麟太郎は創作四篇を「短篇小説集」と題して発表した。


市井事   昭和七年、武田麟太郎は井原西鶴の手法に示唆を得て「日本三文オペラ」を発表、翌八年の 「釜ヶ崎」「市井事」「勘定」と庶民の生活感情や不平不満を描く一連の(市井事もの)で現代社会への批判を浮び上がらせようとし、昭和九年、「銀座八丁」(長編)、同一〇年、「一の酉」と書き継いだ。


エピグラフ  epigraph(英)本の巻頭や章の初めに記す題辞や引用。


そしてそういうエ夫に、これは武田君に限らぬが、現代小説家が一番便利な道具として借用しているものは、心理描写というものである。心理主義というものは、現代小説に氾濫しているが、プルウストの様に、世界は、夢で織られているとするほどの大胆さは、何処にもみられぬ。現代作家にとって心理とは、恰も諸事件を煉瓦の様に組み上げるセメントの様なもので、物語の筋なり、人物の行為なりを、なるたけ理解しやすいように話して聞かせる為の説明の具という、甚だ消極的な用しか務めていない。
 だが、このセメントの使用法は非常に微妙であり、一定の方法もないから、全く偽りの説明が、いかにも尤もらしい外見をとるという事も屡々起るのである。「婚約者」という短篇など、その好例だ。以下、どれも、在りそうもない事を、在りそうに見せる為に施した、心理的説明という惑わしい工夫に、多かれ少かれ、作者自身が化かされている。鋭敏で而も何か新趣向をする趣味のある作家には、起り勝ちな事で、横光利一氏など屡々化かされている。



プルウスト Marcel  Proust フランスの小説家。一八七一~一九二二年。作品に、記憶の深層、意識
下の心理などを基礎的主題とする長篇小説「失われた時を求めて」がある。


横光利一     小説家。明治三一年(一八九八)福島県生れ。作品に「日輪」「上海」「機械」「紋章」など。昭和二二年(一九四七)没。






神風という言葉について

        昭和一四年(一九三九)一〇月、『東京朝日新聞』に発表。
 


 今度の欧洲大戦は神風だと言われている。そういう言葉の流行に腹を立てている人もある。いざとなると神風が吹く、という様な非科学的迷信で、難局を切り抜けた様に思って、得意になるのが、日本人の性格だ、と論じている文章にも出会った。
 併し、神風という言葉が、人々の口の端に上ると、直ぐそれから、迷信深い日本人の性格という様なものを引き出そうとする心掛けが、神風という言葉を発明する心掛けより上等だとは思えない。
 神風という言葉の流行から、迷信深い日本人の心などというものを思い浮べるのは、批判病患者が、われ知らず行う下手な手品の様なもので、流行の性の悪さは、寧ろそういう手品師側にあるのだ。
 神風とは誰がいい出したのか知らないが、所謂迷信家の間に言い出された言葉ではない事は確かである。寧ろ普段迷信などというものは一向気に掛けず、世間の動きに注意を怠らず、新聞の報道にも人一倍敏感の人達が、欧洲大戦の報に出会ったショックから発した、とそう考えた方が、勿論自然なのであって、そういう処に、今日の「神風」流行の特色が見られる。「神風」も進歩したのである。




今度の欧洲大戦   この年、一九三九年九月、ドイツがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦。


神風   民や国土の危急を救うため、神が起した幸運の大風の意。昭和一二年(一九三七)七月以来の日中戦争終結の期待をこめて、ヨーロッパで新たに始った戦争を日本にとっての神風ととる意見が新聞等で取り沙汰されていた。



明治維新の当時、普仏戦争勃発の気配を見て、これを国民が神風だなどと言わなかったのも、世界情勢に関する国民の知識が遅れていたからである。
 神風という言葉に、単に好都合な歴史の偶然という意味しかないならば、神風の大きいのや小さいのは、現代、世界中を吹き廻しているに違いない。してみると、歴史の偶然を、神風と呼ばなければ承知の出来ない日本人の心というものにだけ意味があるわけであり、この心は、どう安値に積ってみても迷信深い心とはなりそうもない。果して神風であるか、ないかは歴史が決定するであろう、などというロの利き方が一番いけない。
 そういうのが思慮のある考え方とされている風があるのだが、落ち着いて考えてみれば、人間らしい思慮とか思想とかいうものから寧ろ遠い考え方で、つまるところ、身も蓋もない口の利き方に過ぎない。

 今日は世界の歴史が、むごたらしい様で激しく動き、日本も、嘗て出会った事のない危険な事態に出会って、何処を見渡しても、心ない事実の乱雑、実情の変転で空想や想像の生きる余地もない有様だ。前総理は、これを複雑怪奇な事態と言ったが、大臣の声明に怪奇などという言葉が現れたのは、文明開化以来、はじめての事である。
 そんな言葉まで、ここに持ち出すというのも、総理大臣ともあろう者が、複雑怪奇とは滑稽である、という風な説にも出会うからである。



普仏戦争   一八七〇~七一年、ドイツ統一をめざすプロイセンと、これを阻もうとするフランスとの間で行われた戦争。プロイセンが圧勝、統一を完成してドイツ帝国の成立を宣言した。


前総理   平沼騏一郎をさす。この年、昭和一四年(一九三九)一月組閣、同年八月、独ソ不可侵条約締結に「欧州情勢、複雑怪奇」と声明して総辞職した。




方針は立たぬより立つ方がいいに決っているだろうが、複雑怪奇という言葉は総理大臣が言っても少しも滑稽ではない。表現は下手かも知れないが、実感が龍っている。
 大臣の声明に実感の籠った言葉が現れるという様な事は、わが国では奇蹟めいた事であって、これはやはり進歩と言うべきだろう、と僕など秘かに考える。
 ポーランドに出征するドイツの兵士達が、黙々として打沈んで見えた、という報道を新聞で読み、何んとなく、ははあ成る程といった気持ちを覚えたが、間もなくフランスに上陸したイギリス軍隊の様子が、通信に現れた。この前の大戦の時には、チぺラリイの歌で大賑いであったが、今度のイギリス軍隊はまるで違う。そういう浮わついた処は少しも見えない。皆、大決心を心に秘めたという面持ちで、老人達は、今度の軍隊は、実に頼もしいと言っている、と書いてあった。チペラリイを歌う軍隊の方が、頼もしいかも知れないではないか、黙りこくった顔が、何を秘めているか解ったものではあるまい、と読んでいてそう思った。
 それから又間もなくの事だ。「ドイツ秘密外交の暴露」という見出しで、ロンドン発同盟の通信に、まことに興味深い記事が現れた。ピットラア総統は、ポーランドとの開戦前、若しイギリスがポーランドを放棄すると約束するなら、自分は芸術家としての余生を送るであろう.............



この前の大戦  一九一四~一八年の第一次世界大戦。

チペラリイの歌 「チペラリイ」Tipperaryはアイルランド共和国南部の州および都市の名。第一次世界
大戦中、イギリスでIt's a long way to Tipperary で始まる軍歌が流行した。

ヒットラー総統   Adolf Hitler ドイツの政治家。一八八九年オーストリア生れ。一九二一年、国家社会主義ドイツ労働党(略称ナチス)の党首となる。三三年、首相、翌年総統に選ばれ、軍備を拡大、対外侵略を強行、三九年にポーランドに侵攻して第二次世界大戦を起した。若年期には画家を志していた。







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