2023.12.31


鏡花の死其の他 小林秀雄

鏡花全集 作品説明



  
鏡花全集 目次総覧


『鏡花全集』全28巻・別巻1巻(岩波書店、1940.3~1976.3)
※当初全28巻で刊行。その後、1974年から76年にかけて第2刷を刊行した際、新資料と書誌からなる別巻を刊行し、全28巻別巻1巻となった。 


鏡花全集 作品説明










第1巻 1942.7.30
 
冠弥左衛門‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
活人形‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 145
金時計‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 219
大和心‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 235
予備兵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 259
海戦の余波‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 327
譬喩談‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 391
義血侠血‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 415
乱菊‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 489
鬼の角‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 571
取舵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 617
聾の一心‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 635
秘妾伝‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 657
夜行巡査‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 693
*泉鏡花年譜‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
*泉鏡花作品年表‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
 

明治26年
1893年(明治26年)3月17日20時15分頃、埼玉県川越市の中心部で川越大火と呼ばれる大きな火災が発生した。 乾燥と折からの強風により瞬く間に延焼地域が拡大し、消防設備が整備されていなかったこともあり、12時間にわたり燃え続けた。


明治27年
明治27年(1894)8月1日、日本は清国に対して宣戦を布告し、日清戦争が始まりました。 掲載資料は、宣戦布告の同じ日に発せられた宣戦の詔勅を発する際の閣議書です。 詔勅では、独立国家である朝鮮に対する清国の内政干渉を非難し、日本は朝鮮の独立を確保するために戦うことを宣言しています。


明治28年
明治28年(1895)4月17日、日本全権の伊藤博文・陸奥宗光と清国全権の李鴻章・李経方により、日清講和条約(下関条約)の調印が行われました。 同条約は、4月20日批准、5月10日に公布されました。 掲載資料は、同条約批准時の閣議書と裁可書です。



第2巻 1942.9.30
 
旅僧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
外科室‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥11
妙の宮‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29
鐘声夜半録‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥35
貧民倶楽部‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥57
黒猫‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 169
ねむり看守‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 245
八万六千四百回‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 259
化銀杏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 271
一之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 329
二之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 359
三之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 389
四之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 405
五之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 429
六之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 445
誓之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 463
蓑谷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 485
五の君‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 493
紫陽花‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 515
毬栗‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 523
照葉狂言‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 531

 
 

明治29年
明治29(1896)年6月15日、午後8時ごろ三陸沖で発生した地震に伴う大規模な津波により、三陸沿岸を中心に死者約2万2千人、流出、全半壊家屋1万戸以上という我が国津波災害史上最大の被害が発生した。


明治30年
1897年あたかも日清戦争の賠償金を得たことにより、金本位制確立への動きが加速され、第2次松方正義内閣の下、第10回帝国議会で成立した貨幣法は、明治30年(1897)3月26日公布され、10月1日に施行されました。 掲載資料は、貨幣法公布時の閣議書です。

 

第3巻 1941.2.25
 
龍潭譚‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
勝手口‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥35
X蟷螂鰒鉄道 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥87
化鳥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 113
凱旋祭‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 151
堅パン‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 163
さゝ蟹‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 179
風流蝶花形‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 207
清心庵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 237
怪語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 265
なゝもと桜‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 303
髯題目‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 443
山中哲学‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 535
暗まぎれ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 583
玄武朱雀‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 603
 
 

明治31年
1898年、米西戦争でのアメリカとスペインの講和条約。 スペインはキューバの独立を認め、プエルトリコ・グアムの割譲、フィリピンの売却に応じた。 アメリカ帝国主義は初めて海外に領土を獲得し、スペインの海外植民地は消滅した。 1898年12月、米西戦争(アメリカ=スペイン戦争)の講和条約としてパリで締結された条約。
明治時代の東京市は自治が大きく制限されていましたが、1898年(明治31年)に市制特例が廃止され、同年10月1日に市長を持つ東京市が誕生しました。

 




第4巻 1941.3.15
 
辰巳巷談‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
蛇くひ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 107
山僧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 115
笈摺草紙‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 141
黒百合‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 207    
三島由紀夫、推薦
星あかり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 377
鴬花径‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 387
通夜物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 435
梟物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 547
五本松‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 639
絵日傘‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 649
立春‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 681
三尺角‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 689
三尺角拾遺‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 713
 


 明治32年
明治32年(1899)3月、一般文官の任用資格を定めた文官任用令が改正されました。 それまで、勅任官は自由任用制であり、我が国初の政党内閣である第1次大隈重信内閣では政党員が勅任官に任命されました。

 



第5巻 1940.3.30
 
錦帯記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
さらさら越‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 141
湖のほとり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 161
湯島詣‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 239
幻往来‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 381
名媛記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 409
弓取町人‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 423
白羽箭‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 441
高野聖‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 573
海の鳴る時‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 651
湯女の魂‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 665
 
 

明治33年
明治33年(1900)3月9日治安警察法が公布され、3月30日に施行されました。 同法は、集会・結社の届け出を義務とし、軍人・警察官・宗教家・教員・学生・女子・未成年者の政治結社加入と女子・未成年者の政談集会参加を禁止したほか、集会に対する警察官の禁止・解散権、結社に対する内務大臣の禁止権を規定しました。



 
第6巻 1941.11.10
 
月下園‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
みちゆき 松の露‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥25
うしろ髪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31
長屋刃傷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥51
三枚続‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥57
式部小路‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 199
女肩衣‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 377
葛飾砂子‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 387
裸蝋燭‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 433
政談十二社‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 441
処方秘箋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 491
斧の舞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 507
雪の翼‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 517
風流後妻打‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 531
水鶏の里‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 549
註文帳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 571
蝿を憎む記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 651
 
 

明治34年
明治34年(1901)2月、八幡製鉄所が操業を開始しました。 同製鉄所は、明治29年(1896)3月に公布された製鉄所官制に基づいて、福岡県遠賀郡八幡町に官営の製鉄所として設置されました。

 
第7巻 1942.7.22
 
袖屏風‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
女仙前記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥89
きぬぎぬ川‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 119
妖僧記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 171
祝杯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 185
波がしら‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 201
青切符‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 229
やどり木‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 237
お留守さま‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 263
親子そば 三人客‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 279
起誓文‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 293
舞の袖‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 395
二世の契‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 485
千歳の鉢‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 525
置炬燵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 537
伊勢之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 549
薬草取‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 589
侠言‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 629
鷺の灯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 645
留守見舞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 683
 
 

明治35年
明治35年(1902)1月30日、日英同盟協約が調印され、即日発効、2月11日に日英両国から発表されました。 日英同盟は、協約文と秘密交換公文から成っています。

 



第8巻 1940.7.30
 
風流線‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
続風流線‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 331
紅雪録‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 629
続紅雪録‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 681
 


 明治36年
明治36年(1903)〔 63歳 〕 是日栄一、東京を発し国府津の国府津館に赴き、二十日帰京す。 地方に宛てたる支払保証小切手を以て為替手形に代用することを廃止す。 栄一委員長として之に与る。
 

明治37年
明治37年(1904年)2月4日に緊急御前会議においてロシアとの国交断絶と開戦とを決定した日本は、8日にはロシア艦隊と初めて交戦を行いました。 そして、9日には 「露国に対する宣戦の詔勅」 が出され、ロシアとの戦争が本格的に開始されました。 なお、「詔勅」とは、天皇が意志を表示する文書のことを指します。





第9巻 1942.3.30
 
千鳥川‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
外国 軍事通信員‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥15
柳小島‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31
わか紫‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥87
銀短冊‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 179
珱珞品‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 255
少年行‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 341
胡蝶之曲‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 381
女客‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 467  1905年(明治38年)『中央公論』にて初出。
悪獣篇‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 489
海異記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 577
月夜遊女‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 621
 


 明治38年
明治38年(1905)9月|日露講和条約(ポーツマス条約)が結ばれる ...
明治38年(1905)8月10日からアメリカのポーツマスで講和会議が開かれ、9月5日、日露講和条約(ポーツマス条約)が調印されました。 同条約は、両国が10月15日批准を相互に通告して発効し、16日に公布されました。


 明治39年
明治39年(1906年),日本陸軍は国防のために全国地図を作成しようと必死に取り組んでいる。


 
第10巻 1940.5.15
 
無憂樹‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
お弁当三人前‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 199
春昼‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 215
春昼後刻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 287
婦系図 前篇‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 335
婦系図 後篇‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 553
 
 


明治40年
 
 1907年


1月6日 - マリア・モンテッソーリ、ローマで労働者階級の子供のために彼女の最初の学校およびデイケアセンターを開く。
1月21日 - 東京株式相場が暴落し、日露戦争後の恐慌が始まる。
「演藝画報」(「演劇界」の前身)創刊。

2月4日 - 足尾銅山で労働争議が起こる。
2月5日 - 日清紡績設立。
2月22日 - 奥村組創業。
2月23日 - 麒麟麦酒設立。

3月6日 - 玉川電気鉄道が道玄坂上・三軒茶屋間に玉川線を開業(8月に玉川まで延伸)。
3月15日 - フィンランドで最初の議会選挙( - 3月16日)。女性候補が出馬した世界で最初の選挙であるとともに、普通選挙権が適用されたヨーロッパで最初の選挙となる。
3月20日 - 東京府勧業博覧会開催(上野公園)( - 7月31日)。
3月21日 - 小学校令改正。義務教育が6年間となる。
ベトナムでファン・チュー・チンらがハノイに東京義塾を設立する。
パブロ・ピカソが絵画「アビニヨンの娘たち」を完成させる。

4月1日 - 南満洲鉄道開業。
4月1日 - 寿屋(サントリー)が赤玉ポートワイン(赤玉スイートワイン)を発売。
4月16日 - 救世軍創設者のウィリアム・ブース大将が来日、その後約40日にわたって日本各地を「転戦」する。
4月24日 - 刑法公布(1908年10月1日施行)。
栃木県に安蘇郡立佐野高等女学校(現・栃木県立佐野東高等学校)開校。

5月6日 - 遣英答礼大使として伏見宮貞愛親王が訪英。
5月13日 - 茨城県に江戸崎町他三ヶ村組合立農学校(現・茨城県立江戸崎総合高等学校)開校。

6月5日 - BAPSスワミナラヤン教が確立。
6月10日 - 日仏協約調印。清の独立・領土保全が約束され、両国の勢力範囲が確認される。
6月15日 - 第2回万国平和会議開催( - 10月18日)。大韓帝国がハーグに密使を送る(ハーグ密使事件)。
6月22日 - 東北帝国大学設置に関する勅令(第236号)が公布される。
6月26日 - ボリシェヴィキがチフリス(トビリシ)で現金輸送車を襲撃、40人前後の死者を出す(1907年チフリス銀行強盗事件)。

7月20日 - 福岡・豊国炭鉱で爆発事故。死者365人を出す明治期最悪の炭鉱事故となる。
7月24日 - 第三次日韓協約締結。韓国政府に日本人が採用されることなどが取り決めされる。
7月30日 - 第一次日露協約調印。




 
第11巻 1941.8.15
 
霊象‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
縁結び‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥89
雌蝶‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 131
草迷宮‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 169
頬白鳥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 335
沼夫人‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 443
星女郎‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 541
七草‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 665
 
 




 
第12巻 1942.4.30
 
尼ケ紅‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
紫手綱‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 101
貸家一覧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 165
海の使者‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 211
吉祥果‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 223
神鑿‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 237
白鷺‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 389
歌行燈‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 595
国貞ゑがく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 679
 
 

 
第13巻 1941.6.30
 
月夜車‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
楊柳歌‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥15
三味線堀‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 117      永井荷風絶賛
色暦‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 303
櫛巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 391
朱日記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 415
小春‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 447
青鷺‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 469
酸漿‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 479
露肆‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 493
築地両国‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 529
吉原新話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 541
妖術‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 633
逢ふ夜‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 661
高桟敷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 671
池の声‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 689
 
 
1908年(明治41年)、『草迷宮』を春陽堂より刊行。1909年(明治42年)、2月に逗子から麹町(土手三番町)に転居、東京に戻る。『白鷺』を発表(東京朝日新聞)。1910年(明治43年)、『歌行燈』(新小説)、『三味線堀』(三田文学)。『三味線堀』掲載にあたっては鏡花を評価していた永井荷風の好意を受ける。この年から『袖珍本鏡花集』(五巻)の発行が始まり、すでにその文名は確立し人気作家の1人となっていた。5月には終生の住まいとなった麹町下六番町に転居。



明治41年 (1908年)
これと言った大きな事件はない年ですね。
まだ、維新の元老も生きていた時代で、軍部の独走も起きてませんが
赤旗事件など、社会主義弾圧が始まった年でもあるようです。
この事件を切っ掛けに、社会主義思想の弾圧が厳しくなり、大逆事件に繋がっていくようです。
他には、出歯亀の言葉が出来たり、漱石の三四郎が出版されています。
ブラジル移民の第一陣の年でもあります。
面白いところでは、平塚雷鳥が、不倫で心中を考えて彷徨って保護されたとか・・・
少し平和であり、徐々に大国意識が大きくなっていく時代でもあるようです。






明治42年 1909年

女株券師明治半ばころから、長岡では石油株の売買が盛んに行われ、男仲買20人、女仲買約100人がいたといいます。この女仲買が女株券師と呼ばれていました。2、3人で組をつくり商売し、手数料が安く、間違いがないことで信頼が高く、盛んに利用されました。長岡市だけに見られた現象です。

1月25日
リヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』がドレスデン宮廷歌劇場で初演。
1月28日
米西戦争以来キューバに駐留していた米軍が撤退。
2月12日
全米黒人地位向上協会 (NAACP) 設立。
3月3日
博多駅駅舎完成(明治42年駅舎)。
3月8日
日本で、それまでのメートル法・尺貫法に加えヤード・ポンド法も公認した改正度量衡法公布。
3月31日
セルビアがオーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナの支配を承認する。
4月6日
アメリカ人探検家ロバート・ピアリーが北極点に到達する。
4月27日
メフメト5世がオスマン帝国スルタンに即位。
4月29日
北白川宮成久王と明治天皇皇女周宮房子内親王の結婚の儀。
5月6日
新聞紙法公布。
5月6日
長岡半太郎が長岡係数を提唱。
5月20日
うま味調味料「味の素」発売。
5月31日
両国国技館が完成。
6月2日
5月31日に完成した両国国技館で初めて相撲がとられる。
6月15日
イングランド・オーストラリア・南アフリカの代表がローズ・クリケット・グラウンドで会談し、国際クリケット評議会を設立。
6月23日
スリの大親分・富田銀次郎(仕立屋銀次)を日暮里で逮捕。
6月30日
京成電気軌道(現在の京成電鉄)設立。
7月1日
日本陸軍代々木練兵場が完成。
7月14日
テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェークがドイツ帝国宰相に就任。
7月16日
イラン立憲革命: 革命を支持する国民軍が首都テヘランを占領、国王モハンマド・アリー・シャーはロシアへ亡命し、アフマド・シャーが即位。
7月25日
ルイ・ブレリオが操縦するブレリオ XIが史上初の飛行機でのドーバー海峡横断に成功。
8月11日
クライド・ラインのアラパホ号がハッテラス岬沖で世界初の遭難信号「SOS」を発信し、救助される。
8月18日
東京市がワシントンD.C.にソメイヨシノ2000本を贈ることを決定。後にポトマック川畔に植えられる。
8月30日
チャールズ・ウォルコットがバージェス頁岩の化石を発見。
9月7日
ウジェーヌ・ルフェーブルが自ら操縦する飛行機の事故で死亡、飛行機の事故で死亡した最初のパイロット。
9月20日
イギリスで「職業紹介所法」成立、失業保険制度が開始。
9月20日
イギリスで1909年南アフリカ法(South Africa Act 1909)が国王の裁可(Royal assent)を受け成立。翌1910年5月31日施行。
9月23日
ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』が刊行。
9月30日
客船の初代モーリタニアが進水。
10月11日
三井合名会社設立。
10月26日
伊藤博文が哈爾浜で安重根に暗殺される。
11月21日
人吉 - 吉松間の開業により、門司(現在の門司港)から鹿児島までが鉄道で結ばれる(現在の肥薩線経由)。
11月24日
大之浦桐野炭鉱(現:福岡県宮若市)にて爆発事故。死者・行方不明者243人。
12月4日
大韓帝国の政治結社一進会が韓日合邦を要求する声明書を発する。
12月5日
フランス海軍のル・プリウール中尉と相原四郎大日本帝国海軍大尉が共同製作したグライダーが、子供を乗せた状態で人力曳航による飛行に成功。日本初のグライダーによる飛行。
12月16日
山手線で電車の運転を開始。
12月19日
ドイツのサッカークラブ、ボルシア・ドルトムント創設。
12月26日
日本初のループ線駅かつ日本唯一のループ線・スイッチバックを併せ持つ駅である大畑駅が開業。
12月31日
ニューヨークのマンハッタン島とブルックリンを結ぶマンハッタン橋が完成。





 

第14巻 1942.3.10
 
祇園物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
杜若‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 109
月夜‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 217
貴婦人‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 225
爪びき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 245
夜釣‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 351
南地心中‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 359
片しぐれ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 449
三人の盲の話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 459
糸遊‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 481
歌仙彫‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 513
紅提灯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 557
浅茅生‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 581
印度更紗‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 623
霰ふる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 645
五大力‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 669
 




明治43年
明治43年(1910)8月、停滞していた梅雨前線と台風の影響によって、関東地方は記録的な大水害に見舞われました。 埼玉県の被害は破堤(はてい)945か所、死者・行方不明者347人、住宅の全半壊・破損・流出1万8千147戸、床上浸水5万9千306棟、下浸水2万5千232棟にものぼりました。


明治44年
明治44年(1911)3月28日工場法が公布されました。 工場法は、工場労働者の保護を図るため、年少者の就業制限、年少者・女子の労働時間制限、業務上の事故に対する雇用者の扶助義務などを定めています。 ただし、適用対象は、常時15人以上の労働者が使用されている工場に限られています。

 

明治45年

(1912)7月30日、明治天皇が崩御され、同日以後を改めて大正元年とする旨の改元の詔書が発せられました。掲載資料は、改元の詔書発布時の閣議書です。
1912年(明治45年)7月30日 明治天皇が59歳で崩御し、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が 即位したため大正に改元。 同日は「大正元年7月30日」となった。 1926年(大正15年)12月25日 大正天皇が47歳で崩御し、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が 即位したため昭和に改元。




 
第15巻 1940.9.20
 
遊行車‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
艶書‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥97
陽炎座‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 125
菎蒻本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 209
参宮日記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 247
二た面‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 435
魔法罎‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 455
第二菎蒻本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 485
革鞄の怪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 527
日本橋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 553
 
 
大正元年
1913年、今から100年前「大正時代」はどんな時代だった?物価は?初任給は ...
「大正デモクラシー」「大正ロマン」など多くの言葉が生まれた大正時代は、1912〜1926年の15年間です。 大正デモクラシーとは、大正時代に起きた政治に関する動きです。 大正時代はまだ普通選挙が行われておらず、選挙権を持つのは一部の人たちだけでした。


 
第16巻 1942.4.20
 
紅葛‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
桜心中‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥69
桜貝‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 131
新通夜物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 163
星の歌舞伎‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 247
夕顔‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 429
蒔絵もの‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 461
懸香‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 475
白金の絵図‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 521
浮舟‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 575
袙奇譚‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 619
人魚の祠‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 669
 
 


大正2年

 1913年
1913年(大正2年)

「1908年-1945年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1913年(大正2年)」の解説

4月1日に北陸本線の米原駅 - 直江津駅が全通し、新橋駅 - 名古屋駅を急行運転する新橋駅 - 米原駅 - 直江津駅直通の列車が設定されたが、翌年4月には普通列車に格下げされている。 また5月21日と12月16日には東北・常磐線で時刻が改正され、特に5月改正では上野駅 - 青森駅に設定されていた急行列車2往復がいずれも1時間45分・2時間45分と大幅な時間短縮を行っている。同時に北海道では函館駅 - 釧路駅運行の3・4列車も新設され、急行列車は2往復となった。 11月25日には九州各線でも時刻が改正され、門司駅 - 鹿児島駅を走っていた急行1・2列車と門司駅 - 長崎駅運行の急行3・4列車の門司駅 - 鳥栖駅が併結運転となり、3・4列車は11・12列車と列車番号を改めた。また新たに門司駅 - 久留米駅運行の急行列車が設定されている。



大正3年
大正3年(1914)7月28日オーストリアがセルビアに宣戦布告したことをきっかけに第1次世界大戦が始まりました。 日本は、8月4日のイギリスの対独宣戦に呼応して、日英同盟を理由にして、8月23日にドイツに対して宣戦布告しました。



大正4年
大正4年(1915年)この年の出来事は、前年のサラエボ事件からはじまった第一次世界大戦により、ヨーロッパは戦争一色に。 アジアでは、1月18日に日本が中華民国の袁世凱政権に、対華21か条を要求。 南満州における日本の権益承認を主に、日本と中国(当時は中華民国)との対立が本格化してきています。







 
第17巻 1942.1.24
 
萩薄内証話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
通ひ路‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥69
木曽の紅蝶‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥85
町双六‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 137
時雨の姿‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 151
伊達羽子板‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 175
炎さばき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 195
幻の絵馬‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 287
峰茶屋心中‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 415
二人連れ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 479
卯辰新地‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 495
継三味線‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 533
黒髪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 597
友染火鉢‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 627
茸の舞姫‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 661
 
 


大正5年
   1916年

1月
1月8日 - 第一次世界大戦: 連合軍がガリポリから撤退開始
1月17日 - 全米プロゴルフ協会創立
1月28日 - ルイス・ブランダイスがユダヤ人として初めて合衆国最高裁判所判事に選出
1月29日 - 第一次大戦: ツェッペリンがパリを初空爆
2月
2月11日 - エマ・ゴールドマンが産児制限運動により逮捕される
2月15日 - 西南学院創立
2月21日 - 第一次大戦: ヴェルダンの戦い(〜12月19日)
3月
3月9日 - 第一次大戦: 第五次イゾンツォの戦い(〜3月17日)
3月22日 - 袁世凱が帝政を取り消し中華帝国崩壊。
4月
4月24日 - アイルランドでイースター蜂起(〜4月30日)
5月
5月5日 - 米海兵隊がドミニカ共和国に侵攻
5月15日 - 第一次大戦: アジアーゴの戦い(〜6月10日)
5月16日 - 第一次大戦: 英仏露間でサイクス・ピコ協定を密約(オスマン帝国領分割)
5月31日 - 第一次大戦: ユトランド沖海戦(〜6月1日)
6月
6月4日 - 第一次大戦: ブルシーロフ攻勢開始
6月5日 - ホレイショ・キッチナー英陸相が乗った巡洋艦ハンプシャーがオークニー諸島沖で撃沈、キッチナーを含む643名が戦死
7月
7月1日 - 第一次大戦: ソンムの戦い(〜11月18日)
7月2日 - 第1回サッカー南米選手権(コパ・アメリカ)開催(〜7月17日)
7月3日 - 第四次日露協約調印
7月15日 - ボーイング社創業(米ワシントン州シアトル)
8月
8月6日 - 第一次大戦: 第六次イゾンツォの戦い(〜8月17日)
8月29日 - 米国でフィリピンに関するジョーンズ法制定
9月
9月6日 - クラレンス・サンダース(英語版)がテネシー州メンフィスで、史上初めてのセルフ式食料雑貨店ピッグリー・ウィッグリーをオープン。
9月11日 - 河上肇『貧乏物語』(大阪朝日新聞)
9月14日 - 第一次大戦: 第七次イゾンツォの戦い(〜9月17日)
10月
10月9日 - 寺内内閣成立
10月9日 - 明治製菓(当時の社名東京菓子)創立
10月10日 - 第一次大戦: 第八次イゾンツォの戦い(〜10月12日)
10月16日 - マーガレット・サンガーが家族計画と産児制限のための診療所を開設
11月
11月1日 - 第一次大戦: 第九次イゾンツォの戦い(〜11月4日)
11月5日 - 折尾駅 二階建洋風(コロニアル様式)木造駅舎の完成
11月7日
米大統領選挙でウッドロウ・ウィルソンが再選
ジャネット・ランキンが女性として初めて米国下院議員に選出
11月8日 - 日本精工設立
12月
奈良原三次が千葉県稲毛海岸に日本初の民間飛行場(白戸飛行機練習所)を開設
12月23日 - 第一次大戦: マグドハバの戦い
12月25日 - 第38議会召集
12月29日 - ロシアでグリゴリー・ラスプーチンが暗殺される
日付不詳
7月 - ハインリヒ・リッケルト「認識の対象」邦訳
7月 - 横浜港に入港した「ハワイ丸」の乗客から全国にコレラが拡大。死者は7400人を超える[1]。
8月 - 津田左右吉「文学に現はれたる我が国民思想の研究」
フェルディナン・ド・ソシュール「一般言語学講義」
ドイツで盲導犬の育成が始められる。
アルベルト・アインシュタインが一般相対性理論を発表
ウラジーミル・レーニン『帝国主議論』
エドムント・フッサールがフライブルク大学教授に就任
倉田百三『出家とその弟子』
森鷗外『高瀬舟』
夏目漱石『明暗』



大正6年
1917年
日本の経済界では「大戦景気」と呼ばれる空前の好況が続いた。 軍需関係はもとより民需全般にわたって各種工業が興り、これに伴う設備投資の増加は建設業界の繁栄をもたらした。 大林組の業績が好転していったのも、こうした時代背景が要因の一つであった。



大正7年
大正7年(1918)8月2日、日本はシベリア出兵を宣言しました。 シベリア出兵は、イギリス・フランス・アメリカと共同で、シベリアに集結していたチェコスロバキア軍の救出を目的として始められました。 掲載資料は、出兵宣言の発表に関する閣議書です。





 
第18巻 1940.12.25
 
鴛鴦帳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
芍薬の歌‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 211
 
 
大正8年
大正3年(1914)に始まった第1次世界大戦は、日本を含む連合国側の勝利で終わり、大正8年(1919)1月からパリ講和会議が開かれました。


大正9年

1920(大正9)年には、箱根駅伝の第1回も開催されています。 また、ベルギーで開催されたアントワープオリンピックでは、日本人選手がテニスで銀メダルを獲得し、日本初のメダル獲得に日本は熱狂しました。 このように大正時代は、政治においても文化の面でも、大きな変化があった時期といえそうです。


 
第19巻 1942.2.15
 
由縁の女‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
紫障子‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 555
 
 


大正10年
1月
1月3日 - 幣原喜重郎駐米大使、カリフォルニア州外国人土地法(排日土地法)に抗議。
1月16日 - 葉山御用邸滞在中の大正天皇に中村雄次郎宮相と元老松方正義が拝謁し、皇太子裕仁親王の欧州訪問の裁可を得る。
1月24日 - 加藤高明憲政会総裁、貴族院でシベリアからの撤兵を主張。
1月31日 - 衆議院予算委員会で南満州鉄道株式会社(満鉄)の不正、関東州のアヘン取引が問題となる。
2月

宮中某重大事件を報じる大正10年2月11日付東京朝日新聞
2月10日 - 政府、「皇太子妃は内定通り変更がない」旨の声明を発表(宮中某重大事件)。
2月11日 - 立憲政友会の田中善立衆議院議員を中心とする皇国青年会その他200人の「国民祈願式挙行団」が皇太子裕仁親王、久邇宮良子女王婚約の不変更と皇太子洋行延期の祈願式を行う[1]。
2月15日 - 宮内省告示第二号で皇太子裕仁親王の欧州外遊が正式公表。
2月17日 - 衆議院で押川方義、大竹貫一両代議士が皇太子洋行問題に関する秘密会を開催するよう各派と交渉。各党各会派は要求を拒否[2]。
2月20日 - ペルシアでレザー・ハーンがクーデターを起こす。
2月21日 - モンゴル駐留中華民国軍を撃破した白軍ウンゲルンの占領下でボグド・ハーン政権が復活。
2月27日 - 西園寺公望の嗣子、西園寺八郎が洋行延期を唱える「抹殺社」の6人に襲撃、軽傷を負う[3]。
2月28日 - ソビエト・ロシアで戦時共産主義に反対する水兵がクロンシュタット軍港で反乱。
3月
3月3日 - 皇太子裕仁親王欧州歴訪に出発。
3月4日 - ウォレン・ハーディングが第29代米大統領に就任。
3月6日 - 皇太子裕仁親王一行、沖縄に到着。
3月8日 - ロシア共産党が新経済政策(ネップ)を採用する。
3月10日 - 皇太子一行、英領香港に到着。
3月13日 - モンゴル人民党がキャフタで臨時人民政府樹立。
3月16日 - 英ソ通商協定締結。
3月18日
皇太子一行、英領シンガポールに到着。
ポーランドとソビエト連邦の間でリガ条約が結ばれる。
ポーランドは西ウクライナと西ベラルーシを併合、ソ連は残りのウクライナとベラルーシを併合し、ウクライナ人民共和国政府はフランスに亡命。
3月21日 - 皇太子一行、英領セイロンに到着。
4月
4月8日 - 国有財産法、借地法、借家法公布。
4月10日 - 度量衡法改正(12日メートル法公布)。
4月15日 - 皇太子裕仁親王一行、英領エジプトに到着。
4月18日 - 皇太子一行、カイロに到着。
4月24日 - 赤瀾会結成(日本初の女性による社会主義団体)。
4月30日 - 皇太子一行、英領ジブラルタルに到着。
5月

1921年5月15日、ロイド・ジョージ英首相(前列左から2人目)主催の午餐会に出席した皇太子裕仁親王(前列左から3人目)。前列右から2人目は閑院宮載仁親王。
5月5日 - 孫文、広東新政府非常大総統に就任。第2次広東政府成立。
5月7日 - 皇太子裕仁親王一行、英国ワイト島に到着。
5月9日 - 皇太子裕仁親王の英国上陸式典挙行。
5月13日 - 駐英日本大使館で晩餐会。エドワード皇太子、デビッド・ロイド・ジョージ英首相らを迎える。
5月15日 - ロイド・ジョージ首相主催の歓迎午餐会開催。
5月18日 - 皇太子一行、スコットランドに到着。
5月19日 - 皇太子裕仁親王、ケンブリッジ大学から名誉法学博士号授与。
5月20日 - 旧区制廃止、旧区に該当していた県庁所在自治体などが市制施行。
5月30日 - 皇太子一行、英国を離れ、フランスに到着。
6月
6月1日 - 皇太子裕仁親王、エリゼ宮にアレクサンドル・ミルラン大統領を表敬訪問。
6月7日 - ルーマニア・ユーゴスラビア相互援助条約が締結される。
6月10日 - 皇太子裕仁親王一行、ベルギーに到着。
6月15日 - 皇太子一行、オランダに到着。
6月20日 - 皇太子一行、オランダを離れ、ベルギーとフランスを再訪。
6月25日 - 皇太子一行、ヴェルダンの戦いの戦跡を訪問。
6月29日 - 皇太子一行、ソンムの戦いの戦跡を訪問。
7月
7月11日
モンゴル人民革命。ウルガでボグド・ハーンを制限君主に推戴する人民政府樹立。中華民国から実質的に独立。
皇太子裕仁親王一行、イタリアに到着。
7月18日 - 皇太子一行、イタリアを離れ帰途に着く。
7月22日 - アンワールの戦いでスペイン軍がリーフ共和国軍に敗退。
7月23日 - 上海で中国共産党の創立大会が開催される。
7月29日 - ヒトラーがナチス党党首に就任した。
8月
8月 - 中国共産党、上海に中国労働組合書記部を設立。
9月
9月3日 - 皇太子裕仁親王一行、横浜に到着。
9月17日 - 尾崎行雄、吉野作造らが、軍備縮小同志会結成。
9月27日 - ワシントン会議全権に加藤友三郎、徳川家達、幣原喜重郎らを任命。
10月
10月23日 ハンガリー王国でオーストリア=ハンガリー帝国皇帝カール1世が逮捕される(カール1世の復帰運動が失敗)。
11月

原敬首相暗殺の現場。柱の陰に犯人の中岡艮一がいた。
11月4日 - 原敬首相、東京駅で暗殺(原敬暗殺事件)。
原首相の暗殺により内田康哉外相が臨時兼任内閣総理大臣に就任。
11月7日
政友会党本部で原敬の告別式。
イタリアで戦闘者ファッシ、ファシスト党(国家ファシスト党)に改組。
11月8日 - 原敬、盛岡に到着。
11月9日 - 大慈寺で原敬の密葬。
11月11日 - 大慈寺で原敬の本葬。
11月12日 - ワシントン会議開催。
11月13日 - [高橋内閣]成立。
11月25日 - 皇太子裕仁親王が摂政に就任。
12月
12月13日 - ワシントン会議で日本・米国・英国・フランスの四か国条約が調印される。日英同盟が廃棄される。
12月24日 - 第45議会召集。

 


第20巻 1941.5.20
 
柳の横町‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
手習‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 141
縁日商品‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 171
伯爵の釵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 191
売色鴨南蛮‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 237
瓜の涙‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 271
榲 に目鼻のつく話‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 297
唄立山心中一曲‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 343
鯛‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 417
薺‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 441
蝶々の目‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 469
毘首羯摩‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 513
 


 大正11年

1922年



1月
10日 - 大隈重信?、第8・17代内閣総理大臣、東京専門学校?(現、早稲田大学)創立者、死去
11日 - 糖尿病患者に世界初のインスリン投与が行なわれる。
2月
2月1日 - 山縣有朋?、陸軍軍人・第3・9代内閣総理大臣、死去
2月6日ワシントン会議?: ワシントン海軍軍縮条約・九か国条約調印
2月11日 - グリコ?発売
2月22日 - 江崎グリコ?設立
2月25日 - 旬刊朝日?創刊(4月2日に週刊朝日となる)
2月28日 - エジプト王国がイギリスから独立宣言
3月
3月3日 - 全国水平社?創立、日本で初めての人権宣言である「水平社宣言」が宣言される。
3月20日 - ラングレー (CV-1)が米海軍初の航空母艦として改装され就役
4月

4月2日
サンデー毎日?創刊
ヘルマン・ロールシャッハ?、ロールシャッハテスト考案者として知られる精神医学者, 死去
4月3日 - ヨシフ・スターリン?がロシア共産党書記長に選出
4月12日 - 英皇太子(後のエドワード8世)来日(~5月9日)
4月14日 - アイルランド共和軍が、フォー・コーツ(アイルランド最高法廷)を襲撃し、ダブリンの戦いがはじまる。
16日-帝国ホテル全焼。
20日
治安警察法?改正公布(女子の集会参加禁止を撤廃)
豊年製油設立(鈴木商店製油部が独立)
日本農民組合創立( 賀川豊彦ら)
5月
5月5日
刑事訴訟法?(旧法)公布
ヤンキー・スタジアム起工
6月
6月6日 - 高橋内閣?総辞職(閣内不統一)
6月12日 - 加藤友三郎?]内閣成立
6月24日 - シベリア出兵?: 日本が撤兵を声明
6月28日 - アイルランド内戦?勃発
7月
7月9日 - 森鴎外?、小説家、死去
7月15日 - 日本共産党?結成(堺利彦・山川均ら)
8月
1日 - 日本経済連盟会設立?(井上準之助・団琢磨ら)
8月2日 - アレクサンダー・グラハム・ベル?、発明家、死去
8日-小学館?設立
8月15日 - 西武鉄道?設立(武蔵鉄道より社名変更)
9月
9月18日 - ハンガリー?が国際連盟?に加盟
10月
10月14日:監獄を刑務所と改称
10月25日 - シベリア出兵: 樺太北部を除いて日本軍が撤兵を完了
10月27日 - ファシスト党がローマ進軍を行う
10月31日 - ベニート・ムッソリーニ?が首相に就任
11月
1日 - トルコ革命?: スルタン制廃止を宣言
4日:ハワード・カーター?らがツタンカーメンのお墓を発見。*1
11月8日 - 革新倶楽部?結成(犬養毅?・尾崎行雄・島田三郎ら)
11月14日 - イギリス放送会社?(後の英国放送協会)がラジオ放送を開始
11月17日
トルコ革命: メフメト6世?が亡命(オスマン帝国?滅亡)
アルベルト・アインシュタイン?来日(~12月29日,改造社の招聘)
26日 - ハワード・カーターがツタンカーメンの墓を発見
12月
6日 - アイルランドの南部26州がグレートブリテンおよびアイルランド連合王国?より離脱(アイルランド自由国?成立)
8日:長崎県?千々石湾?で地震。死者26人。
20日:函館・丸山楼主殺し事件?で、宮城控訴院が証拠不十分とて無罪の判決。「疑わしきは罰せず」の原則に従った。
27日 - 鳳翔? (空母)就役(世界で初めて航空母艦として起工・就役)
30日 - ソビエト社会主義共和国連邦?(ソ連)樹立宣言

 


第21巻 1941.9.30
 
彩色人情本‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
雪霊記事‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 191
雪霊続記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 207
銀鼎‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 223
続銀鼎‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 245
身延の鴬‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 275
龍胆と撫子‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 393
 



 大正12年

1923年

1923年(大正12年)9月1日11時58分頃、神奈川県西部から相模湾にかけてを震源とするマグニチュード7.9の関東大震災が発生した。 死者・行方不明者100,000人以上、全壊家屋100,000棟以上にのぼり、近代日本において首都圏を襲った最大規模の震災被害である。


4月
4月5日 - 日本共産青年同盟(後の日本民主青年同盟)設立。
4月12日 - 摂政宮(のちの昭和天皇)が台湾行啓に出発。
4月13日 - 大阪鉄道の大阪天王寺駅が開業。
5月
5月9日 - 北一輝『日本改造法案大綱』が改造社から刊行。
5月10日 - 早稲田大学軍事研究団発足(15日解散)。
6月
6月18日 - エトナ火山噴火
6月26日 - 第1回ル・マン24時間レース開催
7月
7月13日 - ハリウッドにハリウッドサインが設置
7月24日 - ムスタファ・ケマル(ケマル・アタテュルク)首班のトルコ政権が連合国とローザンヌ条約を締結
8月
8月3日 - ハーディング米大統領の死去により、副大統領クーリッジが第30代米大統領に就任
8月6日 - 事実上の国内最高気温である42.5℃を徳島県鳴門市で観測
8月13日 - ドイツでシュトレーゼマン連立内閣成立
8月17日 - 日英同盟が四カ国条約発効により失効[2]
8月25日 - 加藤友三郎内閣総辞職(首相死去)
8月28日 - 山本権兵衛に組閣命令
8月31日 - イタリアがギリシャのケルキラ島を占拠(コルフ島事件)
9月

関東大震災で損壊した凌雲閣
9月1日 - 関東大震災発生
9月2日
関東大震災: 東京市他郡部に戒厳令発令(11月15日まで)
日本で山本権兵衛が第22代内閣総理大臣に就任し、第2次山本内閣発足
9月3日 - 関東大震災: 戒厳地域を東京府・神奈川県に拡大
9月4日 - 関東大震災: 戒厳地域を埼玉県・千葉県に拡大
9月7日
関東大震災: 支払猶予令(震災手形参照)
関東大震災: 東京市内に夜間外出禁止令発令
国際刑事警察機構設立
9月8日 - 艦位測定を誤ったことが原因でアメリカ海軍の巡洋艦7隻がカリフォルニア沿岸で座礁・沈没、23人が犠牲となる(ホンダポイント遭難事件)
9月23日 -スペインでプリモ・デ・リベラ軍事政権が成立
10月
10月14日 - 幾つかの正教会の教会で修正ユリウス暦が受け入れられる。
10月16日 - ウォルト・ディズニー・カンパニー創立。
10月16日 - ドイツのマルク暴落に対して暫定通貨であるレンテンマルクの発行を決定
10月21日 - ミュンヘンのドイツ博物館にて世界初の光学式プラネタリウムの公開
10月23日 - フォッケウルフ社の前身ブレーマー航空機製造株式会社が設立される。
10月29日 - トルコ共和国成立
11月
11月8日 - アドルフ・ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)などがミュンヘン一揆
12月
12月10日 - 第47臨時議会召集
12月21日 - ネパールがイギリスから独立
12月24日 - 第1回ラグビー早明戦を行う
12月27日 - 虎ノ門事件
12月25日 - 第48議会召集
12月29日 - 第2次山本内閣総辞職
日付不詳
インダス文明の遺跡であるモヘンジョダロの発掘開始
春 - ルカーチ・ジェルジ『歴史と階級意識』。ソ連共産党のコミンテルンから厳しく批判される。しかし、エルンスト・ブロッホやカール・コルシェは支持。フランクフルト学派にも影響を与えた。ヨーロッパに於けるマルクス主義の重要文献と位置付けられる。
1月 - 11月 - ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション激化
井伏鱒二『山椒魚』
フランシス・W・デーヴィス(Francis W. Davis)とジョージ・ジェサップがパワーステアリングを開発した[3]。

 



第22巻 1940.11.20
 
妖魔の辻占‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
楓と白鳩‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥39
十三娘‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥57
みさごの鮨‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥73
鷭狩‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 127
磯あそび‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 153
朝湯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 173
女波‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 273
雨ばけ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 283
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 291
駒の話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 315
小春の狐‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 323
胡桃‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 357
火のいたづら‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 367
仮宅話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 401
きん稲‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 421
眉かくしの霊‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 431  大正一三年
夫人利生記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 483
光籃‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 513
露萩‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 529
甲乙‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 565
道陸神の戯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 609
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 637
怨霊借用‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 655
本妻和讃‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 697
 
 


大正13年  1924年


1月
1月7日 - 日本で清浦奎吾が第23代内閣総理大臣に就任
1月20日 - 中国国民党全国代表大会で連ソ・容共・扶助工農を採択(第一次国共合作)
1月22日 - イギリスでマクドナルド内閣成立(労働党が組織した最初の内閣)
1月25日 - 第1回冬季オリンピックとなるシャモニーオリンピックが開幕。(2月5日まで。)
1月26日
日本皇太子裕仁(後の昭和天皇)と同女王良子(後の香淳皇后)が結婚
ソ連ペトログラードをレニングラードに改称。
1月28日 - 日本皇太子結婚記念により東京市の上野公園・上野動物園が宮内省より市に下賜、上野恩賜公園・恩賜上野動物園となる。
2月
2月1日 - 英国がソビエト政権を承認
2月7日 - イタリアがソビエト政権を承認
2月14日 - ジョージ・ガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』初演
3月
3月3日 - トルコでカリフ制が廃止(英語版)
3月20日 - 谷崎潤一郎が大阪朝日新聞で『痴人の愛』の連載開始
4月
4月1日 - 假名文字協會がカナモジカイに改称
第1回選抜中等学校野球大会が開幕。
4月4日 - ダグラス DWCが、編成部隊による初の航空機世界一周に出発。175日をかけて、9月28日に達成する。
4月5日 - イタリア総選挙でファシスト党が勝利
4月20日 - 宮沢賢治『春と修羅』出版
5月
5月1日 - ウラジーミル・レーニン「新国家論」 邦訳。ウラジオストクで発行。
5月4日 - パリオリンピック開幕。
5月10日 - 第15回衆議院議員総選挙
5月26日 - 米国で排日条項を含む移民法が成立。日本人の移民が全面禁止される(排日移民法)。
6月
6月7日 - 清浦内閣総辞職
6月11日 - 加藤高明内閣成立
6月25日 - 第49特別議会召集
7月
7月1日 - 日本でメートル法が採用
7月17日 - 日本棋院設立
7月20日 - 国際チェス連盟設立
7月31日 - 阪神甲子園球場(当時の球場名は阪神電車甲子園大運動場)が竣工。日本初の大規模多目的野球場。
8月
8月1日 - 阪神甲子園球場の竣工式を開催。
8月16日 - ドイツ賠償問題に関するドーズ案成立
9月
9月8日 - 日本将棋連盟の前身である東京将棋連盟が設立される。
9月28日 - 4月4日に出発した4機のダグラス DWCが175日をかけて、編隊による初の航空機世界一周を達成する。
10月
10月1日 - 阪急甲陽線開業
10月3日 - ヒジャーズ王国で国王フサインが退位
10月12日 - 荒川放水路通水式(岩淵水門完成)
10月25日 - 明治神宮外苑競技場(国立霞ヶ丘競技場の前身にあたる)竣工
10月28日 - フランスがソビエト政権を承認
10月30日 - 第1回明治神宮競技大会
10月31日 - 西表島北北東海底火山が噴火。その後大量の軽石が漂流し、日本各地の海岸に漂着。
11月
11月3日 - 奉直戦争で奉天派軍閥の張作霖が直隷派を破る
11月26日 - モンゴル人民共和国成立
11月28日 - 孫文が神戸市で大アジア主義講演
財団法人東洋文庫設立
トーマス・マン『魔の山』
12月
12月1日 - 大同洋紙店(後の国際紙パルプ商事)創立
12月9日 - 岩国のシロヘビが天然記念物に指定
12月12日 - 軍艦・関東が福井県越前海岸で坐礁・沈沒
12月24日 - 第50議会召集
12月30日 - エドウィン・ハッブルが系外銀河の発見を論文で発表。



大正14年

大正末期の1925(大正14)年にやっと普通選挙法が成立し、満25歳以上の男子だけに選挙権が与えられました(女性の選挙権が認められたのは1945年です)。 大正ロマンは、大正時代に花開いた大衆文化の様子を言い表す言葉です。 大正時代は仕事をする職業婦人が登場し、洋装に断髪という特徴的な装いが生まれました。


大正15年
大正15年(1926)12月25日、大正天皇が崩御され、同日以後を改めて昭和元年とする旨の改元の詔書が発せられました。 掲載資料は、改元の詔書発布時の閣議書です


大正15年・昭和元年(1926年)




 
第23巻 1942.6.22
 
駒の話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
絵本の春‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥23
隣の糸‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥39
半島一奇抄‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥79
卵塔場の天女‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 107
河伯令嬢‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 211
ピストルの使ひ方‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 283
飛剣幻なり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 365
木の子説法‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 463
古狢‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 499
貝の穴に河童の居る事‥‥‥‥‥‥‥‥ 543  昭和六(一九三一)年九月
菊あはせ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 579
白花の朝顔‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 615
燈明之巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 687
神鷺の巻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 739
開扉一妖帖‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 795
 



昭和元年  1925年

昭和元年は、1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御なされ、その日に昭和と改元されました。ですから、昭和元年は1926年の年末のわずか7日間のみとなり、大半は大正15年ということになります。

これは奇しくも、昭和の最後の年である昭和64年と同じです。昭和天皇は、昭和64年(1989年)1月7日の午前6時33分に崩御なさいました。翌1989年1月8日からは「平成」が始まりました。

したがって、昭和の始まりの年である昭和元年と、昭和の終わりの年である昭和64年は、どちらも7日間という短い年となったわけです。感慨深いですね。

大正15年・昭和元年(1926年)の概要
大正15年・昭和元年(1926年)の動き
既成政党の腐敗と無産政党の分裂が顕著となる

改元も花の七日のカレンダー 阪井久良岐
改元の号外誤報で幕開き

大正15年・昭和元年(1926年)の高校野球決勝戦
春 広陵中(広島) 7-0 松本商(長野)
夏 静岡中(静岡) 2-1 大連商(満州)

大正15年・昭和元年(1926年)の大相撲優勝力士
1月場所 横綱 常ノ花(全勝優勝)
5月場所 前頭三枚目 大蛇山(最終優勝1回)

大正15年・昭和元年(1926年)の内閣
大正15年(1926年)1月30日に組閣した若槻礼次郎(憲政会)内閣。

大正15年・昭和元年(1926年)の政治・経済
政治・経済

1.28 加藤高明首相病死で内閣総辞職。
1.29 若槻礼次郎,憲政会の後継総裁に就任。
1.30 第1次若槻内閣成立(加藤内閣の全閣僚留任)。
2.16 政府,資本家団体の要求をいれた労働組合法案を衆議院に上程(審議未了)。
2.28 大阪の松島遊廓移転問題に関連して汚職事件摘発,政友。憲政両党の幹部検挙。
3.4 中野正剛(憲政会),衆院で政友会総裁田中義一のシベリア出兵当時の機密費横領事件などを追及。政友会,中野がソ連の手先だと逆宣伝,政友・憲政両党間の対立激化。
3.5 日本労働組合評議会,政治けF究会など左派を排除し労働農民党結成(委員長杉山元治郎)。左派の「門戸開放J要求をめぐり抗争表面化。
4.9 治安警察法改正公布(同盟罷業の誘惑。煽動を禁止した第17条。第30条を削除)。労働争議調停法公布(公益事業や軍事工場の争議への強制調停を規定)。
4.10 暴力行為等処罰法公布(大衆行動への処罰規定を強化)。治安・弾圧立法の整備。
5.21 農林省,自作農倉U設維持補助規制公布の小作の自作化を促す。
5.25 小作調査会設置。小作法案が立案されたが大日本地主協会が強く反対,議会に未提出。
6.24 府県制。市制。町村制が各改正され,普選制の採用と地方自治の権利拡張なる。
7.1 郡役F/「廃lL,道府県に学務部設置。
9.3 浜松市会議員選挙,日本初の普通選挙によって実施。以後地方選挙で普選方式が適用。
10.1 陸軍省に整備局設置(初代整備局長松本直亮少将),軍装備の近代化促進などを図る。
10.17 日本農民組合の右派勢力,日本農民党を結成(幹事長平野力三)。
10.24 総同盟など労働農民党の右派勢力,左派への「門戸開放」に反対して脱退。
11.18 豊田自動織機製作所,愛知県刈谷町に設立(資本金100万円)。
12.4 共産党再建第3回大会開催(山形県五色温泉),中央委員を選出。共産党の活動,活発化。
12.5 労働農民党脱退の右派勢力,社会民衆党を結成(委員長安部磯雄)の産業民主主義を掲げて独占資本の産業合理化を支持。
12.9 麻生久。加藤勘十ら総同盟反幹部派,浅沼稲次郎ら日農の中間派と結び,日本労農党を結成(書記長三輪寿壮)。
12.12 労働農民党,大会で民主主義実現の要求を掲げ再出発。委員長に大山郁夫就任。
12.25 大正天皇死去(47歳),摂政裕仁親王践祚祀昭和と改元。



 
第24巻 1940.6.30
 
山海評判記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1    昭和四(一九二九)年七月
-十一月
斧琴菊‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 385
薄紅梅‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 431    昭和十二年
雪柳‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 567
縷紅新草‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 663    昭和十四年(1939年)
 
遺稿‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 719
 


昭和14年

1939年9月1日、ドイツがポーランドに攻め入りました。 その2日後、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まります。 開戦当初、ドイツは破竹の勢いで勝ち進んでいきました。 1年足らずのうちに、イギリスを除く西ヨーロッパのほぼ全体を制覇したのです。

昭和14年(1939年)の社会・文化
1.7 国民職業能力申告令公布。 16~49歳の男子特殊技能者に職業能力申告手帳交付。
1.25 警防団令公布。防護団と消防組を警察の指揮下に統合し,警防団を結成。
1.28 東京帝国大学総長平賀譲,河合栄治郎・土方成美両教授の休職処分を文相に上申,経済学部の内部抗争を収拾(平賀粛学)。
3.30 砂糖・清酒などの公定価格を決定。
4.5 映画法公布。脚本の事前検閲,製作・配給の許可制,外国映画の上映制限,ニュース映画の強制上映など決定(10.1施行)。
4.12 米穀配給統制法公布。米穀商の許可制,米穀取引所の日本米穀による新米穀市場への統一などを制定。
4.26 青年学校令改正。高等小学校・中等学校に通学しない12~19歳の男子に義務化。
4.30 産業報国連盟,政府主導型に転換,労働組合の解散を推進。
5.15 軍医の需要に対応のため,帝大医学部・官立医大に臨時付属医学専門部を設置。
5.22 天皇,二重橋前に軍装で参集した1800校の学生・生徒3万2500人を親閲し,「青少年学徒に賜はりたる勅語」を下賜。
5.29 文部省,小学校5・6年と高等科男児に柔・剣道を課す。
6.7 満蒙開拓青少年義勇軍2500人の壮行会。
6.10 警視庁,待合・料理屋などの午前零時以後の営業を禁止。
6.16 国民精神総動員委員会,遊興営業時間の短縮,ネオン全廃,中元歳暮の贈答廃止,学生の長髪禁止,パーマネント廃止などの生活刷新案を決定。
7.8 国民徴用令公布。国家総動員法に基づき車需工場などに強制徴用(7.15施行)。
9.1 初の「興亜奉公日」。以後毎月1日に,酒不売・ネオン消灯・勤労奉仕などを実施。
9.28 文部省,中等学校入試で筆記試験をやめ口頭試問・内申書・身体検査を通達。
10.18 出家総動員法に基づき,物価などを9月18目の価格に強制的に停止(9・18ストツプ令)。戦時インフレにより物価は騰べし,ヤミ価格とヤミ屋が発生。
11.6 米穀配給統制応急措置令公布。農林省,米の強制買上げを実施。
12,12 軍機保護法施行規則改正。ビルや高台からの俯瞰撮彫を禁止。
12,25 木炭配給統制実施。
12,26 仙鮮総州付涼」鮮入の氏名を目本式に改めさせる(創氏改名)。

昭和14年(1939年)の世相
1月 69連勝の横綱双葉山,安芸ノ海に敗れる。
2月 政府,家庭や街頭の鉄製不急品回収を決定(郵便ポスト・ペンチ・街路灯・広告
塔・灰皿・火鉢等15品目)。
3月 各地の招魂社を護国神社と改称/大学の軍事教練,必修科目となる。
6月 映画『紫式部』,時局に不適としてフイルムがカットされ興業失敗。
7月 屑鉄業者,東京の長者番付第1位/女性の郵便配達人,東京で初登場。
8月 東京市で隣組回覧板10万枚を配布。月2回の「隣組回報」の発行も始まる/文部省,休日と土曜の午後以外の学生の競技試合を禁止。
9月 徳川夢声の『宮本武蔵』放送開始。
10月 厚生省,初年度体力章検定実施(15~25歳の男子に義務化)。 100m ・ 2000m 競走・走幅跳・手榴弾投げ・50m運搬・懸垂の6種目で,初・中・上級を判定。
12月 農林省令で米の7分掲以上を禁止。15年の正月は黒い餅で迎える/デパートの年末贈答品の大売出しや配達が廃止。門松も全廃。
この年 4っ珠のそろばんが使われ始める/慰問袋用の人形づくりが盛ん/金鎬に代わる木などの代用品玩具出回る/9 ・18ストップ令以後「ヤミ取引き」が横行,違反は20万918件。

昭和14年(1939年)の流行語
複雑怪奇(平沼騏一郎首相の声明)/ヤミ/禁制品/生めよ殖やせよ国のため

昭和14年(1939年)の流行歌
「上海ブルース」ディック=ミネ/「愛馬進軍歌」徳山趙・四谷文子/「父よあなたは強かった」伊藤久男・二葉あき子・霧島昇・松原操/「上海の花売娘」岡晴夫/「太平洋行進曲」徳山趙・波岡惣一郎/「大利根月夜」田端義夫

昭和14年(1939年)の話題の書物
本庄陸男『石狩川』/ホグベン『百万人の数学』上・下/天野貞祐『学生に与ふる僣』/谷崎潤一郎『源氏物語』26巻

昭和14年(1939年)の映画
兄とその妹』松竹;島津保次郎心肺・佐分利信・桑野通子/『上海陸戦隊』東宝;熊谷久虎監督・大日方伝・原節子/『土と兵隊』日活;田坂具隆監督・小杉勇・井染四郎/『土』(15年,映画法による第1回文部大臣賞受賞)内川吐夢監督・小杉勇・風見章子
[洋画〕『ハリケーン』(米)/『望郷』『格子なき牢獄』(仏)



『縷紅新草』は、泉鏡花の短編小説。鏡花の最後の作品で、1939年の『中央公論』7月号に掲載された。久しぶりに故郷・金沢に帰郷し墓参りをする初老の主人公「辻町糸七」に、自身の思いを仮託しながら、病苦をおして執筆した幽玄的な作品である。この作品を発表した2か月後の9月7日に鏡花はこの世を去った。







第25巻 1942.8.31

(戯曲?) 

深沙大王‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
隅田の橋姫‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥89
愛火‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥95
沈鐘‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 283
かきぬき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 481
稽古扇‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 507
夜叉ヶ池‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 579
鳥笛‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 645
公孫樹下‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 667
 
 
 
第26巻 1942.10.15
 
(戯曲2?) 

紅玉‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
海神別荘‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29
恋女房‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥79
湯島の境内‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 213
錦染滝白糸‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 235
日本橋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 257
天守物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 449
山吹‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 501
戦国茶漬‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 537
多神教‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 597
お忍び‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 637
かきぬき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 685
滝の白糸‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 686   
同郷の徳田秋声が泉鏡花の「処女作」とする。
通夜物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 693
湯島詣‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 711
日本橋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 741
白鷺‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 749
 
 
 
第27巻 1942.10.20
 
小品
神楽坂七不思議‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 3
妖怪年代記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 5
鉄槌の音‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20
迷子‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥21
十万石‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥27
怪談女の輪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥40
森の紫陽花‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥47
山の手小景‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥51
術三則‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥55
聞きたるまゝ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥57
花間文字‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥58
妙齢‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥61
銭湯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥65
松の葉‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥71
画の裡‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥89
麦搗‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥95
鑑定‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 102
人参‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 108
一席話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 115
唐模様‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 127
廓そだち‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 142
みつ柏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 150
雛がたり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 171
五月より‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 180
月令十二態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 184
番茶話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 190
婦人十一題‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 205
くさびら‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 213
祭のこと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 217
露宿‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 221
十六夜‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 241
間引菜‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 257
春着‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 284
湯どうふ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 301
二三羽―十二三羽‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 307
玉川の草‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 334
火の用心の事‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 339
真夏の梅‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 356
麻を刈る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 365
深川浅景‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 391
鳥影‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 444
九九九会小記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 447
木莵俗見‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 453
若菜のうち‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 473
紀行
弥次行‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 483
熱海の春‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 492
城の石垣‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 494
吉浦蜆‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 497
道中一枚絵 その1 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 501
道中一枚絵 その2 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 510
左の窓‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 518
日記の端‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 524
大阪まで‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 527
七宝の柱‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 540
飯坂ゆき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 560
雨ふり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 574
玉造日記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 592
栃の実‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 672
城崎を憶ふ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 679
十和田湖‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 691
御存じより‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 722
啄木鳥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 752
十和田の夏霧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 776

あの紫は‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 781
簑着て通る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 783
田植‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 784
色鳥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 788
神楽坂の唄‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 791
小袖幕‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 794
裏木戸‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 798
ゆふ月‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 800
野路の雨‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 801
まる髷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 802
やたい‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 803
をかぼれ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 804
あけやすき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 805
夏帽子‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 806
しののめ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 807
滝の白糸‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 808
俳句‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 811
春‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 813
夏‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 818
秋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 824
冬‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 828
 


 
昭和2年

昭和3年


 
第28巻 1942.11.30
 
(随筆、批評、感想?)

未定稿
龍胆と撫子 続篇‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1
雑記
愛と婚姻‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 241
御殿坂下お笑草‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 246
百物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 248
恋愛詩人‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 251
ありのまゝ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 252
雑句帖‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 254
醜婦を呵す‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 281
赤インキ物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 284
竹屋の渡‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 295
飛花落葉‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 298
丸雪小雪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 311
春狐談‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 318
狸囃子‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 325
一葉の墓‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 328
手帳四五枚‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 330
逗子だより‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 337
絵はがき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 338
草あやめ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 339
白屈菜記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 345
紅葉先生逝去前十五分間‥‥‥‥‥‥‥ 347
かながき水滸伝‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 349
小鼓吹‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 357
北国空‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 369
仲の町にて紅葉会の事‥‥‥‥‥‥‥‥ 374
かな自在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 382
逗子より‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 387
知つたふり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 391
あひあひ傘‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 399
曙山さん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 417
かしこき女‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 422
蘆の葉釣‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 428
新富座所感‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 431
怪力‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 439
喜多八のために‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 449
一寸怪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 452
雁われの秋茄子は所帯持の珍味‥‥‥‥ 458
師走の夜は‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 459
初めて紅葉先生に見えし時‥‥‥‥‥‥ 459
遠野の奇聞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 462
一銚子‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 471
一景話題‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 474
豆名月‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 483
松翠深く蒼浪遥けき逗子より‥‥‥‥‥ 484
花見風俗‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 485
夏目さん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 485
縁日‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 488
煙管を持たしても短刀位に‥‥‥‥‥‥ 491
寸情風土記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 493
私の事‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 506
みなわ集の事など‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 507
入子話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 512
献立小記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 526
弴さん小話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 531
健ちゃん大出来‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 534
弴さんと一酌‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 536
雨のゆふべ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 540
うどんの岡惚れ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 544
雑録
起居動作‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 549
礼式所感‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 552
当世女装一斑‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 555
寝姿百形‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 565
謹写‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 568
ことば、人魚‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 570
『金色夜叉』小解‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 574
『泉鏡花篇』小解‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 582
『斧琴菊』例言‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 592
弔詞
紅葉先生弔詞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 599
芥川龍之介氏を弔ふ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 600
報条
二番目狂言は‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 603
画博堂報条‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 604
妖怪画展覧会告条‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 604
若松家挨拶‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 606
魚徳開店披露‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 606
山本特製海苔報条‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 608
尺牘
『新派俳句集』の序を求められて‥‥‥ 611
色彩の嗜好‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 611
短冊さしあげ申候‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 612
手紙一通‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 613
鳴涛館より‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 614
夏期学生の読物‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 615
雅号の由来‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 615
八月のある日‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 616
千鳥さん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 616
なつかしい人だつたのに‥‥‥‥‥‥‥ 619
私の好きな夏の料理‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 619
『尾崎紅葉集』について‥‥‥‥‥‥‥ 620
序題
『めぐる泡』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 623
『田毎かゞみ』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 623
『聖人乎盗賊乎』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 624
『新選怪談集』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 625
『四国だより』はしがき‥‥‥‥‥‥‥ 626
『諸国童謡大全』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 626
『お伽花束』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 627
『怪談会』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 627
『袂かゞみ』に題す‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 628
『窓の四季』に題す‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 629
『デモ画集』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 629
『鏡花叢書』自序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 630
『数奇伝』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 631
『菖蒲貝』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 632
『文章日記』題‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 632
『文章日記』題‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 633
『八笑人』改版序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 633
『朧夜の頃』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 634
『中央文学』及び『文章日記』題‥‥‥ 635
『泉鏡花集』序詞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 635
『美人画全集』に題す‥‥‥‥‥‥‥‥ 636
『ゆかりの園』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 637
『築地川』序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 639
広告
『通夜物語』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 643
『三枚続』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 643
『黒百合』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 644
『田毎かゞみ』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 644
『風流線』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 645
『続風流線』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 645
『伊勢之巻』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 646
『なゝもと桜』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 646
『愛火』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 647
『婦系図』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 647
『白鷺』予告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 648
『恋女房』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 648
『愛染集』広告‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 649
『山海評判記』作者より‥‥‥‥‥‥‥ 650
談話
小説文体‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 653
いろ扱ひ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 653
創作苦心談‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 660
滝の白糸について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 662
柳のおりうに就て‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 662
おもて二階‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 664
真情‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 671
女優力枝評‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 673
処女作談‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 674
おばけずきのいはれ少々と処女作‥‥‥ 677
たそがれの味‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 683
ロマンチツクと自然主義‥‥‥‥‥‥‥ 684
そのころ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 692
予の態度‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 693
むかうまかせ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 698
文士と酒、煙草‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 701
小説に用ふる天然‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 702
会話、地の文‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 702
座談より‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 705
談話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 707
旧作の回顧‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 708
三越趣味に就て‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 711
怪異と表現法‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 713
歩くことばかり思つて歩く‥‥‥‥‥‥ 715
小説の地の文の語尾‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 717
文章の音律‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 717
芸術は予が最良の仕事也‥‥‥‥‥‥‥ 719
一度は恁うした娘の時代‥‥‥‥‥‥‥ 722
文芸は感情の産物也‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 723
何が故に文芸革新会に入りしか‥‥‥‥ 728
事実の根柢、想像の潤色‥‥‥‥‥‥‥ 730
描写の真価‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 733
望みある俳優‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 735
夏の夕‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 737
紅葉先生の玄関番‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 739
身だしなみの善い婦人と悪い婦人‥‥‥ 743
事実と着想‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 746
今の女も時代的‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 749
滑稽趣味‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 750
旧文学と怪談‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 751
女の保護色‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 752
京都の印象‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 756
平面描写に就きて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 757
文芸と東京‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 761
お花見雑感‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 763
わんぱく物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 765
文章上達の順序‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 765
作物の用意‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 770
草双紙に現れたる江戸の女の性格‥‥‥ 772
丸で形なしと御承知あるべし‥‥‥‥‥ 778
江戸の女‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 779
万斛の涼味‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 782
能楽座談‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 784
昔の浮世絵と今の美人画‥‥‥‥‥‥‥ 790
三つの色々‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 795
女の所から手紙‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 801
東京の女と大阪の女‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 806
情景相伴ふ名物の美‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 809
華やかな思出‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 811
水際立つた女‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 813
古典趣味の行事‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 818
自然と民謡に‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 819
作のこと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 821
中庸の人‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 825
新春閑話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 826
堀の鴎‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 830
紅葉先生の追憶‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 832
「役者本位」が変わらねば‥‥‥‥‥‥ 837
茶話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 840
雑‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 842
 
 
 
別巻 1976.3.26
 
(補遺、会談、座談、書簡?)

補遺
琵琶伝‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 3
海城発電‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥33
妖剣紀聞‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥61
定九郎‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 135

会津より‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 159
本郷座の高野聖に就て‥‥‥‥‥‥‥‥ 160
描写の上より見たる犯罪‥‥‥‥‥‥‥ 164
抜萃帖から‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 168
幼い頃の記憶‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 170
なつかしい「蛙」のはなし‥‥‥‥‥‥ 175
三十銭で買へた太平記‥‥‥‥‥‥‥‥ 177
熱い茶‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 179
新潮合評会‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 181
泉鏡花座談会‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 228
泉鏡花と梅村蓉子‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 265
原作者の見た「日本橋」‥‥‥‥‥‥‥ 274

書簡‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 279
書簡下書‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 355
参考篇
飛縁魔物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 401
白鬼女物語‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 403
X+Y‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 414
墓参の記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 415
黒壁‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 417
ほたる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 423
第八大吉‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 426
蔦太郎‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 431
鮒の牲‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 438
他流仕合‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 441
玉章びき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 443
競争小話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 448
昔馴染‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 450
紅の記‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 457
新泉奇談‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 467
*泉鏡花自筆原稿目録 慶応義塾図書館蔵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 627
*〔参考資料〕春陽堂版鏡花全集巻一所収 泉鏡花年譜‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 717
*泉鏡花作品年表補訂‥‥‥‥‥‥‥‥ 725
作品解題(村松定孝)‥‥‥‥‥‥‥ 733
*後記(村松定孝)‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 875
*総目索引








     鏡花の死其他

           
                         昭和14年

             1

 泉鏡花氏が逝去された。謹んで哀悼の意を表する。「縷紅新草(るこうしんそう)」(「中央公論」七月号)が、遂に最後の作品となったわけだが、あれにも蜻蛉(とんぼ)のお化けが二匹、女のお化けが二人出て来ていた。「高野聖」の昔から、この作家は、倦きずにお化けばかりを描いて来た。近頃お化けも流行らない、従って鏡花も一向に流行らない大家として逝去された。と言えば冗談口めいて聞えるかも知れないが、流行る流行らないの原因などは、先ずそんな処に在るより他はないもので、実際の処、流行の方がそもそも半ば冗談事に過ぎないのである。
 流行などという平俗な言葉を使うのが嫌な人が、時代意識がどうの、歴史がどうの、歴史の必然がどうのと言ってみても、言葉というものは、人の口の端に上り始めれば、見る間に平俗化してしまうどう仕様もない強い傾向を持っているから、折角の新解釈も、忽ち元の木阿弥で、根本の物の考え方には一向進歩の跡も見られぬ。ヒュウマニズムの流行もパーマネント・ウエーヴの流行と同じ性質のものだぐらいの常識を備えていないと、現代に処する事は難かしいのである。



泉鏡花   小説家。明治六年(一八七三) 石川県生れ。独自の浪漫的・幻想的境地
を開いた。作品に「高野聖」 「歌行灯」 など。昭和一四年(一九三九)九月七日没。
享年六五。


高野聖    泉鏡花が明治三三年に発表した小説。僧宗朝が、若い頃の飛騨山中での
不思議な体験を語る。


ヒュウマニズム   二〇〇頁参照。




 先日、読みそこねた「縷紅新草」を、町の人気のない図書館で読んでいると、いろいろな事が、次々に考えられた。僕は、所謂鏡花の世界という様なものには、凡そ縁が遠い人間だと思っているのだが、僕より若い人達は言う迄もないとして、僕の年頃の人達では、鏡花の作品は沢山読んでいる方だと思う。読む都度、どんな興味が自分を捉えたのかを反省すると、結局それは、この作者の、言葉というものを扱う比類のない手腕に捉(つかま)ったというより他はない様である。
 うまい作家と言われる人は多い。又、うまいと言っても、うまくなればなる程、我慢のならぬ様な種類の人もあるし、まずそうでうまいという様なひねくれた人もあるし、いろいろな段階がある様だ。と言うより、寧ろ作家が自らそういう階段を作ってみては、上ってみたり下りてみたりしている、と言った方がいいかも知れない。うまくなろうとしたり、自分のうまさに不安を感じたりしているわけで、才能の錬磨が、才能の玩弄に落ちない事は、先ず稀有だと言っていい。
 鏡花のうまさという様なものになると、うまさの階段を驀地に登り詰めて、もうその先きがないと言った様なもので、彼がうまいのか、うまさが彼なのかよく解らない。こういう作家には、化かされなくても、少しも自慢にならないから、化かされている方がいいに極っている。


驀地に(ばくちに)   まっしぐらに。


 鏡花の世界は、音を省いた詩の世界であって、言ってみれば、現実の素材という様なものがない。登場人物が如実に描けているか、いないかという様な事は、登場するお化けの如実さを云々する程の意味もない。まして、相も変らぬ陳腐な型で、芸者は伝法であり、肴屋は江戸ッ子であっても、作者の建前から言うと、一向差支えない。蜻蛉のお化けさえ出そうという人に、肴屋の型の新旧など、問う処ではないわけである。


伝法   勇ましいさま。特に女性が勝気にふるまうさまをいう。



 所謂鏡花の世界は、現代小説家の世界から、非常に遠い処にある様に見える。つまり、現代小説家は、いろいろな点で、所謂鏡花の世界を逃れようとし、又逃れ得てはいるだろうが、鏡花の魂からは逃れられるものだろうかどうか。何故かというと、鏡花という人は、凡そ作家というものに関する、恐らく一番根本の或は一番難解な問題に於いて、凡そ徹底しているからだ。
 そう言えば、何もこの人だけに限るまいと言うかも知れないが、この作家では、問題が非常に純粋な形で現れているのだ。視野の狭さ、頑固さ、或は感受性のある傾向、いずれ、いろいろな条件の、ある幸運な出会いの結果であろうが、兎も角、小説家と言われる人々の間では勿論、詩人にも稀有な、純粋な形で現れている。
 読者は、既に僕の言い度いところを、推察したであろうが、文章の力というものに関する信仰が殆ど完全であるところが、泉鏡花氏の最大の特色を成す。文章は、この作家の唯一の神であった、と言っても過言ではないので、これに比べると、殆ど凡ての現代作家達が、信心家とは言えない。多くの神、多くの偶像の間を、彷復している。
 泉氏は、言葉の世界のなかに、完全に閉じ寵った。事実はそこに這入って行けない。社会の諸々の事実や事件も、作者自身の瑣事さえも、実際世界で得ていた命を捨てて、美しい言葉として、全く生れ変らない限り、作者の世界には這入って行けない。作者の信じたものは、言葉の影像の絶対の価値だけであり、それらの諸価値の間に、作者が捕え得たと信ずる或る必然関係だけであって、そこに編み出される言葉の建物は、作者には殆ど不朽のものと思われた。「縷紅新草」は、現代の世相に関係がないどころか、作者自身の生活にさえ関係がない。作者の白髪も見えなければ、皺もない。老成人の風格という様な曖昧なものさえない。この作者が信じた世界の変らぬ青春から見れば、浮世の苦労の染みた文章の風格という様なものは、人間の果敢なさの最後の仮面と言った様なものと映らぬとも限らぬ。それほど鏡花の世界は、嘘ばかりから出来た真である。
 所謂浪漫派の典型と言うかも知れないが、そうばかりでは片付かない難問もある。例えば鏡花の流儀は、現代のリアリストが無邪気に考える程、果して風変りなものだろうか、架空な仕事であろうか。鏡花は、嘘から出る真だけを信じた。言わば無から形あるものを創る仕事だけを信じた。盲信したと言ってもいいだろう。いずれ信仰には常に明証が欠けているし、美学は、そういう事柄に閲し、失敗を繰返す他何にもしない。併し、畢竟そういう仕事より他に、一般に芸術家というものの悦びがあるのだろうか。どんなに明敏な分析力を持った芸術家でも、心底にこの盲信を蔵している。分析が其処までとどかぬ、という様な筋のものではなく、進んで信じなければ、埒のあかぬものを蔵する。これが芸術に於いて、その原始の性質を持続させるものであり、芸術に於ける人間的な性質も、其処にあるのかも知れぬ。




浪漫派   一八世紀末から一九世紀初頭にかけて、ヨーロッパで展開された文学・芸術上の思潮・運動動。古典主義・合理主義に反抗し、自然・感情・空想・個性・自由の価値を主張する。日本では、他に北村透谷、初期の島崎藤村、与謝野鉄幹・晶子、薄田泣菫など。


畢竟  つまるところ、結局。




 在るが儘の真では足らず、嘘から真を創り出そうという欲望ほど、人間の刻印の確かなものもあるまいから。これに比べると、現代小説家の言う人間的という言葉などは、案外、動物的な性質以外のものを指していないかも知れない。
 又、こんな風にも考える。鏡花は、自分の裡から出て来る言葉しか信じなかった。そして、そういう言葉が、やがて、出来るだけ明瞭な特殊な形となって完了しようとする傾向がある以上、その筋道に関して、出来るだけの工夫と監視とを怠るまいとした。この仕事が氏の全精神を充たし、そこにどんな波乱が起っていようと、外から見た処、単純極まる生涯を終えた。これは浪漫派作家の典型だろうか。それとも凡そ作家というものの典型だろうか。
 僕は、寧ろここにも、芸術家というものの、非常に原始的な性質を見る様に思う。子供は、万人の言葉より自分の言葉の方が理解し易い事を疑わないであろう。誰にでも当て畝まる言葉、つまり誰のでもない言葉の方が、自分の独自より理解しやすいと考える為には、教育による第二の天性を必要とするだろう。若しそういう子供の理解力の生ま生ましさを失わずにさえいれば、自分の言葉の確実さに比べれば、万人の言葉は皆疑わしいと断言する成熟人も可能なわけだ。童心の喪失が、人間をイデオロジストにするのかも知れない。
 実証的事実というものが、万人の言葉で代置出来る事実というもの以外のものを指さない以上、自分の言葉が一番信じ易い作家にとって、これは、多かれ少かれ、疑わしいものたる事を免れまい。



イデオロジスト    ideologist(英) 特定の社会的観念の捉唱者。また、特定集団の掲げる主義主張を疑いもせず受け入れて主張する人。



してみれば、実証的事実の検討によって、社会なり自然なりの本質を極めようとする仕事も、自分の裡に閉じ籠り、その表現作用に工夫を廻らす仕事に比べれば、何処まで歩けば安心がいくというのか、一向不確かな仕事に過ぎまい。
 こういう流儀は、芸術家とともに古く、又芸術家とともに日に新しいと考えざるを得ない。これは僕には明瞭な事の様に思われる。少くとも、現代小説家の言う客観的などという言葉のわけの解らなさに比べれば。




     2




 現代の作家は、次第に言葉の力に関する信仰を失って来た。では、その代り、物に関する、事実に関する信仰に熱烈なものを抱いているか。例えば、鏡花が内部の世界を眺めた眼の強さと同じ様な強さを、外界を眺める眼に持っているか。どうもそういう風には見えない。言わば言葉の力を信じ得る理由とほぼ同数の、言葉を信じ得ない理由を抱えて、まごまごしている様に見える。気が散れている様に見える。これも時代の然らしむるところに相違なかろうが、時代の然らしむるところというのが、猫も杓子も気が散れているという以上の意味を持っているかどうか、かなり疑問だ。
 近頃、文壇で散文精神という事が言われている。皆、どういう事だかよく解らぬと言っているが、別に深い仔細はないらしい。解らぬと言えばさっばり解らぬし、解ると言えば、馬鹿々々しい様な事、という種類の言葉の一つの様に思われる。平たく言えば、なるたけ在りそうな事を、従って理解しやすい事を書くのが、小説というものの味噌だ、というぐらいの意味だろうと思う。少くとも散文精神というような曖昧な原理からより、そういう平易な原理から、よほど楽に、殆ど大部分の現代小説が演繹出来るように思われる。


演繹   一般的な原理から、特殊な事柄を、論理的手続きのみで推論すること。



 現代人は、神秘的という言葉を使うのを厭がる。これも鏡花のお化け同様、流行りすたりの関係であって、現代に格別神秘的な事柄が減ったわけではない。人生は理解出来る事柄と同様に理解出来ない事柄も必要とするだろう。率直に考えれば、それは殆ど自明の理である。お化けが恐いのはお化けが理解出来ないからであり、自然が美しいのも自然が理解出来ないからであろう。自然が日に新たにその不可解な全体を現す事は、風景画家がよく知っている。友人が完全に理解出来たら友情もあるまい。それも、理解しても理解してもまだ理解出来ないところがある、という様な筋のものではあるまい。その様な事は友情に関するほんの一要素だ。或は一要素にもならなかったりするものだ。友は、日に新たに理解出来なくとも、少しも差支えのない全体として現れる。愛情は、そういう全体しか見やしない。各人が自分の友情について、少しでも反省したら、誰も知り過ぎる程知っている事柄である。
 僕は屡々不思議に思う事がある。小説家で、詩や音楽や絵が好きな人がずい分あるが、彼等は、そういうものに、別して在りそうなものも、解りやすいものも求めてはいない。ところが、小説の事になると、まるで人間が変った様に、人生は解っている様な顔をしたがる。当人はわれに返った積りかも知れないが、傍目からは商売に返ったとしか思われぬ。
 どういう商売かというと、人生のあちらこちらに縄張りをして、其処を、在りそうな、理解し易い、何か或るものにしてみせる商売である。従って人生は、はじめから、在りそうな、理解し易い、ばらばらの諸事象から出来上っていると見て、仕事にかかるのが好都合である。現代の小説家は、例えばフロオベルから、リアリズムという小説技術は学んだ筈なのに、彼が信じた様な絶対的な小説という言葉による創造の世界の絶対性などは、もう到底信ずる力がない。
 いい小説が再読三読に堪えるという事は、言い代えれば、これを理解しようとして、これを別の形式に要約して了えない、要約する必要もないという事に他ならない。それは依然として、不可知な生き物として僕等に影響する。現代の小説は、いよいよこれと反対の傾向を辿っている。大多数の小説が解って了えば、それで万事がお終いである。若干の刺戟をきっかけとする、皮相な人生の理解という読者の一消費を目当てにしか、作者の方でも、もう小説というものを書かぬ。
 小説という第二の自然、或は第二の人生の、堅固な独立した世界を築き上げるという様な信仰は、もはやなく、人生と読者との間に挟まり、何も知らない青年子女の為に、恰も教育原理を失った教育者の如く、極めて任意に、人生註釈の労をとらんとするのが、現代小説の趨勢である。従って、なるたけ在りそうな事、理解しやすい事と心掛けるが、まかり間違えば、忽ち在りそうもない事、理解し難くて大いに差支えるという様なものも書く事になる。



フロオベル   Gustave Flaubert フランスの小説家。一八二一~一八八〇年。作品に「ボヴァリー夫人」「感情教育」など。



昭和14年(1939)37歳 




 この辺りの事情を示す、かなり込み入った好例をこの月の小説で見た。武田麟太郎君の「短篇小説集」(「改造」)である。久し振りで読むので楽しみにしていたが、全く落胆して了った。小説に毒されて、人生を見る眼が曇って了った様な読者を、こういう小説で騙す事は出来ようが、率直な眼は騙す事は出来ない。彼の出世作「市井事」には、こんな出鱈目な人生の図はなかった。どうしてこんな事になったのか。そんな事はわかり切っている。今度はどんな趣向で書こうかと苦労する小説稼業というものが、作者を何が本当やら何が嘘やらわからぬ世界に連れ込んで了ったのである。この「短篇小説集」の人生は悉く嘘である。僕は鏡花の嘘は認めるが、この種の嘘は認めない。鏡花のは嘘から出た真であり、武田君のは言わば真から出た嘘に過ぎない。
 集中の「大凶の籤(くじ)」という短編には、狐のお化けが出て来るが、鏡花のお化けとは、まるで性が異う。お化けも下落したものだと情けない。お化けが信じられない人が、お化けなど描いてみても始らないのである。鏡花はお化けの存在を確信しているから、お化けが在りそうなものか、在りそうもないものか、という様な問題は、作者にはてんで起らない。泉氏はほん物の神秘家の魂を持っているが、武田君の頭に、小説趣向の必要上、仮りに宿を借りた神秘家は、贋物である。在りそうもないお化けを、在りそうなお化けに見せる工夫(これが武田君が努めた工夫であるが)そういう工夫によってお化けは出るのではない。
「大凶の籤」は、この集のエピグラフの様なものであり、以下の諸短篇は、みな在りそうもない事を在りそうに見せる工夫であり、人生図と称すべきものではない。



武田麟太郎   小説家。明治三七年(一九〇四)大阪生れ。この年三五歳。プロレタリア作家として出発、後に市井事ものを発表。昭和二一年(一九四六)没。


短篇小説集   『改造』昭和一四年九月号に、武田麟太郎は創作四篇を「短篇小説集」と題して発表した。


市井事   昭和七年、武田麟太郎は井原西鶴の手法に示唆を得て「日本三文オペラ」を発表、翌八年の 「釜ヶ崎」「市井事」「勘定」と庶民の生活感情や不平不満を描く一連の(市井事もの)で現代社会への批判を浮び上がらせようとし、昭和九年、「銀座八丁」(長編)、同一〇年、「一の酉」と書き継いだ。


エピグラフ  epigraph(英)本の巻頭や章の初めに記す題辞や引用。


そしてそういうエ夫に、これは武田君に限らぬが、現代小説家が一番便利な道具として借用しているものは、心理描写というものである。心理主義というものは、現代小説に氾濫しているが、プルウストの様に、世界は、夢で織られているとするほどの大胆さは、何処にもみられぬ。現代作家にとって心理とは、恰も諸事件を煉瓦の様に組み上げるセメントの様なもので、物語の筋なり、人物の行為なりを、なるたけ理解しやすいように話して聞かせる為の説明の具という、甚だ消極的な用しか務めていない。
 だが、このセメントの使用法は非常に微妙であり、一定の方法もないから、全く偽りの説明が、いかにも尤もらしい外見をとるという事も屡々起るのである。「婚約者」という短篇など、その好例だ。以下、どれも、在りそうもない事を、在りそうに見せる為に施した、心理的説明という惑わしい工夫に、多かれ少かれ、作者自身が化かされている。鋭敏で而も何か新趣向をする趣味のある作家には、起り勝ちな事で、横光利一氏など屡々化かされている。



プルウスト Marcel  Proust フランスの小説家。一八七一~一九二二年。作品に、記憶の深層、意識
下の心理などを基礎的主題とする長篇小説「失われた時を求めて」がある。


横光利一     小説家。明治三一年(一八九八)福島県生れ。作品に「日輪」「上海」「機械」「紋章」など。昭和二二年(一九四七)没。






神風という言葉について

        昭和一四年(一九三九)一〇月、『東京朝日新聞』に発表。
 


 今度の欧洲大戦は神風だと言われている。そういう言葉の流行に腹を立てている人もある。いざとなると神風が吹く、という様な非科学的迷信で、難局を切り抜けた様に思って、得意になるのが、日本人の性格だ、と論じている文章にも出会った。
 併し、神風という言葉が、人々の口の端に上ると、直ぐそれから、迷信深い日本人の性格という様なものを引き出そうとする心掛けが、神風という言葉を発明する心掛けより上等だとは思えない。
 神風という言葉の流行から、迷信深い日本人の心などというものを思い浮べるのは、批判病患者が、われ知らず行う下手な手品の様なもので、流行の性の悪さは、寧ろそういう手品師側にあるのだ。
 神風とは誰がいい出したのか知らないが、所謂迷信家の間に言い出された言葉ではない事は確かである。寧ろ普段迷信などというものは一向気に掛けず、世間の動きに注意を怠らず、新聞の報道にも人一倍敏感の人達が、欧洲大戦の報に出会ったショックから発した、とそう考えた方が、勿論自然なのであって、そういう処に、今日の「神風」流行の特色が見られる。「神風」も進歩したのである。




今度の欧洲大戦   この年、一九三九年九月、ドイツがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦。


神風   民や国土の危急を救うため、神が起した幸運の大風の意。昭和一二年(一九三七)七月以来の日中戦争終結の期待をこめて、ヨーロッパで新たに始った戦争を日本にとっての神風ととる意見が新聞等で取り沙汰されていた。



明治維新の当時、普仏戦争勃発の気配を見て、これを国民が神風だなどと言わなかったのも、世界情勢に関する国民の知識が遅れていたからである。
 神風という言葉に、単に好都合な歴史の偶然という意味しかないならば、神風の大きいのや小さいのは、現代、世界中を吹き廻しているに違いない。してみると、歴史の偶然を、神風と呼ばなければ承知の出来ない日本人の心というものにだけ意味があるわけであり、この心は、どう安値に積ってみても迷信深い心とはなりそうもない。果して神風であるか、ないかは歴史が決定するであろう、などというロの利き方が一番いけない。
 そういうのが思慮のある考え方とされている風があるのだが、落ち着いて考えてみれば、人間らしい思慮とか思想とかいうものから寧ろ遠い考え方で、つまるところ、身も蓋もない口の利き方に過ぎない。

 今日は世界の歴史が、むごたらしい様で激しく動き、日本も、嘗て出会った事のない危険な事態に出会って、何処を見渡しても、心ない事実の乱雑、実情の変転で空想や想像の生きる余地もない有様だ。前総理は、これを複雑怪奇な事態と言ったが、大臣の声明に怪奇などという言葉が現れたのは、文明開化以来、はじめての事である。
 そんな言葉まで、ここに持ち出すというのも、総理大臣ともあろう者が、複雑怪奇とは滑稽である、という風な説にも出会うからである。



普仏戦争   一八七〇~七一年、ドイツ統一をめざすプロイセンと、これを阻もうとするフランスとの間で行われた戦争。プロイセンが圧勝、統一を完成してドイツ帝国の成立を宣言した。


前総理   平沼騏一郎をさす。この年、昭和一四年(一九三九)一月組閣、同年八月、独ソ不可侵条約締結に「欧州情勢、複雑怪奇」と声明して総辞職した。




方針は立たぬより立つ方がいいに決っているだろうが、複雑怪奇という言葉は総理大臣が言っても少しも滑稽ではない。表現は下手かも知れないが、実感が龍っている。
 大臣の声明に実感の籠った言葉が現れるという様な事は、わが国では奇蹟めいた事であって、これはやはり進歩と言うべきだろう、と僕など秘かに考える。
 ポーランドに出征するドイツの兵士達が、黙々として打沈んで見えた、という報道を新聞で読み、何んとなく、ははあ成る程といった気持ちを覚えたが、間もなくフランスに上陸したイギリス軍隊の様子が、通信に現れた。この前の大戦の時には、チぺラリイの歌で大賑いであったが、今度のイギリス軍隊はまるで違う。そういう浮わついた処は少しも見えない。皆、大決心を心に秘めたという面持ちで、老人達は、今度の軍隊は、実に頼もしいと言っている、と書いてあった。チペラリイを歌う軍隊の方が、頼もしいかも知れないではないか、黙りこくった顔が、何を秘めているか解ったものではあるまい、と読んでいてそう思った。
 それから又間もなくの事だ。「ドイツ秘密外交の暴露」という見出しで、ロンドン発同盟の通信に、まことに興味深い記事が現れた。ピットラア総統は、ポーランドとの開戦前、若しイギリスがポーランドを放棄すると約束するなら、自分は芸術家としての余生を送るであろう.............



この前の大戦  一九一四~一八年の第一次世界大戦。

チペラリイの歌 「チペラリイ」Tipperaryはアイルランド共和国南部の州および都市の名。第一次世界
大戦中、イギリスでIt's a long way to Tipperary で始まる軍歌が流行した。

ヒットラー総統   Adolf Hitler ドイツの政治家。一八八九年オーストリア生れ。一九二一年、国家社会主義ドイツ労働党(略称ナチス)の党首となる。三三年、首相、翌年総統に選ばれ、軍備を拡大、対外侵略を強行、三九年にポーランドに侵攻して第二次世界大戦を起した。若年期には画家を志していた。









鏡花全集 作品説明










inserted by FC2 system inserted by FC2 system