2023.12.31



鏡花全集


荷風全集 初版 全28巻    昭和38年


  『荷風全集』全29巻(岩波書店、1962.12〜1974.6)
   ※初版は全28巻。第2刷(1972〜74)刊行時に新資料1巻を追加し、全29巻となった。






   「ひかげの花」

 「ひかげの花」は永井荷風氏の作の中でも、私の好きなものである。編輯着から、作品評を求められたが、批評する気はない。私は、たゞこの非凡な文章を再讀して楽しかつたと言ふだけである。夜更けの神楽坂を歩き乍ら、重吉がお千代に、内緒の商賣を白状させるところがある。前に讀んだ時に感服して、よく覚えてゐたが、今度讀んでも、初めて讀む様な新鮮な感がした。
 私は永井氏を現代随一の文章家と思つてゐるが、最近の文章では、「葛飾土産」の中にある、眞間川の流れを辿つて歩く文章が實にいと思つた。あゝいふ文は誰にも書けぬ。あの文でもよくわかる様に、永井氏の文章は、観察といふ筋金が過つてゐる處が、非常な魅力である様に思はれる。「ひかげの花」にしても、さうである。あれは、執拗に見る人の作であり、分析家や心理家の作ではない。 それから、この作のもう一つの特色は、作者の人生観がよく現れてゐるところにあると思ふ。それはひかげの花の様に暮してゐる人々に對する作者の強い共感である。眞間川といふ世人から忘れられた凡庸な川の流れを辿つて孤獨な散歩をする様に、作者は、かういふ人生のひかげの花々を摘むのである。華々しい教養や文化は、寧ろ眞の人間性を覆ひかくして了ふものだ、さういふ作者の確信は恐らく大變強いものであらう。世人は永井氏を變人だと言つてゐる様だが、世間に變人と思はせて置く、こんな好都合な事はない、と永井氏は考へてをられるのではないかと思ふ。
                                      
      (「荷風全集」月報、昭和二十六年一月)  小林秀雄全集第十巻 33-34頁





第1巻 1963.7.12
 
おぼろ夜……………………………………… 1
烟鬼……………………………………………15
花篭……………………………………………31
かたわれ月……………………………………39
濁りそめ………………………………………47
三重襷…………………………………………57
薄衣……………………………………………75
夕せみ……………………………………… 129
をさめ髪…………………………………… 149
うら庭……………………………………… 183
闇の夜……………………………………… 191
花ちる夜…………………………………… 207
四畳半……………………………………… 249
青簾………………………………………… 265
小夜千鳥…………………………………… 273
山谷菅垣…………………………………… 301
桜の水……………………………………… 319
新梅ごよみ………………………………… 329
いちごの実………………………………… 423
野心………………………………………… 431
*後記……………………………………… 515
 


1897年
2月 - 初めて吉原に遊ぶ。
- 中学校を卒業。父久一郎官を辞し、日本郵船会社に入社、上海支店長として赴任。第一高等学校入学試験に失敗。9月から11月まで両親、弟たちと一緒に上海で生活するが、帰国して、同年に新設された神田一ツ橋の高等商業学校(現一橋大学)附属外国語学校清語科に入学する[4][40]。
1898年
9月 - 『簾の月』という作品を携え、広津柳浪に入門。
1899年
1月 - 落語家六代目朝寝坊むらくの弟子となり、三遊亭夢之助の名で席亭に出入りする。秋、寄席出入りが父の知るところとなり、落語家修行を断念。『萬朝報』の懸賞小説に応募入選するなど、習作短編が新聞雑誌に載るようになる。
12月 - 外国語学校を第2学年のまま除籍となる。



第2巻 1964.6.12
 
闇の叫び……………………………………… 1
地獄の花………………………………………33
新任知事…………………………………… 173
夢の女……………………………………… 225
夜の心……………………………………… 391
燈火の巷…………………………………… 437
すみだ川…………………………………… 469
庭の夜露…………………………………… 497
*後記……………………………………… 507
 


1900年
2月 - 父久一郎日本郵船会社横浜支店長になる。この年巖谷小波を知り、その木曜会のメンバーとなる。また、歌舞伎座の立作者福地桜痴の門に入り作者見習いとして拍子木を入れる勉強を始める。
1901年
4月 - 日出国新聞に転じた桜痴とともに入社、雑誌記者となる。
9月 - 同社を解雇される。フランス語の初歩を学ぶ。年末ゾラの作を読み感動する。
1902年
5月 - 家族とともに牛込区大久保余丁町(現・新宿区余丁町)に転居
9月 - 『地獄の花』を刊行、ゾライズムの作風を深めた。
1903年
9月 - 父の勧めで渡米。
1905年
6月 - ニューヨークに出、翌月からワシントンの日本公使館で働く。
12月 - 父の配慮で横浜正金銀行ニューヨーク支店に職を得る。





第3巻 1963.8.12
 
あめりか物語………………………………… 1
船房夜話…………………………………… 5
牧場の道……………………………………17
岡の上………………………………………29
酔美人………………………………………51
長髪…………………………………………67
春と秋………………………………………81
雪のやどり…………………………………97
林間……………………………………… 107
悪友……………………………………… 117
旧恨……………………………………… 133
寝覚め…………………………………… 149
一月一日………………………………… 167
暁………………………………………… 177
市俄古の二日…………………………… 199
夏の海…………………………………… 215
夜半の酒場……………………………… 227
落葉……………………………………… 237
夜の女…………………………………… 245
ちゃいなたうんの記…………………… 267
夜あるき………………………………… 279
六月の夜の夢…………………………… 289
舎路港の一夜 あめりか物語 余篇… 313
夜の霧 あめりか物語 余篇………… 321
夏の海 あめりか物語 異文………… 331
ふらんす物語……………………………… 345
船と車…………………………………… 349
ローン河のほとり……………………… 365
秋のちまた……………………………… 373
蛇つかひ………………………………… 383
晩餐……………………………………… 403
祭の夜がたり…………………………… 419
霧の夜…………………………………… 441
おもかげ………………………………… 457
再会……………………………………… 473
ひとり旅………………………………… 489
雲………………………………………… 499
巴里のわかれ…………………………… 541
黄昏の地中海…………………………… 559
ポートセット…………………………… 569
新嘉坡の数時間………………………… 579
西班牙料理……………………………… 589
橡の落葉………………………………… 595
橡の落葉の序………………………… 596
墓詣…………………………………… 598
休茶屋………………………………… 606
裸美人………………………………… 608
恋人…………………………………… 612
夜半の舞蹈…………………………… 617
美味…………………………………… 623
ひるすぎ……………………………… 625
舞姫…………………………………… 627
*後記……………………………………… 631
 


1907年
7月 - 父の配慮でフランスの横浜正金銀行リヨン支店に転勤。
1908年
3月 - 銀行をやめる。2か月ほどパリに遊ぶ。
7月 - 神戸に到着。
8月 - 『あめりか物語』を博文館より刊行。
1909年
3月 - 『ふらんす物語』を博文館より刊行したが届出と同時に発売禁止となる。




第4巻 1964.8.12
 
歓楽…………………………………………… 1
歓楽………………………………………… 3
監獄署の裏…………………………………49
牡丹の客……………………………………71
花より雨に…………………………………85
狐……………………………………………93
曇天……………………………………… 111
深川の唄………………………………… 121
春のおとづれ…………………………… 141
祝盃……………………………………… 151
新帰朝者日記……………………………… 175
新帰朝者日記 拾遺…………………… 241
冷笑………………………………………… 249
*後記……………………………………… 467
 


第5巻 1963.1.8
 
すみだ川……………………………………… 1
第五版すみだ川之序………………………61
すみだ川序…………………………………63
つくりばなし………………………………66
新橋夜話………………………………………73
序……………………………………………75
掛取り………………………………………77
色男…………………………………………93
風邪ごゝち……………………………… 119
名花……………………………………… 139
松葉巴…………………………………… 157
五月闇…………………………………… 175
浅瀬……………………………………… 189
短夜……………………………………… 201
昼すぎ…………………………………… 213
見果てぬ夢……………………………… 227
小品集……………………………………… 253
夏の町…………………………………… 255
伝通院…………………………………… 273
下谷の家………………………………… 285
楽器……………………………………… 299
日本の庭………………………………… 309
父の恩……………………………………… 323
*後記……………………………………… 373
 





第6巻 1962.12.5
 
柳さくら……………………………………… 1
散柳窓夕栄………………………………… 5
恋衣花笠森…………………………………61
花瓶………………………………………… 101
仮面………………………………………… 147
うぐひす…………………………………… 163
夏すがた…………………………………… 175
腕くらべ…………………………………… 209
*後記……………………………………… 413
 


1910年
2月 - 慶應義塾大学文学科刷新に際し、森?外、上田敏の推薦により、教授に就任。
5月 - 雑誌『三田文学』を創刊、主宰した
1911年
11月 - 「谷崎潤一郎氏の作品」を『三田文学』に発表。
1912年
9月 - 本郷湯島の材木商・斎藤政吉の次女ヨネと結婚。
1913年
1月2日 - 父久一郎死去。家督を相続。
2月 - 妻ヨネと離婚。
1914年
8月 - 市川左団次夫妻の媒酌で、八重次と結婚式を挙げる。実家の親族とは断絶する[1]。
1915年
2月 - 八重次と離婚。
5月 - 京橋区(現中央区)築地一丁目の借家に移転。
1916年
1月 - 浅草旅籠町一丁目13番地の米田方に転居。
3月 - 慶應義塾を辞め、『三田文学』から手をひくこととする。余丁町の邸の地所を半分、子爵入江為守に売却し邸を改築。
5月 - 大久保余丁町の本邸に帰り、一室を断腸亭と名づけ起居。
8月 - 「腕くらべ」を『文明』に連載( - 1917年10月)





第7巻 1963.4.12
 
おかめ笹……………………………………… 1
おかめ笹あとがき……………………… 179
雨瀟瀟……………………………………… 181
雨瀟瀟序………………………………… 219
雪解………………………………………… 221
春雨の夜…………………………………… 253
二人妻……………………………………… 263
芸者の母…………………………………… 343
寐顔………………………………………… 357
*後記……………………………………… 367
 

1917年
9月 - 木挽町九丁目に借家し仮住居とし無用庵と名づける。9月16日 - 日記の執筆を再開(『断腸亭日乗』の始まり)
1918年
12月 - 大久保余丁町の邸宅を売却し京橋区(現中央区)築地二丁目30番地に移転。
1919年
12月 - 「花火」を『改造』に発表。




第8巻 1963.12.12
 
ちゞらし髪…………………………………… 1
かし間の女……………………………………37
カツフヱー一夕話………………………… 121
夜の車……………………………………… 135
かたおもひ………………………………… 145
榎物語……………………………………… 161
夢…………………………………………… 177
あぢさゐ…………………………………… 201
つゆのあとさき…………………………… 223   昭和6年 
*後記……………………………………… 359  
 




『つゆのあとさき』
..................

「そうか。みんな相応に年をとっていたからな。それにあの会社もつぶれてしまったから、こまっているのはおればかりでもないんだろう。」
「おじさんなんか。まだまだそんなに老込おいこむ年じゃないわ。六十になっても、いやになるほど元気な人があってよ。」と君江はその実例に松崎博士の事を語ろうとしてそのまま黙ってしまった。
「遊びも癖になるとついめられなくなるもんだ。」
「おじさんなんかも、以前が以前だから、またじきに癖がついてよ。」
 十日ばかり君江も酒を断っていた後なので、話をしている中にたちまち取寄せた三本のビールをからにしてしまった。
「商売だけあってすごくなったな。あすこにあるのはウイスキイじゃないか。」
「アラ。病気や何かで、すっかり忘れていたわ。」と君江は棚の上に載せたままにして置いた角壜かくびんの火酒を取りおろして湯呑ゆのみにつぎ、「グラスがないからこれで我慢して下さい。」
「おれはもういけない。」
「じゃア、ビールか日本酒をもらいましょう。」
「もう何にもいらない。久振りで飲むとカラ意久地いくじがない。帰れなくなると大変だ。」
「お帰りになれなかったら、そこへお休みなさい。かまいません。」と君江は湯呑半分ほどのウイスキイを一口に飲干のみほす。
「女給さんの手並みはなるほど見事だ。」
「日本酒よりかえっていいのよ。後で頭が痛くならないから。」と咽喉のどの焼けるのをうるおすために、飲残りのビールをまた一杯干して、大きくいきをしながら顔の上に乱れかかる洗髪をさもじれったそうに後へとさばく様子。川島はわずか二年見ぬ間に変れば変るものだと思うと、じっと見詰めた目をそむける暇がない。その時分にはいくら淫奔いんぽんだといってもまだ肩や腰のあたりのどこやらに生娘きむすめらしい様子が残っていたのが、今ではほおからおとがいへかけて面長おもながの横顔がすっかり垢抜あかぬけして、肩と頸筋くびすじとはかえってその時分より弱々しく、しなやかに見えながら、開けた浴衣の胸から坐ったもものあたりの肉づきはあくまで豊艶ゆたかになって、全身の姿の何処ということなく、正業の女には見られない妖冶ようやな趣が目につくようになった。この趣はたとえば茶の湯の師匠には平生の挙動にもおのずから常人と異ったところが見え、剣客けんかくの身体には如何いかにくつろいでいる時にもすきがないのと同じようなものであろう。女の方では別に誘う気がなくても、男の心がおのずと乱れて誘い出されて来るのである。
「おじさん。わたしも今ので少し酔って来ましたわ。」と君江は横坐りにひざを崩して窓の敷居に片肱かたひじをつき、その手の上に頬を支えて顔を後に、洗髪を窓外の風に吹かせた。その姿を此方こなたから眺めると、既に十分酔の廻っている川島の眼には、どうやら枕の上から畳の方へと女の髪の乱れくずれる時のさまがちらついて来る。
 君江はなかばをつぶってサムライ日本何とやらと、鼻唄はなうたをうたうのを、川島はじっと聞き入りながら、突然何か決心したらしく、手酌てじゃくで一杯、ぐっとウイスキーを飲み干した。

       *     *     *     *

 何やら夢を見ているような気がしていたが、君江はふと目をさますと、暑いせいかその身は肌着一枚になって夜具の上に寐ていた。ビールやウイスキーのびんはそのまま取りちらされているが、二階には誰もいない。裏隣うらどなりの時計が十一時か十二時かを打続けている。ふと見るとまくらもとに書簡箋しょかんせんが一枚二ツ折にしてある。鏡台の曳出ひきだしに入れてある自分の用箋らしいので、横になったままひろげて見ると、川島の書いたもので、
「何事も申上げる暇がありません。今夜僕は死場所を見付けようと歩いている途中、偶然あなたに出逢であいました。そして一時全く絶望したむかしの楽しみを繰返す事が出来ました。これでもうこの世に何一つ思置く事はありません。あなたが京子に逢ってこのはなしをする間には僕はもうこの世の人ではないでしょう。くれぐれもあなたの深切しんせつを嬉しいと思います。私は実際の事を白状すると、その瞬間何も知らないあなたをも一緒にあの世へ連れて行きたい気がした位です。男の執念はおそろしいものだと自分ながらゾッとしました。ではさようなら。私はこの世の御礼にあの世からあなたの身辺を護衛します。そして将来の幸福を祈ります。KKより。」
 君江は飛起きながら「おばさんおばさん。」と夢中で呼びつづけた。
                                     昭和六年辛未かのとひつじ三月九日病中起筆至五月念二夜半纔脱初稿荷風散人



1920年
5月 - 麻布区(現港区)市兵衛町一丁目6番地の偏奇館に移転。
1923年
5月 - 来日したヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーの演奏を帝国劇場で聴く。
1926年
8月 - 銀座カフェー・タイガーに通い始める。




第9巻 1964.2.12
 
ひかげの花…………………………………… 1  
 「中央公論」1934(昭和9)年8月
墨東綺譚 ………………………………………93   
昭和11年、12年   
作後贅言 ………………………………… 183

おもかげ…………………………………… 207
女中のはなし……………………………… 231
浮沈………………………………………… 257
*後記……………………………………… 429
 

 「ひかげの花」

 「ひかげの花」は永井荷風氏の作の中でも、私の好きなものである。編輯着から、作品評を求められたが、批評する気はない。私は、たゞこの非凡な文章を再讀して楽しかつたと言ふだけである。夜更けの神楽坂を歩き乍ら、重吉がお千代に、内緒の商賣を白状させるところがある。前に讀んだ時に感服して、よく覚えてゐたが、今度讀んでも、初めて讀む様な新鮮な感がした。
 私は永井氏を現代随一の文章家と思つてゐるが、最近の文章では、「葛飾土産」の中にある、眞間川の流れを辿つて歩く文章が實にいと思つた。あゝいふ文は誰にも書けぬ。あの文でもよくわかる様に、永井氏の文章は、観察といふ筋金が過つてゐる處が、非常な魅力である様に思はれる。「ひかげの花」にしても、さうである。あれは、執拗に見る人の作であり、分析家や心理家の作ではない。 それから、この作のもう一つの特色は、作者の人生観がよく現れてゐるところにあると思ふ。それはひかげの花の様に暮してゐる人々に對する作者の強い共感である。眞間川といふ世人から忘れられた凡庸な川の流れを辿つて孤獨な散歩をする様に、作者は、かういふ人生のひかげの花々を摘むのである。華々しい教養や文化は、寧ろ眞の人間性を覆ひかくして了ふものだ、さういふ作者の確信は恐らく大變強いものであらう。世人は永井氏を變人だと言つてゐる様だが、世間に變人と思はせて置く、こんな好都合な事はない、と永井氏は考へてをられるのではないかと思ふ。
                                      
      (「荷風全集」月報、昭和二十六年一月)  小林秀雄全集第十巻 33-34頁




『ひかげの花』


................
.................................
 二、三日前につゆ子さんが突然たずねて来て、是非わたくしに逢いたいという人があるが逢ってくれるかどうかというのです。つゆ子さんは去年の暮わたくしたちと一緒に罰金を取られてから、今では銀座四丁目裏のカルメンというバアに働いています。わたくしはつゆ子さんのはなしを聞いてびっくりしました。ほんとうの母がわたくしと同じようなことをしている女だと知った時、わたくしは悲しいと思うよりも、うれしいといっては変ですが、何だか親しみのあるような心持がしたのです。そのためか、わたくしは母がわたくしを人の家へ養女にやってから、今日まで永い年月の間わたくしを尋ねずにいた事を思い出しても、その時には母の無情をうらむような気が起って来なかったのです。母がもし立派な家の奥さんにでもなっていたなら、わたくしはかえって母を怨みもしたでしょう。また身の上を恥じて、どれほどに逢いたくても顔を見せる気にはならなかったろうと思います。母の方でもやはりそういう心持がしていたようです。お互に恥かしいと思う心持がその場合遠慮なくわたくしたち二人を引き寄せてくれたのです。
 わたくしは急いで八丁堀はっちょうぼりの母の家へ出かけて行きました。母のことは大体友達のつゆ子から聞いていましたから、午後がよかろうと思って、三時頃にたずねたのです。十二、三の小女こおんなが取次に出て、二階へ上って行きました。すると、母はていたものと見えて、浴衣ゆかた寝衣ねまきの前を合せながら降りて来て、
「さア、お上んなさい。よく尋ねて来てくれたねえ。」
 わたくしは何と言っていいのか、胸が一ぱいになってそのままだまって下座敷の茶のらしい処へ通りました。母は羽織をきてくるからといって二階へ上って行ったまましばらくしても降りて来ませんから、お客でも来ているのかと気がついて、また出直して来ようかと思っていると、梯子段はしごだん跫音あしおとがします。一人ではなく二人の跫音あしおとらしいと耳をすます間もなく、唐紙からかみがあいて、
「あら布団ふとんもしかないで。さア。」と母は長火鉢のむこうに坐りすぐ茶を入れようとします。わたしは「おひさしぶり」とも言えず、何といって挨拶あいさつしていいのかちょっと言う言葉に困って、
「おいそがしいの。」といいました。よく仲間同士で挨拶のかわりに使う言葉です。ここでこんな事をいうのは、後で考えると実に滑稽こっけいです。母はそれを何と聞いたのか、別に気まりのわるい顔もせず、
「お客じゃないの。紹介しなければならない人だから。」
かあさんの彼氏かれし……。」
 その時四十前後の男の人が唐紙の間から顔を出して、
「いらッしゃい。去年の暮から随分方々をたずねたんですよ。知れない時はいくら尋ねても知れないもんです。」と言いながら母のそばに坐りました。わたくしは友達のつゆ子から聞いて名前まで知っていましたから、改めて挨拶もせず、
「つい近処にいながら、不思議ですねえ。」といって笑いました。
「つゆ子さんとは始終しょっちゅう一緒でしたか。」と彼氏がききます。わたくしは初め新宿しんじゅくのホールでつゆ子と友達になり同じ貸間にいた事や、それから同じ時につかまってダンサアの許可証を取り上げられて、市内ではどこのホールにも出られなくなったので、五反田ごたんだの円宿のマスターに紹介してもらって、この方面へ転じたはなしをしました。
 母はわたくしに名前をかえるとか、何とか方法を考えて、もう一度ダンサアになるか。それともつゆ子さんのように女給さんになったほうが安全ではないかと言います。わたくしはダンサアも初めの中は面白いけれど、それが商売になって、すこしきてくると、労働が激しい上に、時間で身体を縛られるのがいやだから、二度なる気はない。また女給さんもつゆ子の通っているような店は、往来へ出て見ず知らずの人を引張ひっぱるのだから、万一の事を思えば、危険なことは同じだと言って、その事情をくわしく説明しました。
 母はわたくしに貸間の代を倹約するために母の家に同居したらばといい、それから、もう暫くここの家にいて、貯金ができたら、将来はどこか家賃の安い処で連込茶屋つれこみぢゃやでもはじめるつもりだといいます。すると彼氏が、貯金はもう二千円以上になったとそばから言い添えました。
 わたくしは今まで行末のことなんか一度も考えたことがありませんから、千円貯金があると言われた時、実によくかせいだものだと、覚えず母の顔を見ました。母は十八でわたくしを生んだのですからもう三十七になります。それだのに髪も濃いし、肉づきもいいし、だらしなく着物をきている様子は二十七、八の年増としまざかりのように見えます。外へ出る時はもっと若くなると思います。わたしがホールにいた時分にも、やはりお金をためて貸家をたてたダンサアがいましたが、その人よりも母の方がなお若く見えます。ダンサアで貸家をたてた人は、みんなの噂では少し低能で、男のいうことは何でもOKで、そして道楽はお金をためるよりほかに何もない人だと言うはなしでした。母もやはりそういう種類の女ではないかと思われます。一目ひとめ見ても決してわるい人でない事がわかります。若く見えてきれいですが、どこかしまりのないところがあります。人の噂もせず世間話も何もない人のようです。こういう人が一心いっしんになってお金をためると、おそろしいものです。
 わたくしは母がわたくしの父になる人を今でも知っているのかどうか尋ねて見たいと、心の中では思っていたのですが、その日は話の糸口がなかったのと、またわたくしも初めから父というもののあることを知らずに育って、一度もそういう話を聞いた事がないので、さほどに父を恋しいとしたう心がありません。それ故その時は初めて逢った母に対していて父の事をきいて見ようという気にもならずにいたのです。わたくしがなつかしいと思うのは見たことのない男親よりも、わたくしを育ててくれた船堀ふなぼりのおばアさんです。おばアさんが死んだのはわたくしが三ツか四ツの時分でしたから、その顔もおぼえてはいません。しかし夜たった一人で真暗まっくらなところにいて、一つ処をじいっと見詰めていたり、また眠られない晩など、つかれて、うつらうつらとしている時などには、どうかすると、おばアさんの姿と、川のある田舎の景色がぼんやり見えるような心持のする事が時々あります。それは幻とでもいうのでしょう。懐しいといえばそれは震災前新栄町しんえいちょうにいらしったおばさんとそしてあなた様の事です。わたくしの一生涯で一番幸福だったのはこの前も手紙で申上げましたように、それは新栄町のお家にいた時です。おばさんに手をひかれて明石町あかしちょう河岸かしをあるいてかにを取って遊んだことは一生忘れません。わたくしの一番幸福な思出は二ツとも水の流れているところです。そして懐しいと思う人はお二人ともおなくなりになりました。
 わたくしは暫く母のところに同居することにいたしました。また変ったことがありましたら、お知らせをいたします。ではさようなら。
一九三二、二、十六日。   たみこ





1936年
3月 - 向島の私娼窟玉の井通いを始める、
1937年
4月 - 『?東綺譚』(私家版)を刊行。東京・大阪朝日新聞に連載(4月16日 - 6月15日)
9月8日 - 母恒死去。



第10巻 1964.4.13
 
勲章…………………………………………… 1
踊子……………………………………………17
来訪者…………………………………………81

問はずがたり……………………………… 155
羊羹………………………………………… 267
腕時計……………………………………… 281
或夜………………………………………… 291
噂ばなし…………………………………… 305
靴…………………………………………… 313
畦道………………………………………… 325
にぎり飯…………………………………… 337
心づくし…………………………………… 355
秋の女……………………………………… 371
買出し……………………………………… 385

人妻………………………………………… 399
*後記……………………………………… 415
 


  『間はずがたり』
 


.........................................
..................


 雪江は返事に困つたのか。または何とも感じないのか、唯面白さうに口から吹出す煙の渦を巻き日の光の中に青く糸の捩れるやうに流れて行くのを眺めてゐる。二人とも筵の上に腰をおとし高く立てた膝頭に手を載せ、下駄をはいた両足を地面の上に揃へてゐるので、電車の腰掛に並んで腰をかけたのも同様。肩と肘と腿とを接しながら、身のたけが違ふので差覗かぬかぎり顔は見えぬが、女の肩へかけての首筋が、自分の下顎に触れぬばかりに近く見下される。僕は突然途法もない事を考へはじめた。
 込み合ふ電車の中で、隣席の若い女と互に身の暖味が通ふのに、内心嬉しく思ひながら男の乗客のおとなしくしてゐるのは、礼儀秩序を重ずるよりも、己れの名誉を傷けまいとする一念の為に過ぎない。隣席の女が怒りも騒ぎもしない事が十分に保讃されてゐたならどうなるだらう。僕が今雪江の手を握らないのは電車の乗客のおとなしくしてゐるのと何の變りもないと言つてよい。雪江が驚いて声を立てる事よりも、その為に雪江が此家を出て行くやうな事の起るのを恐れたからだ。僕の目にはむかし頭を撫でゝやつた時分のあどけない姿は全く消失せ、今は唯フラッパーな女事務員としての姿が極めて誘惑的に見えるばかりになつてゐる。
 僕は雪江の肩先に顎を載せぬばかりにして、眞自な其首筋と毛糸のスヱ一夕に蔽はれた背筋の奥から漏れてくる其体臭に酔ひながら、僕は一体どうしてこんな途法もない事を考へるやうになったのか。その事の起りを書ねなければならぬと思つた。
それは二三年前松子と雪江の会合を窺い知つた其瞬間からではなからうか。二人の恋人にかはるがはる逢つて来るらしい放埓な行動が、その後はたえず僕の空想を刺戟してやまない故ではなからうか。僕は危く雪江の手を取ろうとした一刹那、幸にして其時は配給の野菜を抱へながら松子が帰つて来てくれた。
 冬の日はもう傾いてゐる。雪江と松子とは笑ひ興じながら家の方へ行つてしまつたが、僕は夢にうなされて眼を覚した時のやうな、重い厭な心持で、いつまでも一人裏庭に立つてゐた。


   七


 然し運命の定る日は程なく到来した。僕が醜悪な人頭獣體の怪物に化する日は忽ちにして到来したのである。それはその年十一月廿九日の夜であつた。
 いつもより早く、と云つても、もう十時過。僕は一人二階へ上つて寝る仕度をしてゐた。
 四五日前、東郷神社の境内と千駄ケ谷停車場近くに爆弾が落ちてから、松子は遽にあわて初め、隣の奥様が此の前荷物を疎開させた土浦在の或農家へ、自分と雪江との衣類を預ける為帰りは明日になるつもりで、其日の昼過から家を出て行つた。雪江は夕飯をすますが否や、遊びに行つたなりまだ帰らない。僕は何か讀まうと手を伸して枕元のスタンドを引寄せた時、サイレンの警共に警戎警報と呼ぶ人の声をきき、つけたばかりの灯を消した。いつもならば二度目のサイレンが空襲を知らせるやうになつても、大抵は昼間のことだつたので、さして驚きもしなかつたのであるが、其夜は初ての災害が案外近いところに起つてから間もない為か、我知らず動悸の高まるのを覚え、ぬいだばかりの着物をきて帯を締直してゐる中、早くも轟く高射砲の響と共に、空襲々々と叫ぶ女の金切声があちこちに聞え出した。
 窓の戸をあけて見ると、空はどんよりと曇つてゐる。然し風もなく雲の奥深くに月でも隠れてゐるのか、夜は冬にも似ず何やら薄明く、見下す庭のみならず垣外の横町もかなり先の方まで、朧気ながら見すかされ、向側の広い屋敷の構内に聾える銀杏の木の黄葉が白く煙のやうに夜の空からはつきり区別されてゐる。僕の目にはその色彩が珍らしく面白く見られたので、其まま立つて眺めてゐると、忽ち何処からともなく飛行機の音の近くなるにつれ、あちこちから打出される高射砲の響が、半ば開けた窓の雨戸を揺り動かした。いつの間にか帰つてゐたと見え、下から、
 「パパ、パパ。」と呼ぶ雪江の声がきこえる。
 「ここにゐるよ。今おりて行く。」
 万一の場合、持出すべき手荷物と制作品とは前以て画窒の片隅と表の出入ロとに用意がしてあるので、僕は壁を手探りに梯子段をおりて行くと、雪江も真暗な茶の間を手さぐりに、僕の足音のする方へと歩いて来て、
 「すごいわね、パパ。大丈夫か知ら。」
 「あわてちやいかんよ。お前の荷物はどうした。」
 「眞暗でどうすることも出来ないわ。」
長火鉢の側近く、探り合ふ二人の手先に、身体と身体とが触つた。僕は雪江が一度寝床に入り何も着ずに起きて来た、らしいのを知つて、
 「早く何か着ておいで。画室はいくらか明いだらう。」
僕は先に画室へ入ると、明取の広い窓があるので、物に蹟く恐れはなかつたが、落雷のやうにびりびり硝子戸にひゞきわたる砲声は、雨戸の動くよりも一層気味がわるい。どうやら其虞には居られさうもないので、庭へ出る開戸をあけ、僕は雪江を呼びながら、片足戸の外の踏段に踏み出すと、近くはないが、東北の空が一面赤くなつてゐるのが、繁つた樹木の間から望まれた。猶よく方角を見定めやうと顔を突出して仰ぎ見やうとする途端、風と共に大粒の雨がばらばらと額を打つた。
 雪江は洋服の上衣を右手に、スートケースを左手に下げ、僕の後から同じやうに戸口ヘ顔を出し、
 「あら、眞赤ねえ、どこでせう。」
 「大分焼けてゐるやうだが、近くはない。麹町神田‥……皇づその方角だらう。」
 降りまさる雨の中を二三歩出て見た時、サーチライトの鋭い光芒が回転して、此方へ向けられると共に、高射砲の響は更に烈しく轟々然として耳元近く轟きわたる。雪江は声を揚げて、かじりつき、僕の胸に顔を押付けた。僕は片手に雪江をかばひ、穽の掘つてある裏庭の方へ行きかけたが、夕立のやうな雨の降りざまにそのあたりは早くも一面の水溜になつてゐる。仕方がないので、再び画室の戸口から荷物を片手に茶の間に戻り、またしても手さぐりに押入をあけて其中に身をかくした。
 前々から雨や風の烈しい時、穽の中には入れない時には、ここに逃込むつもりで、物を片づけた板の間には一枚薄べりが敷いてある。高射砲の響はそれなり杜絶えてしまつたが、警報解除の知らせはなく、隣のラヂオが何やら報道してゐるやうだが、遠くてわからない。人の話声も犬の吠る声もしない。唯しんしんとふけそめる夜の静けさは、却て理由なく知れざる危険がいよいよ切迫して来るるやうに神経を焦立たせるばかり。僕は闇の中から聞えない物音を強ひて聞出さうと眼をつぶり耳をすますと、雪江の呼吸と共に胸の動悸までが聞きとれるやうな気がしだす。闇に馴れた眼の中には、雪江の眼も映れば、その顧も映つてゐるやうな気がして来る。目ばたき一ツすると、それ等の幻は一時に消えて、糸のやうなものが病みの中から現れ、だんだんに大きくなつて縺れたり解けたりしだした。
 兎角する中窮屈な押入れの中の苦しさは次第に加はり、ちつとやそつとの身動きでは手足の痺れはどうにもならない。火の気のない板の間の寒さも亦水のやうに首筋から肩に滴るので、僕は膝の上に載せた雪江の體を上衣の下から両手に抱きしめ、其体温によつて僅に僕の身を暖めさせてゐた。
 闇の中に出没する幻のさまざまは浮ぶたびごとに、僕の思ふがままの形や姿になつて、消えるかと見ればまた現れて来るやうになつた。いつぞや小春の昼過ぎ、裏庭の窯の前に敷のべた筵の上に、二人並んで腰をおろしてゐた時の幻が、その時よりも更に烈しい力で身体中の血を沸き立たせる。
 僕は暗さを幸、雪江の顔の上にまづ僕の顔を押しつけて見たのである。
 日本橋の三越前から茅場町通がとびとびに焼かれたのは此夜のことであつた。麻布六本木や芝の飯倉も少し焼けたといふ噂をきいたが、然しそれはずつと後の事である。空襲解除を知らせるサイレンや人の声に気がついて、転寝から覚めた時、僕はそれまでの間に何をしたかを確めやうと、手さぐりに押入中をさぐり見た。そして後悔と歓喜との混乱した不可解な感慨に襲はれながらも、容易には起き直らうともしなかつた。電車の響が聞えるので、夜は既に明けてゐるのに心づき、片手を伸して押入の襖を明けると、欄間の掛障子から進入る黎明の微光が、昨夜のままなる二人の姿を明かに見せてくれた。僕はぬぎすてた羽織を取つて雪江の身体にかけてやらうとすると、雪江は重さうに瞼を聞き流し目に一寸僕の顔を見ながら、すぐまた瞑つてしまつた。
 松子がかへつて来て、被害の噂をしたのは正午に近い頃である。僕は画室にゐたが、雪江はその時までも僕の羽織をかぶつたまま、二度寝の眠りから覚めずにゐたらしい。


     八

        *       *       *       *


 僕は今岡山県吉備郡□□町に残つてゐる組先の家に余生を迭つてゐる。五十年前に僕の生れたところである。
 昭和二十年八月十五日の正午、僕はこの家の畠から秋茄子を摘みながら日軍陣伏の事をラヂオによつて聞知つたのだ。
 僕の生涯は既に東京の画室を去る間際に於て、早く終局を告げてゐた。新しい生涯に入ることを、僕はもう望んでゐない。僕は昨日となつた昔の夢を思返して、曾て「問はずがたり」と題したメモワールをつくつて見たことがあつた。こゝにそが最終の一章を書き足して置かう。

 去年の冬十一月の末から東京の市街は夜に昼に、幾回と知れぬ空軍の襲撃に脅かされ、今年三四月の頃には新旧の区別を間はず町は大方焼沸はれてゐた。被害の如何は史筆を執る撃者のなすべき事で、僕のカの及ぶところではない。僕は今、如何にして唯ひとり、こゝに悄然としてゐるかを語ればよいのだ。
 僕の住みふるした家。目黒区駒場町のアトリヱは桃と木犀との木立を境にした垣隣りの屋敷まで猛火を浴びながら、不思議にも無事に残されたさうだ。それは僕が既に東京を去つて、ここに来てから後雪江の手紙で知つたことである。
 日夜まだ幾回となくサイレンをきくたびたび、その時の天気都合で、裏庭の穽の中、または茶の間の押入から出たり入つたりしてゐた時分である。情婦と下女との二役を乗ねた松子はその後も折折知り人の家に着物や手道具を預けに出かけて行つたが、押入や穽に入る時が多くなるに従ひ、僕と雪江との関係は次第に深くなり、いつか松子にさへ感づかれるやうになつた。然るに雪江は以前松子との間に結ばれた関係があつた為か、一向気にかける様子もなく、或時はわざとらしくその見る前も憚らず僕に戯れかけることがあつた。雪江の性情には残忍なところがあつたのかも知れない。比較的愚直な松子がどうすることもできず、しまひにほ唯悲しげに萎れ返るのを見て、雪江は女に有りがちな優越感の満足に、冷酷な喜びをさへ昧ふらしい様子が見えた。さういふ場合、僕は雪江が憎らしく、松子がかわいさうになつて、絶えず慰藉に努めねばならぬやうになつた。 
    
.........
..............................




『或夜』

             永井荷風


 季子すゑこは省線市川驛の待合所にはいつて腰掛に腰をかけた。然し東京へも、どこへも、行かうといふわけではない。公園のベンチや路傍の石にでも腰をかけるのと同じやうに、唯ぼんやりと、しばらくの間腰をかけてゐやうといふのである。
 改札口の高い壁の上に裝置してある時計には故障と書いた貼紙がしてあるので、時間はわからないが、出入の人の混雜も日の暮ほど烈しくはないので、夜もかれこれ八時前後にはなつたであらう。札賣る窓の前に行列をする人數も次第に少く、入口のそばの賣店に並べられてあつた夕刊新聞ももう賣切れてしまつたらしく、おかみさんは殘りの品物をハタキではたきながら店を片付けてゐる。向側の腰掛には作業服をきた男が一人荷物を枕に前後を知らず仰向けになつて眠つてゐる。そこから折曲つた壁に添うて改札口に近い腰掛には制帽の學生らしい男が雜誌をよみ、買出しの荷を背負つたまゝ婆さんが二人煙草をのんでゐる外には、季子と並んでモンペをはいた色白の人妻と、膝の上に買物袋を載せた洋裝の娘が赤い鼻緒の下駄をぬいだりはいたりして、足をぶら/\させてゐるばかりである。
 色の白い奧樣は改札口から人崩ひとなだれの溢れ出る度毎に、首を伸し浮腰になつて歩み過る人に氣をつけてゐる中、やがて折革包を手にした背廣に中折帽の男を見つけて、呼掛けながら馳出し、出口の外で追ひついたらしい。
 季子は今夜初てこゝに來たのではない。この夏、姉の家の厄介になり初めてから折々憂欝になる時、ふらりと外に出て、蟇口に金さへあれば映畫館に入つたり、闇市をぶらついて立喰ひをしたり、そして省線の驛はこの市川ばかりでなく、一ツ先の元八幡驛の待合所にも入つて休むことがあつた。その度々、別に氣をつけて見るわけでもないが、この邊の町には新婚の人が多いせいでもあるのか、夕方から夜にかけて、勤先から歸つて來る夫を出迎へる奧樣。また女の歸つて來るのを待合す男の多いことにも心づいてゐた。季子はもう十七になつてゐるが、然し戀愛の[#「戀愛の」は底本では「變愛の」]經驗は一度もした事がないので、さほど羨しいともいやらしいとも思つたことはない。唯腰をかけてゐる間、あたりには何一ツ見るものがない爲、遣場のない眼をさう云ふ人達の方へ向けるといふまでの事で、心の中では現在世話になつてゐる姉の家のことしか考へてゐない。姉の家にはゐたくない。どこか外に身を置くところはないものかと、さし當り目當めあてのつかない事ばかり考へつゞけてゐるのである。
 この前來た時には短いスカートからむき出しの兩足を隨分蚊に刺されたが、今はその蚊もゐなくなつた。二人づれで凉みに來たり、子供を遊ばせに來る女もゐたが今はそれも見えない。時候はいつか秋になり、その秋の夜も大分露けくなつた。と思ふと、ます/\現在の家にゐるのがいやで/\たまらない氣がして來る……。
 季子は三人姉妹きやうだいの中での季娘で、二人の姉がそれ/″\結婚してしまつた後、母と二人埼玉縣の或町に疎開してゐたが、この春母が病死して、差當り行く處がないので、此町の銀行で課長をしてゐる人に片付いた一番年上の姉のもとに引取られたのだ。姉には三ツになる男の子がある。義兄あには年の頃四十近く、職務のつかれよりも上役の機嫌と同僚の氣受を窺ふ氣づかれに精力を消耗してしまつたやうに見える有りふれた俸給生活者。姉も同じく、配給所の前に立並ぶ女達の中には少くとも五六人は似た顏立を見るやうな奧さんである。ヒステリツクでもなく、と云つて、さほど野呂間のろまにも見えず華美はで好きでも吝嗇でもない。掃除好きでもない代り、また決して無性ぶしやうでもない。洗濯も怠らず針仕事や編物も嫌ひではないと云ふやうな奧さんである。毎日きまつた時間に夫が歸つて來ると、新聞で見知つた世間の出來事、配給物のはなし、子供の健康――日々きまつた同じ話を繰返しながら、いつまでも晩飯の茶ぶ臺を離れず、ラヂオの落語に夫婦二人とも大聲で笑つたり、長唄や流行歌をいかにも感に堪へたやうに聞きすます。その中臺所で鼠のあれる音に氣がついて、茶ぶ臺を片づけるのが、其日の生活の終りである。
 さういふ家庭であるから、季子はそれほど居づらく思ふわけの無い事は、自分ながら能く承知してゐるのだ。自分の方から進んで手傳ふ時の外、洗ひものも掃除も姉から言ひつけられたことはない。兄はまた初めから何に限らず小言がましく聞えるやうな忠告はした事がなく、郵便を出させにやる事も滅多にない。日曜日に子供も一緒に夫婦連立つて買物方々出歩かうと云ふ折など、「季ちやん。一緒に行くかね。」と誘ふこともあるが、是非にと云ふ程の樣子は見せず、さうかと云つて留守をたのむとも言はない。季子はおのづと家に居殘るやうになると、却て元氣づき、聲を張り上げて流行唄を歌ひながら、洗濯をしたり、臺所の物を片づけたりした後、戸棚をあけて食殘りの物を皿まで嘗めてしまつたり、配給の薩摩芋をふかして色氣なくむさぼくらふ。又ぼんやり勝手口へ出て垣根の杭に寄りかゝりながら晴れた日の空や日かげを見詰めてゐる事もあつた。
 季子はどうして姉の家にゐるのがいやなのか、自分ながらその心持がわからなかつたのであるが、日數ひかずのたつに從ひ、靜に考へて見ると、姉の家が居づらいのではなくて、それは別の事から起つて來る感情の爲である事に心づいて來た。自分はさし當りこゝより外に身を置く處がない事を意識するのが、情けなくていやなのである。自分にはこゝばかりでなく、外に行く處はいくらもあるが、好んで此の家に來てゐると云ふやうに若しも思ひなす事ができたなら、自分は決していやだとも居辛ゐづらいとも、そんな妙な心持にはならなかつたであらう。然し實際は全くそれとは相違して、こゝより外に行きどころのない身である事は明瞭である。さう思ふと心細く悲しくなると同時に、何も彼も癪にさはつてはらが立つて來てたまらなくなるのである。
 どんな職業でもかまはない。季子は女中でも子守でも、車掌や札切でもいゝから、どこにか雇はれたいと思つてゐるが、それは姉夫婦が許してくれさうにも思はれない。人に聞かれても外聞の惡くないやうな會社や役所の事務員には、疎開や何かの爲高等女學校は中途で止してしまつたまゝなので、採用される資格が無い……。
 ふと思ひ返すと、市川の姉の家へ引取られて、わづか四五日にしかならない頃であつた。一番上の姉よりもずツといゝ處へ片付いてゐる二番目の姉が鎌倉の屋敷から何かの用事で尋ねて來た時、話のついでに此頃は復員でお嫁さんを搜してゐるものが多いから、季子も十七なら、いつそ今の中結婚させてしまつた方がいゝかも知れないと言つてゐたのを、かげでちらりと聞いたことがあつた。
 その當座、季子は落ちつかないわく/\した心持で、茶ぶ臺に坐るたび/\姉や兄の樣子ばかり氣にしてゐたが、その話は今だに二人の口からは言出されない。季子は自分の方から切出して見やうかと思つたこともあるが、氣まりが惡いまゝ、それもいつか、それなりに、季子は日のたつと共に自分の方でも忘れるともなく忘れてしまつた。

 見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)すと、あたりはいつのにか大分靜になつてゐる。荷物を枕にぐう/\眠つてゐた職工もどこへか行つてしまひ、下駄をはいたりぬいだり足をぶら/\させてゐた娘の立去つたあとには、子供をおぶつた女が腰をかけて居眠りをしてゐる。
 その時季子は烟草の匂につれて其烟が横顏に流れかゝるのに心づき、何心なく見返ると、
「京成電車の驛は遠いんでせうか。」ときくものがある。
 いつのにか自分の隣りに、背廣に鳥打帽を冠つた年は二十四五、子供らしい面立おもだちの殘つてゐる一人の男が腰をかけてゐた。然し季子は自分に話しかけたのではないと思つて、默つてゐると、
「京成の市川驛へはどつちへ行つたらいゝんでせう。」
 季子はスマートな樣子に似ず妙な事をきく人だと思ひながら、
「京成電車にはそんな驛はありません。」
「さうですか。市川驛は省線ばかりなんですか。」
「えゝ。」と云つて息を引く拍子に、季子は烟草の烟を吸込んでむせやうとした。
「失禮。失禮。」と男は手を擧げて烟を拂ひながら立上り、出口から見える闇市のを眺めてゐたが、そのまゝ振返りもせずに出て行つた。
 列車の響と共に汽笛の聲がして、上りと下りの電車が前後して着いたらしく、改札口は駈け込む人と、押合ひながら出て來る人とで俄に混雜し初めたが、それも嵐の過ぎ去るやうに忽ちもとの靜けさに立返る。
 季子は聲まで出して思ふさま大きな欠伸あくびをしつゞけたが、こんな處にはもう我慢してもゐられないとでも云ふやうに、腰掛を立ち、來た時のやうにぶらり/\夜店の灯の見える方へと歩き初めた。
 夜店の女達は立止つたり通り過ぎたりする人を呼びかけて、
「甘い羊羹ですよ。あまいんですよ。」
「あん麺麭ぱんはいかゞです。」
「もうおしまひだ。安くまけますよ。」
 道の曲角まで來ると先程驛の事をきいた鳥打帽の青年が電信柱のところに立つてゐて、季子の姿を見とめ、
「もうお歸りですか。」
 季子は知らない振もしてゐられず、ちよつと笑顏を見せて、そのまゝ歩き過ると、男も少し離れて同じ方向へと歩き初める。
 江戸川堤から八幡中山を經て遠く船橋邊までつゞく國道である。立並ぶ商店と映畫館の燈火に明く照らされた道の兩側には、ところどころ小屋掛をしたおでん屋汁粉屋燒鳥屋などが出てゐて、夜風に暖簾を飜してゐる。
「お汁粉一杯飮んで行きませうよ。」
 男はつと立止つて、さアと言はぬばかり、季子の顏を見詰めながら、一人さきはいつたが、腰掛にはつかず立つたまゝ、季子のはいるのを待つてゐる樣子に、そのまゝ行つてもしまはれず、季子はもぢ/\しながらそのそばに腰をかけた。
 一杯目の汁粉を飮み終らぬ中、「もう一杯いゝでせう。割合に甘い。」と男は二杯目を註文した。
 季子は初めから何とも言はず、わざと子供らしく、勸められるがまゝ、二杯目の茶碗を取上げたが、其時には大分氣も落ちついて來て、まともに男の顏や樣子をも見られるやうになつた。それと共に、かうした場合の男の心持、と云ふよりは男の目的の何であるかも、今は容易たやすく推察することが出來るやうな氣がしてた。二人はもとより知らない人同士である。これなり別れてしまへば、互に家もわからず名前も知られる氣づかひがない。何をしても、何をされても、後になつて困るやうな事の起らう筈がない間柄である。さう思ふと年頃の娘の異性に對する好奇心のみならず、季子は監督者なる姉夫婦に對して、其人達の知らない中に、そつと自分勝手に大膽な冐險を敢てすると云ふ、一種痛快な氣味のいゝ心持の伴ひ起るのを知つた。
 汁粉屋を出てから、また默つて歩いて行くと、商店の燈火は次第に少く、兩側には茅葺の屋根やら生垣やらが續き初め、道の行手のみならず、人家の間からも茂つた松の木立こだちの空に聳えるのが、星の光と共に物淋しく見えはじめる。走り過るトラツクの灯に、眞直な國道の行手までが遙に照し出されるたび/\、荷車や人の往來ゆきゝも一歩々々途絶えちになることが能く見定められる。
 鳥打帽の男は默つてついて來る。季子は汁粉屋にゐた時の大膽不敵な覺悟に似ず、俄に歩調を早め、やがて道端のポストを目當に、逃るやうにとある小徑こみちへ曲らうとした。男はぐつと身近に寄り添つて來て、
「お宅はこの横町……。」
「えゝ。」と季子は答へた。然し季子の家は横町を行盡して、京成電車の踏切を越し、それからまだ大分歩かなければならないのだ。
 小徑の兩側には生垣や竹垣がつゞいてゐて、國道よりも一層さびしく人は一人も通らないが、門柱の電燈や、窓から漏れる人家の灯影ほかげしんの闇にはなつてゐない。季子の呼吸は歩調と共に大分せはしくなつてゐる。男はどこまで自分の後をつけて來るのだらう。線路を越した向の松原――時々この邊では一番物騷な噂のある松原まで行くのを待つてゐるのではなからうか。いつそ今の中、手出しをしてくれゝばいゝのにと云ふやうな氣がして來ないでもない。
 季子が男の暴力を想像して、恐怖を交へた好奇の思に驅られ初めたのは、母と共に熊ヶ谷に疎開してゐた頃からのことで、戰後物騷な世間の噂を聞くたび/\、まさかの場合を、或時はいろいろに空想して見ることもあつた。この空想は鎌倉の姉が來て結婚のはなしをにほはせてからいよ/\烈しくなり、深夜奧の間で姉夫婦がひそ/\はなしをしてゐるのにふと目を覺す時など、翌朝まで寢付かれぬ程其身を苦しめる事があつた。
 突然季子は垣際に立つてゐる松の木の根につまづき、よろける其身を覺えず男に投掛けた。男は兩手に女の身を支へながら、別に抱締るでもなく、女が身體の中心を取返すのを待ち、
「どうかしました。」
「いゝえ。大丈夫よ。あなたも此邊なの。」
「僕。八幡の、會社の寮にゐるんです。今夜驛でランデブーするつもりだつたんです。失敗しました。」
「あら。さう。」
「あなたも誰かとお約束があつたんでせう。さうぢやありませんか。」
 生垣が盡きて片側は廣い畠になつてゐるらしく、遙か向うの松林の間から此方へ走つて來る電車の灯が見えた。
 季子はあたりのこの淋しさと暗さとに乘じて、男が手をくだし初めるのはきつと此邊にちがひはない。いよ/\日頃の妄想の實現される時が來たのだと思ふと、忽身體中が顫出し、歩けばまた轉びさうな氣がして、一足も先へは踏み出されなくなつた。畠の縁に茂つた草が柔くくすぐるやうに足の指にさはる。季子は突然そこへ蹲踞しやがんでしまつた。
 季子は男の腕が矢庭に自分の身體を突倒すものとばかり思込んで、蹲踞しやがむと共に眼をつぶつて兩手に顏をかくした。
 電車は松林の外を通り過ぎてしまつた。けれども自分の身體には何も觸るものがない。手を放し顏をあげて見ると、男は初め自分が草の上に蹲踞しやがんだのに心づかず、二三歩行き過ぎてから氣がついたらしく、少し離れた處に立つてゐて、
「田舍道はいゝですね。僕も失禮。」と笑を含む聲と共に、草の中に水を流す音をさせ始めた。男は季子の蹲踞んだのは同じやうな用をたすためだと思つたらしい。
 季子は立上るや否や、失望と恥しさと、腹立しさとに、覺えず、「左樣なら。」と鋭く言捨て、もと來た小徑の方へと走り去つた。
 やがて未練みれんらしく立留つて見たが、男の追掛けて來る樣子はない。先程つまづいた松の木の梢に梟か何かの鳴く聲がしてゐる。
 季子はしよんぼりと一人家へかへつた。
(昭和廿一年十月草)


底本:「葛飾こよみ」毎日新聞社
   1956(昭和31)年8月25日初版発行
初出:「勲章」扶桑書房
   1947(昭和22)年5月10日発行






1
944年
3月 - 大島一雄(杵屋五叟)の次男永光を養子として迎える。
1945年
3月 - 東京大空襲で偏奇館焼失。
6月 - 明石を経て岡山へ疎開。
8月 - 岡山県勝山町に疎開中の谷崎潤一郎を訪問したのち、岡山三門町の武南家に戻り、そこで終戦を知る。
9月 - 熱海和田浜の木戸正方に疎開していた杵屋五叟宅に寄寓。
1946年
1月 - 千葉県市川市菅野258番地(現菅野三丁目)の杵屋五叟の転居先に寄寓。
1947年
1月 - 市川市菅野の小西茂也方に寄寓。
1948年
12月 - 市川市菅野1124番地(現東菅野二丁目)に瓦葺18坪の家を買い入れ、移転。



第11巻 1964.11.28
 
裸体…………………………………………… 1
老人……………………………………………23
吾妻橋…………………………………………35
日曜日…………………………………………51
心がはり………………………………………65
たそがれ時……………………………………77
うらおもて……………………………………89
捨て児……………………………………… 101
袖子………………………………………… 117
男ごゝろ…………………………………… 127
夏の夜……………………………………… 143
東雲………………………………………… 155
冬日かげ…………………………………… 165
晩酌………………………………………… 173
珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選…………… 181
珊瑚集序………………………………… 182
死のよろこび(シヤアル・ボオドレヱル)…… 183
憂悶(シヤアル・ボオドレヱル)…… 185
暗黒(シヤアル・ボオドレヱル)…… 187
仇敵(シヤアル・ボオドレヱル)…… 189
秋の歌(シヤアル・ボオドレヱル)… 191
腐肉(シヤアル・ボオドレヱル)…… 194
月の悲しみ(シヤアル・ボオドレヱル)…… 199
そゞろあるき(アルチユウル・ランボオ)…… 201
ぴあの(ポオル・ヴヱルレヱン)…… 203
ましろの月(ポオル・ヴヱルレヱン)…… 205
道行(ポオル・ヴヱルレヱン)……… 207
夜の小鳥(ポオル・ヴヱルレヱン)… 209
暖き火のほとり(ポオル・ヴヱルレヱン)…… 210
返らぬむかし(ポオル・ヴヱルレヱン)…… 211
偶成(ポオル・ヴヱルレヱン)……… 213
沼(ピエエル・ゴオチエ)…………… 215
池(ヱドモン・ピカアル)…………… 217
音楽と色彩と匂ひの記憶(ヱミル・ヴオオケヱル)…… 219
秋のいたましき笛(アア・ヱフ・ヱロオル)…… 221
仏蘭西の小都会(アンリイ・ド・レニエエ)…… 223
葡萄(アンリイ・ド・レニエエ)…… 227
われはあゆみき(アンリイ・ド・レニエエ)…… 229
夕ぐれ(アンリイ・ド・レニエエ)… 231
秋(アンリイ・ド・レニエエ)……… 233
正午(アンリイ・ド・レニエエ)…… 235
告白(アンリイ・ド・レニエエ)…… 237
庭(アンリイ・ド・レニエエ)……… 240
 (アンリイ・ド・レニエエ)……… 242
年の行く夜(アンリイ・ド・レニエエ)…… 244
暮方の食事(シヤアル・ゲラン)…… 248
道のはづれに(シヤアル・ゲラン)… 251
ありやなしや(シヤアル・ゲラン)… 254
四月(ギユスタアヴ・カン)………… 255
ロマンチックの夕(伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ)…… 257
九月の果樹園(伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ)…… 260
西班牙を望み見て(伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ)…… 263
菊花の歌(シヤアル・グランムウラン)…… 266
あまりに泣きぬ若き時(フヱルナン・グレヱ)…… 269
沈みし鐘(スチユアル・メリル)…… 270
夏の夜の井戸(スチユアル・メリル)…… 273
奢侈(アルベヱル・サマン)………… 276
珊瑚集拾遺………………………………… 287
をかしき唄(Tristan Klingsor)…… 289
嘆息(ステフワン・マラルメ)……… 294
ショーパンの曲(アンナ・ド・ノアイユ)…… 295
シューマンをきゝて(アンナ・ド・ノアイユ)…… 298
偏奇館吟草………………………………… 301
はしがき………………………………… 303
夏うぐひす……………………………… 305
からす…………………………………… 307
旧調……………………………………… 309
絶望……………………………………… 311
こほろぎ………………………………… 313
小春……………………………………… 316
暗き日のくり言………………………… 318
冬の草…………………………………… 320
口ずさみ………………………………… 322
狼………………………………………… 324
日曜日…………………………………… 328
船の上…………………………………… 330
涙………………………………………… 332
冬の窓…………………………………… 334
ハーモニカ……………………………… 339
燕………………………………………… 342
震災……………………………………… 345
窓の禽…………………………………… 347
門づけ…………………………………… 349
鳩………………………………………… 353
墓詣……………………………………… 356
影法師…………………………………… 359
拷問……………………………………… 361
堀割の散歩……………………………… 363
落花の風………………………………… 367
夜半の風………………………………… 369
犬の声…………………………………… 371
雀………………………………………… 373
暮春の庭………………………………… 374
無題……………………………………… 376
海月の歌………………………………… 378
山の手…………………………………… 379
 蟲……………………………………… 381
不浄の涙………………………………… 383
 ………………………………………… 385
雨蛙……………………………………… 388
武器……………………………………… 390
秋窓風雨夕……………………………… 392
永きわかれ……………………………… 394
ひるがほ………………………………… 402
偏奇館吟草拾遺…………………………… 405
即興……………………………………… 407
Au Caf  Printemps ………………… 407
自由劇場の稽古の午過ぎ…………… 409
朽行く老樹……………………………… 411
乱余漫吟…………………………………… 413
外套……………………………………… 415
日の暮…………………………………… 417
年はゆく………………………………… 419
押絵……………………………………… 421
銅像……………………………………… 423
冬の日…………………………………… 426
草の花…………………………………… 428
静なる小みち…………………………… 430
自選 荷風百句…………………………… 433
自選 荷風百句序……………………… 434
春之部…………………………………… 435
夏之部…………………………………… 438
秋之部…………………………………… 441
冬之部…………………………………… 443
俳句………………………………………… 447
狂歌………………………………………… 493
小唄………………………………………… 497
漢詩………………………………………… 501
*後記……………………………………… 507
 


1952年(昭和27年)
11月 - 文化勲章受章。
1954年
1月 - 日本芸術院会員に選ばれる。
1957年
3月 - 市川市八幡町四丁目1224番地(現八幡三丁目)に転居。
1959年(昭和34年)
4月30日 - 死去。死因は胃潰瘍の吐血による窒息死(『荷風外傳』)。




第12巻 1963.9.12
 
異郷の恋 三幕四場………………………… 1
平維盛 一幕…………………………………55
秋の別れ 一幕………………………………65
わくら葉 三幕………………………………87
煙 三幕…………………………………… 163
三柏葉樹頭夜嵐 三幕…………………… 227
旅姿思掛稲 浄瑠璃 一幕……………… 283
開化一夜艸 二幕………………………… 291
夜網誰白魚 二幕………………………… 339
早春 一幕………………………………… 375
葛飾情話 歌劇 二場…………………… 391
停電の夜の出来事 一幕三場…………… 415
春情鳩の街 一幕三場…………………… 439
渡鳥いつかへる 一幕四場……………… 469
浅草交響曲 映画筋書…………………… 495
三巴天明騒動記…………………………… 509
平維盛一幕異文…………………………… 535
*後記……………………………………… 551
 


第13巻 1963.2.12
 
紅茶の後……………………………………… 1
紅茶の後序………………………………… 3
三田文学の発刊…………………………… 5
有楽座にて………………………………… 9
一幕見………………………………………12
片恋…………………………………………15
五月…………………………………………18
倦怠…………………………………………21
鋳掛松………………………………………26
霊廟…………………………………………29
冷笑につきて………………………………41
九月…………………………………………45
流竄の楽土…………………………………49
絶望なるかな………………………………51
希望…………………………………………55
歌舞伎座の桟敷にて………………………57
或劇場の運動場にて………………………62
自由劇場の帰り……………………………67
新年…………………………………………72
浮世絵………………………………………80
芝居小景……………………………………89
銀座…………………………………………95
あの人達………………………………… 106
蟲干……………………………………… 121
海洋の旅………………………………… 132
雑草園 其一……………………………… 147
谷崎潤一郎氏の作品…………………… 149
樅山庭後………………………………… 159
浅草の久保田君に呈す………………… 163
東京の夏の趣味………………………… 169
厠の窓…………………………………… 175
妾宅………………………………………… 187
大窪だより 自大正2年至大正3年……… 217
大窪だより 拾遺……………………… 291
日和下駄 一名 東京散策記…………… 293
序………………………………………… 295
第1 日和下駄…………………………… 297
第2 淫祠………………………………… 307
第3 樹…………………………………… 309
第4 地図………………………………… 316
第5 寺…………………………………… 321
第6 水 附 渡船……………………… 331
第7 路地………………………………… 345
第8 閑地………………………………… 350
第9 崖…………………………………… 365
第10 坂 ………………………………… 377
第11 夕陽 附 富士眺望 …………… 383
日和下駄異文…………………………… 389
*後記……………………………………… 393
 


第14巻 1963.6.12
 
江戸芸術論…………………………………… 1
浮世絵の鑑賞……………………………… 3
鈴木春信の錦絵……………………………17
浮世絵の山水画と江戸名所………………33
泰西人の見たる葛飾北斎…………………53
ゴンクウルの歌麿及北斎伝………………67
欧米人の浮世絵研究………………………81
浮世絵と江戸演劇…………………………95
衰頽期の浮世絵………………………… 113
狂歌を論ず……………………………… 131
江戸演劇の特徴………………………… 143
江戸芸術論 異文………………………… 155
浮世絵の山水画と江戸名所…………… 157
ゴングウルの歌麿伝 并に北斎伝…… 181
欧人の観たる葛飾北斎………………… 203
断腸亭雑稾………………………………… 227
序………………………………………… 229
断腸亭記(庭後隠士)………………… 230
築地草…………………………………… 237
矢はずぐさ……………………………… 247
矢立のちび筆…………………………… 273
雨声会の記……………………………… 279
一夕……………………………………… 283
初硯……………………………………… 289
築地がよひ……………………………… 295
草箒……………………………………… 301
何ぢやゝら……………………………… 307
葡萄棚…………………………………… 313
松の内…………………………………… 317
夏ごろも………………………………… 323
来青花…………………………………… 325
曝書……………………………………… 329
夕立……………………………………… 331
立秋所見………………………………… 335
雑草園 其二……………………………… 337
文明発刊の辞…………………………… 339
文反古…………………………………… 347
文明一周年の辞………………………… 353
書かでもの記……………………………… 357
小説作法…………………………………… 393
*後記……………………………………… 409
 


第15巻 1963.11.12
 
麻布襍記……………………………………… 1
花火………………………………………… 5
砂糖…………………………………………19
写況雑記……………………………………27
十年振 一名 京都紀行…………………39
梅雨晴………………………………………57
十日の菊……………………………………69
偏奇館漫録…………………………………83
偏奇館漫録 拾遺……………………… 123
二百十日……………………………… 130
裸談義………………………………… 139
隠居のこゞと…………………………… 147
鴎外先生…………………………………… 227
鴎外先生………………………………… 229
森先生の事……………………………… 231
鴎外全集刊行の記……………………… 234
鴎外全集を読む………………………… 239
森先生の伊沢蘭軒を読む……………… 241
東京堂版鴎外選集広告文……………… 247
東京堂版鴎外選集第8巻解説 ………… 248
鴎外記念館のこと……………………… 256
仏蘭西人の観たる鴎外先生…………… 259
下谷叢話…………………………………… 263
葷斎漫筆…………………………………… 457
大田南畝年譜……………………………… 525
為永春水…………………………………… 549
為永春水年譜……………………………… 581
*後記……………………………………… 593
 


第16巻 1964.1.13
 
荷風文稾……………………………………… 1
礫川 記………………………………… 3
几辺の記……………………………………15
七月九日の記………………………………23
白鳥正宗氏に答るの書……………………31
文芸春秋記者に与るの書…………………37
金阜山人戯文集………………………………43
金阜山人戯文集叙…………………………45
芸人読本……………………………………47
東京花譜……………………………………57
賞心楽事……………………………………63
洋服論………………………………………65
洋食論………………………………………75
桑中喜語……………………………………83
猥褻独問答……………………………… 111       1917(大正6)年
毎月見聞録 自大正5年3月至大正7年11月…… 115
東京年中行事……………………………… 253
荷風随筆…………………………………… 265
成嶋柳北の日誌………………………… 267
柳橋新誌につきて……………………… 283
向嶋……………………………………… 293
百花園…………………………………… 309
上野……………………………………… 315
帝国劇場のオペラ……………………… 329
歌舞伎座の稽古………………………… 335
にくまれぐち…………………………… 349
新聞紙について………………………… 361
訳詩について…………………………… 367
申訳……………………………………… 373
中洲病院を訪ふ………………………… 401
市河先生の燼録………………………… 407
雀………………………………………… 411
巷の声…………………………………… 417
中村さんに質する文…………………… 423
正宗谷崎両氏の批評に答ふ…………… 429
*後記……………………………………… 439
 



わいせつひとりもんどう
猥褻独問答   1917(大正6)年
     
 永井荷風  



○猥褻なる文学絵画の世を害する事元より論なし。書生猥褻なる小説を手にすれば学問をそつちのけにして下女の尻を追ふべく、親爺猥褻なる画を見れば忽ち養女に手を出すべし。おそれざるべけんや。

○然らば何を以てか猥褻なる文学絵画といふや。人をして淫慾をおこさしむるものをいふなり。人とは如何なる人を指せるや。社会一般を指すなり、十人が十人の事をいふなり。然らばここに一冊子あり。これを読みて十中五人はあぢな気を興し五人は一向平気ならば如何いかんとなす。十中の五人をして気を悪くせしむるものはこれあきらかに猥褻のものなり。然らば十中の一人独り春情を催したりとせば如何。これ猥褻の嫌ひあるものなり。猥褻の嫌ひあるもの果して全く猥褻なるや否や。凡そ徳をたっとぶものは悪の大小を問はざる也。凡て不善に近きものを遠ざく。何ぞ猥褻の真偽をきわむるの要あらんや。

○文学美術にして猥褻の嫌ひあるもの甚だ多し。恋愛を描ける小説、婦女の裸体を描ける絵画の類、ことごとくこれをしりぞくべき。悉くこれを排けて可なり。善を喜ぶのあまり時に悪を憎む事甚しきに過ぐると、悪を憐みて遂に悪に染むと、そのへいいづれか大なるや。猥褻に近きものを排くるは人をしてあやうきに近よらしめざるなり。

○危きに近よらざるは好し。然れども危きを恐れて常に遠ざかる事の甚しきに過ぎんか。一度誤つて近けばたちまち陥つてまた救ふべからざるに至るのおそれなからんか。厳に過ぐるの弊寛に流るるの弊に比して決して小なりといふを得んや。

○およそ事の利害にして相伴はざるは稀なり。倹約は吝嗇りんしょくに傾きやすく文華は淫肆いんしに陥りやすく尚武はとかくおかまをねらひたがるなり。尚武の人は言ふおかまは武士道の弊の一端なり。白璧はくへき微瑕びかなり。一の弊あるも九の徳あらばその弊何ぞ言ふに足らんや。風流の人は言ふ風流人の淫行は人間の淫行にして野獣の淫にらず、人情の美をもといとするを忘れざるなり。文明の人は淫するも時あれば必ずさとる。悟れば再びその愚を反復する事なし。武骨一片の野暮一度淫すれば必ずおぼる。溺れて後大にいきどおつて治郎左衛門をきめるなり。淫事の恐るべきは武骨一片の野暮なるが故にして淫の淫たるが故に非らざる也と。それ果していづれかなる。

○世界中猥褻の恐れられたる我国の如く甚しきは稀なるべし。公設展覧会出品の裸体画は絵葉書とする事を禁ぜられ、心中しんじゅう情死の文字ある狂言の外題げだいは劇場に出す事を許さず。当路の有司ゆうし衆庶しゅうしょのこれがために春情を催す事をおもんぱかるが故なり。然ればかくの如きの禁令は日本国民の世界中もっとも助兵衛なる事を証するものならずや。忠君愛国は久しく日本国民の特徴なりここにまた助兵衛の特徴を加へんか余りに特徴の多きにえざるの観あり。

○市中電車の雑沓と動揺に乗じ女客に対して種々なるたわむれをなすものあるは人の知る処なり。釣皮にぶらさがる女の袖口そでぐちより脇の下をそつと覗いて独りえつるものあり。隣の女の肩にわざとり掛りあるいはひそかに肩の後または尻の方へ手を廻して抱くとも抱かぬともつかぬ変な事をするものあり。女の前に立ちて両足の間に女の膝を入れて時々締めにかかる奴あり。これらの例数ふるにいとまあらず。これ助兵衛の致す処か。飢ゑたるの致す処か。助兵衛は飽きてなほ欲するものをいふなり。飢ゑたるものは食を選ばず唯無暗にがつがつするなり。飽けば案外おとなしくなるなり。

縁日えんにちの夜、摺違すれちがひに若き女のお尻をつねつたりなんぞしてからかふ者あり。これからかふにして何もその女を姦せんと欲するがために非ず。さういふ男は女郎屋なぞに上ればかへつてさつぱりしたものなり。江戸児えどっこの職人なぞにこの類多し。助兵衛にあらず飢ゑたるにもあらずして女をからかふは何の故ぞや。唯面白ければなり。猥褻は上下万民に了解せらるる興味なり。かくの如く平民的平等的なる興味また他に求むべからず。救世軍の日本に来るやまづ吉原の娼妓によつて事をなす。天下あまねく喜んでその事の是非を論ぜり。当路の官吏しばしば治績を世に示さんとするや必ず文学美術演劇の取締を厳にし加ふるに淫売狩を以てす。皆策の得たるものといふべきなり。

○人猥褻を好まば宜しく猥褻の戒むべき事を論ずべし。これを奨励するとこれを禁圧するとけだしその結果や一たり。共にその事を口にして常にその事に親しむ事を得ればなり。改良といひ矯正と称し進化と号するは当今の流行なり。欠点を挙げ弊害を論ずる事を好むはまたこれ日本人の特徴なり。猥褻の害は論じやすし。論ずれば聴くもの必ずよろこんでをなす。誰か強いてその利を論ずるの愚をなさんや。然れども害あるものもし用ゆる事宜しければ転じて利となる事無きに非らず。煙草にも徳あり酒にも功あり。

○猥褻を転じて滑稽となせしは天明の狂歌なり。寄筍恋下女恋きじゅんれんげじょれん等の題目についてるべし。猥褻をして一味いひがたき哀愁の美たらしめしは為永ためなが一派の人情本なり。猥褻を基礎として人生と社会を達観したるは川柳『末摘花すえつむはな』なり。我国わがくに木版術の精巧は春画をきて他に看るべからず。毛刻けぼりは鼠の歯を以てなすものなりといふ。されど記者いまだ真偽を確めしにあらず。かかる事は確めざるをよしとす。




「荷風全集」第十七巻 金阜山人戯文集   大正6年






第17巻 1964.7.13
 
冬の蝿………………………………………… 1
冬の蝿序…………………………………… 3
断腸花……………………………………… 5
枇杷の花……………………………………11
きのふの淵…………………………………17
井戸の水……………………………………31
深川の散歩…………………………………41
元八まん……………………………………53
里の今昔……………………………………61
十六七のころ………………………………75
十九の秋……………………………………83
岡鬼太郎氏の花柳小説を読む……………91
鐘の声…………………………………… 101
放水路…………………………………… 105
寺じまの記……………………………… 115 
  昭和十一年四月
町中の月………………………………… 129
郊外……………………………………… 135
西瓜……………………………………… 139
浅草公園の興行物を見て……………… 157
冬の夜がたり…………………………… 165
蟲の声…………………………………… 177
雪の日…………………………………… 185
枯葉の記………………………………… 197
葛飾土産 其他…………………………… 203   
亜米利加の思出………………………… 205
冬日の窓………………………………… 213
墓畔の梅………………………………… 227
仮寐の夢………………………………… 233
草紅葉…………………………………… 245
木犀の花………………………………… 255
葛飾土産………………………………… 263
細雪妄評………………………………… 281
宮城環景を観る………………………… 285
裸体談義………………………………… 289
出版屋惣まくり………………………… 299
放談……………………………………… 305
浅草むかしばなし……………………… 313
漫談……………………………………… 317
雑話……………………………………… 325
水のながれ……………………………… 329
向島……………………………………… 333
*後記……………………………………… 337
 


『寺じまの記』

     永井荷風


 雷門かみなりもんといっても門はない。門は慶応元年に焼けたなり建てられないのだという。門のない門の前を、吾妻橋あずまばしの方へ少し行くと、左側の路端みちばたに乗合自動車のとまる知らせの棒が立っている。浅草郵便局の前で、細い横町よこちょうへの曲角で、人の込合こみあう中でもその最も烈しく込合うところである。
 ここに亀戸かめいど押上おしあげたま堀切ほりきりかねふち四木よつぎから新宿にいじゅく金町かなまちなどへ行く乗合自動車が駐る。
 暫く立って見ていると、玉の井へ行く車には二種あるらしい。一は市営乗合自動車、一は京成けいせい乗合自動車と、おのおのその車の横腹よこはらに書いてある。市営の車は藍色、京成は黄いろく塗ってある。案内の女車掌も各一人ずつ、腕にしるしを付けて、路端に立ち、雷門の方から車が来るたびたびその行く方角をきいろい声で知らせている。
 或夜、まだ暮れてからもない時分であった。わたくしは案内の女に教えられて、黄色に塗った京成乗合自動車に乗った。路端の混雑から考えて、とても腰はかけられまいと思いの外、乗客は七、八人にも至らぬ中、車はもう動いている。
 活動見物の帰りかとも思われる娘が二人に角帽の学生が一人。白い雨外套あまがいとうを着た職工風の男が一人、かすりの着流しに八字髯はちじひげはやしながらその顔立はいかにも田舎臭い四十年配の男が一人、めかけ風の大丸髷おおまるまげ寄席よせ芸人とも見える角袖かくそでコートの男が一人。医者とも見える眼鏡の紳士が一人。汚れた襟付えりつきあわせ半纏はんてんを重ねた遣手婆やりてばばのようなのが一人――いずれにしても赤坂あかさか麹町こうじまちあたりの電車には、あまり見掛けない人物である。
 車は吾妻橋をわたって、広い新道路を、向嶋むこうじま行の電車と前後して北へ曲り、源森橋げんもりばしをわたる。両側とも商店が並んでいるが、源森川を渡った事から考えて、わたくしはむかしならば小梅こうめあたりを行くのだろうと思っているうち、車掌が次は須崎町すさきまち、お降りは御在ませんかといった。おりる人も、乗る人もない。車は電車通から急に左へ曲り、すぐまた右へ折れると、町の光景は一変して、両側ともに料理屋待合茶屋の並んだ薄暗い一本道である。下駄の音と、女の声が聞える。
 車掌が弘福寺前こうふくじまえと呼んだ時、妾風の大丸髷とコートの男とが連立って降りた。わたくしは新築せられた弘福禅寺の堂宇を見ようとしたが、外は暗く、唯低いの茂りが見えるばかり。やがて公園の入口らしい処へとまって、車は川の見える堤へのぼった。堤はどの辺かと思う時、車掌が大倉別邸前といったので、長命寺ちょうめいじはとうに過ぎて、むかしならば須崎村すさきむら柳畠やなぎばたけを見おろすあたりである事がわかった。しかし柳畠にはもう別荘らしい門構もなく、また堤には一本の桜もない。両側に立ち続く小家こいえは、堤の上に板橋をかけわたし、日満食堂などと書いた納簾のれんを飜しているのもある。人家の灯で案外明いが、人通りはない。
 車は小松嶋こまつしまという停留場につく。雨外套の職工が降りて車の中は、いよいよ広くなった。次に停車した地蔵阪じぞうざかというのは、むかし百花園や入金いりきんへ行く人たちが堤を東側へと降りかける処で、路端みちばたに石地蔵が二ツ三ツ立っていたように覚えているが、今見れば、奉納の小さなのぼりが紅白幾流いくながれともなく立っている。淫祠いんしの興隆は時勢の力もこれを阻止することが出来ないと見える。
 行手ゆくての右側に神社の屋根が樹木の間に見え、左側には真暗な水面を燈火の動き走っているのが見え出したので、車掌の知らせを待たずして、白髯橋しらひげばしのたもとに来たことがわかる。橋袂はしだもとから広い新道路が東南に向って走っているのを見たが、乗合自動車はその方へは曲らず、堤を下りて迂曲する狭い道を取った。狭い道は薄暗く、平家建ひらやだての小家が立並ぶ間を絶えず曲っているが、しかし燈火とうかは行くに従って次第に多く、家もまた二階建となり、表付おもてつきだけセメントづくりに見せかけた商店が増え、行手の空にはネオンサインの輝きさえ見えるようになった。
 わたくしはふと大正二、三年のころ、初て木造の白髯橋ができて、橋銭はしせんを取っていた時分のことを思返した。隅田川と中川との間にひろがっていた水田すいでん隴畝ろうほが、次第に埋められて町になり初めたのも、その頃からであろうか。しかし玉の井という町の名は、まだ耳にしなかった。それは大正八、九年のころ、浅草公園の北側をかぎっていた深い溝が埋められ、道路取ひろげの工事と共に、その辺のなまめかしい家が取払われた時からであろう。当時凌雲閣の近処には依然としてそういう小家こいえがなお数知れず残っていたが、震災の火に焼かれてその跡を絶つに及び、ここに玉の井の名が俄に言囃いいはやされるようになった。
 女車掌が突然、「次は局前、郵便局前。」というのに驚いて、あたりを見ると、右に灰色した大きな建物、左に『大菩薩峠だいぼさつとうげ』の幟を飜す活動小屋が立っていて、煌々こうこうと灯をかがやかす両側の商店から、ラヂオと蓄音機の歌が聞える。
 商店の中で、シャツ、ヱプロンを吊した雑貨店、煎餅屋せんべいや、おもちゃ屋、下駄屋。その中でも殊にあかりのあかるいせいでもあるか、薬屋の店が幾軒もあるように思われた。
 忽ち電車線路の踏切があって、それを越すと、車掌が、「劇場前」と呼ぶので、わたくしは燈火や彩旗さいきの見える片方を見返ると、絵看板の間に向嶋劇場という金文字が輝いていて、これもやはり活動小屋であった。二、三人残っていた乗客はここで皆降りてしまって、その代り、汚い包をかかえた田舎者らしい四十前後の女が二人乗った。
 車はオーライスとよぶ女車掌の声と共に、動き出したかと思う間もなく、また駐って、「玉の井車庫前」と呼びながら、車掌はわたくしに目で知らせてくれた。わたくしは初め行先を聞かれて、賃銭ちんせんを払う時、玉の井の一番賑な処でおろしてくれるように、人前をはばからず頼んで置いたのである。
 車から降りて、わたくしはあたりを見廻した。道は同じようにうねうねしていて、行先はわからない。やはり食料品、雑貨店などの中で、薬屋が多く、次は下駄屋と水菓子屋が目につく。
 左側に玉の井館という寄席があって、浪花節語なにわぶしかたりの名を染めた幟が二、三流立っている。その鄰りに常夜燈と書いたあかりを両側に立て連ね、斜に路地の奥深く、南無妙法蓮華経の赤い提灯ちょうちんをつるした堂と、満願稲荷まんがんいなりとかいたほこらがあって、法華堂の方からカチカチカチと木魚を叩く音が聞える。
 これと向合いになった車庫を見ると、さして広くもない構内のはずれに、燈影ほかげの見えない二階家にかいやが立ちつづいていて、その下六尺ばかり、通路になった処に、「ぬけられます。」と横に書いたあかりが出してある。
 わたくしは人に道をきくわずらいもなく、構内の水溜りをまたぎまたぎ灯の下をくぐると、いえ亜鉛トタン羽目はめとにはさまれた三尺幅くらいの路地で、右手はすぐ行止りであるが、左手の方に行くこと十歩ならずして、幅一、二けんもあろうかと思われる溝にかけた橋の上に出た。
 橋向うの左側に「おでんかん酒、あづまや」とした赤行燈あかあんどうを出し、葭簀よしずで囲いをした居酒屋から、するめ[#「魚+昜」、U+9C11、254-6]を焼く匂いがしている。溝際には塀とも目かくしともつかぬ板と葭簀とが立ててあって、青木や柾木まさきのような植木の鉢が数知れず置並べてある。
 ここまでは、一人ひとりも人に逢わなかったが、板塀の彼方かなたに奉納の幟が立っているのを見て、其方そちらへ行きかけると、路地は忽ち四方に分れていて、背広に中折なかおれかぶった男や、金ボタンの制服をきた若い男の姿が、途絶えがちながら、あちこちに動いているのを見た。思ったより混雑していないのは、まだ夜になって間もない故であるのかも知れない。
 足の向く方へ、また十歩ばかりも歩いて、路地の分れる角へ来ると、また「ぬけられます。」というあかりが見えるが、さて其処そこまで行って、今歩いて来た後方うしろを顧ると、何処どこ彼処かしこも一様の家造やづくりと、一様の路地なので、自分の歩いた道は、どの路地であったのか、もう見分けがつかなくなる。おやおやと思って、後へ戻って見ると、同じような溝があって、同じような植木鉢が並べてある。しかしよく見ると、それは決して同じ路地ではない。
 路地の両側に立並んでいる二階建の家は、表付に幾分か相違があるが、これも近寄って番地でも見ないかぎり、全く同じようである。いずれも三尺あるかなしかの開戸ひらきどの傍に、一尺四方位の窓が適度の高さにあけてある。適度の高さというのは、路地を歩く男の目と、窓の中の燈火あかりに照らされている女の顔との距離をいうのである。窓際に立寄ると、少し腰をかがめなければ、女の顔は見られないが、歩いていれば、窓の顔は四、五軒一目に見渡される。誰が考えたのか巧みな工風くふうである。
 窓の女は人の跫音あしおとがすると、姿の見えない中から、チョイトチョイト旦那。チョイトチョイト眼鏡のおじさんとかいって呼ぶのが、チイト、チイートと妙なふしがついているように聞える。この妙な声は、わたくしが二十歳はたちの頃、吉原の羅生門横町、洲崎すさきのケコロ、または浅草公園の裏手などで聞き馴れたものと、少しも変りがない。時代は忽然こつぜん三、四十年むかしに逆戻りしたような心持をさせたが、そういえば溝の水の流れもせず、泡立ったまま沈滞しているさまも、わたくしには鉄漿溝おはぐろどぶの埋められなかった昔の吉原を思出させる。
 わたくしは我ながら意外なる追憶の情に打たれざるを得ない。両側の窓から呼ぶ声は一歩一歩せわしくなって、「旦那、ここまで入らっしゃい。」というもあり、「おぶだけあがってよ。」というのもある。中には唯笑顔を見せただけで、呼止めたって上る気のないものは上りゃしないといわぬばかり、おち付いて黙っているのもある。
 女の風俗はカフェーの女給に似た和装と、酒場で見るような洋装とが多く、中には山の手の芸者そっくりの島田もまじっている。服装のみならず、その容貌もまた東京の町のいずこにも見られるようなもので、即ち、看護婦、派出婦、下婢かひ、女給、女車掌、女店員など、地方からこの首都に集って来る若い女の顔である。現代民衆的婦人の顔とでも言うべきものであろう。この顔にはいろいろの種類があるが、その表情の朴訥ぼくとつ穏和なことは、殆ど皆一様で、何処どことなくその運命と境遇とに甘んじているようにも見られるところから、一見人をして恐怖を感ぜしめるほど陰険な顔もなければまた神経過敏な顔もない。百貨店で呉服物見切みきりの安売りをする時、品物に注がれるような鋭い目付はここには見られない。また女学校の入学試験に合格しなかった時、娘の顔に現われるような表情もない。
 わたくしはここに一言して置く。わたくしは医者でもなく、教育家でもなく、また現代の文学者を以て自ら任じているものでもない。三田派みたはの或評論家が言った如く、その趣味は俗悪、その人品は低劣なる一介いっかい無頼漢ぶらいかんに過ぎない。それ故、知識階級の夫人や娘の顔よりも、この窓の女の顔の方が、両者を比較したなら、わたくしにはむしろいとうべき感情を起させないという事ができるであろう。
 呼ばれるがまま、わたくしは窓の傍に立ち、勧められるがまま開戸ひらきどの中に這入はいって見た。
 家一軒について窓は二ツ。出入でいりの戸もまた二ツある。女一人について窓と戸が一ツずつあるわけである。窓の戸はその内側が鏡になっていて、羽目はめの高い処に小さな縁起棚えんぎだなが設けてある。壁際につッた別の棚には化粧道具や絵葉書、人形などが置かれ、一輪ざしの花瓶はないけには花がさしてある。わたくしは円タクの窓にもしばしば同じような花のさしてあるのを思い合せ、こういう人たちの間には何やら共通な趣味があるような気がした。
 上框あがりかまちの板の間に上ると、中仕切なかしきりの障子しょうじに、赤い布片きれひものように細く切り、その先へ重りの鈴をつけた納簾のれんのようなものが一面にさげてある。女はスリッパアを揃え直して、わたくしを迎え、納簾の紐を分けて二階へ案内する。わたくしは梯子段はしごだんを上りかけた時、そっと奥の間をのぞいて見ると、箪笥たんすちゃだい、鏡台、長火鉢、三味線掛などの据置かれた様子。さほど貧苦の家とも見えず、またそれほど取散らされてもいない。二階は三畳の間が二間、四畳半が一間、それから八畳か十畳ほどの広い座敷には、寝台ねだい椅子いす卓子テーブルを据え、壁には壁紙、窓には窓掛、畳には敷物を敷き、天井の電燈にも装飾を施し、テーブルの上にはマッチ灰皿のほかに、『スタア』という雑誌のよごれたのが一冊載せてあった。
 女は下から黒塗のふたのついた湯飲茶碗を持って来て、テーブルの上に置いた。わたくしはくわえていた巻煙草を灰皿に入れ、
「今日は見物に来たんだからね。お茶代だけでかんべんしてもらうよ。」といって祝儀しゅうぎを出すと、女は、
「こんなに貰わなくッていいよ。おだけなら。」
「じゃ、こん度来る時まで預けて置こう。ここの家は何ていうんだ。」
「高山ッていうの。」
「町の名はやっぱり寺嶋町てらじままちか。」
「そう。七丁目だよ。一部に二部はみんな七丁目だよ。」
「何だい。一部だの二部だのッていうのは。何かちがう処があるのか。」
「同じさ。だけれどそういうのよ。改正道路の向へ行くと四部も五部もあるよ。」
「六部も七部もあるのか。」
「そんなにはない。」
「昼間は何をしている。」
「四時から店を張るよ。昼間は静だから入らっしゃいよ。」
「休む日はないのか。」
「月に二度公休しるわ。」
「どこへ遊びに行く。浅草だろう。大抵。」
「そう。く行くわ。だけれど、大抵近所の活動にするわ。おんなじだもの。」
「お前、うちは北海道じゃないか。」
「あら。どうして知ってなさる。小樽だ。」
「それはわかるよ。もう長くいるのか。」
「ここはこの春から。」
「じゃ、その前はどこにいた。」
亀戸かめいどにいたんだけど、かアさんが病気で、お金がるからね。こっちへ変った。」
「どの位借りてるんだ。」
「千円で四年だよ。」
「これから四年かい。大変だな。」
「もう一人の人なんか、もっと長くいるよ。」
「そうか。」
 下で呼鈴よびりんを鳴す音がしたので、わたくしは椅子を立ち、バスへ乗る近道をききながら下へ降りた。
 外へ出ると、人の往来ゆききは漸くしげくなり、チョイトチョイトの呼声も反響するように、路地の四方から聞えて来る。安全通路と高く掲げた灯の下に、人だかりがしているので、喧嘩かと思うと、そうではなかった。ヴィヨロンの音と共に、流行唄はやりうたが聞え出す。蜜豆屋みつまめやがガラス皿を窓へ運んでいる。茹玉子ゆでたまご林檎りんごバナナを手車に載せ、うしろから押してくるものもある。物売や車の通るところは、この別天地では目貫きの大通であるらしい。こういう処には、衝立ついたてのような板が立ててあって、さし向いの家の窓と窓とが、互に見えないようにしてある。
 わたくしは路地を右へ曲ったり、左へ折れたり、ひやいを抜けたり、軒の下をくぐったり、足の向くまま歩いて行くうち、一度通った処へまた出たものと見えて、「あら、浮気者。」「知ってますよ。さっきの旦那。」などと言われた。忽ち真暗な広い道のほとりに出た。もと鉄道線路の敷地であったと見え、枕木まくらぎ掘除ほりのぞいた跡があって、ところどころに水が溜っている。両側とも板塀が立っていて、そのうしろの人家はやはり同じような路地の世界をつくっているものらしい。
 線路あと空地あきちが真直に闇をなした彼方のはずれには、往復する自動車の灯が見えた。わたくしは先刻さっき茶を飲んだ家の女に教えられた改正道路というのを思返して、板塀に沿うて其方そちらへ行って見ると、近年東京の町端まちはずれのいずこにも開かれている広い一直線の道路が走っていて、その片側に並んだ夜店の納簾と人通りとで、歩道は歩きにくいほど賑かである。沿道の商店からは蓄音機やラヂオの声のみならず、開店広告の笛太皷も聞える。盛に油の臭気を放っている屋台店の後には、円タクが列をなして帰りの客を待っている。
 ふと見れば、乗合自動車がとまる知らせの柱も立っているので、わたくしは紫色の灯をつけた車の来るのを待って、それに乗ると、来る人はあってもまだ帰る人の少い時間と見えて、人はひとりも乗っていない。何処まで行くのかと車掌にきくと、雷門を過ぎ、谷中やなかへまわって上野へ出るのだという。
 道の真中に突然赤い灯が輝き出して、乗合自動車が駐ったので、其方を見ると、二、三輌連続した電車が行手の道を横断して行くのである。踏切を越えて、町がにわかに暗くなった時、車掌が「曳舟ひきふね通り」と声をかけたので、わたくしは土地の名のなつかしさに、窓硝子まどガラスひたいを押付けて見たが、木も水も何も見えない中に、早くも市営電車向嶋の終点を通り過ぎた。それから先は電車と前後してやがて吾妻橋をわたる。河向かわむこうに聳えた松屋の屋根の時計を見ると、丁度九時……。
昭和十一年四月





第18巻 1964.10.12
 
女優ナナ 其他……………………………… 1
恋と刃……………………………………… 3
女優ナナ………………………………… 129
洪水……………………………………… 187
ヱミールゾラと其の小説……………… 231
女優ナヽ広告文………………………… 253
ゾラ氏の故郷…………………………… 255
ゾラ氏の「傑作」を読む……………… 259
ゾラ氏の作 La B te Humaine ……… 265
モーパサンの石像を拝す 其他………… 269
モーパサンの石像を拝す……………… 271
モーパッサンの扁舟紀行……………… 277
窓の花 其他……………………………… 305
氷る夜…………………………………… 307
窓の花(カチュル、マンデス)……… 313
水かゞみ(アンリイ、ド、レニヱー)…… 321
二人処女(マルセル、プレヴオ)…… 331
極東印象記(Henry Myles) ………… 341
仏蘭西の新社会劇 其他………………… 351
仏蘭西の新社会劇……………………… 353
仏蘭西自然主義と其反動……………… 383
芸術と芸術の製作者…………………… 401
伊太利新興の閨秀文学………………… 411
歌劇フオーストを聴くの記 其他……… 439
歌劇フオーストを聴くの記…………… 441
西洋音楽最近の傾向…………………… 469
欧洲歌劇の現状………………………… 491
欧米の音楽会及びオペラ劇場………… 501
仏蘭西観劇談…………………………… 515
仏蘭西現代の小説家 其他……………… 521
仏蘭西現代の小説家…………………… 523
仏国に於ける象徴派…………………… 533
仏国文壇の表徴派について…………… 539
小説壇の現在及び仏国小説の近事…… 545
ベルレーヌの伝記を読みて…………… 551
ピヱールロチと日本の風景…………… 557
*後記……………………………………… 577
 


第19巻 1964.5.12
 
西遊日誌抄…………………………………… 1
西遊日誌稿 1908年…………………………55
断腸亭日乗 1 ………………………………67
断膓亭日記巻之一(大正6年) …………73
断膓亭日記巻之二(大正7年) …………83
断腸亭日記巻之三(大正8年) ……… 115
断膓亭日記巻之四(大正9年) ……… 159
断腸亭日記巻之五(大正10年)……… 187
断膓亭日記巻之六(大正11年)……… 219
断膓亭日記巻之六(大正11年続)…… 255
断腸亭日記巻之七(大正12年)……… 261
断腸亭日記巻之八(大正13年)……… 307
断膓亭日記巻九(大正14年)………… 353
*後記……………………………………… 425
 


第20巻 1964.3.12
 
断腸亭日乗 2 ……………………………… 1
断腸亭日記巻之十(大正15年)………… 3
断膓亭日記巻之十(大正15年続)………19
断腸亭日記巻十一(昭和2年) ……… 103
断腸亭日記巻十一之下(昭和2年続)
………………………………………… 185
断膓亭日記巻十二(昭和3年) ……… 203
断腸亭日記巻十二下(昭和3年続) … 257
断膓亭日記巻第十三(昭和4年) …… 313
断膓亭日記巻十三下(昭和4年続) … 337
断腸亭日記巻十四(昭和5年) ……… 377
断腸亭日記巻十四下(昭和5年続) … 421
*後記……………………………………… 443
 


第21巻 1963.10.12
 
断腸亭日乗 3 ……………………………… 1
断腸亭日記巻十五(昭和6年) ………… 3
断膓亭日記巻十六(昭和7年) …………67
断腸亭日記巻十六続(昭和7年続) … 153
断膓亭日記巻十七(昭和8年) ……… 199
断膓亭日記巻十七続(昭和8年続) … 243
断腸亭日記巻十八(昭和9年) ……… 297
断腸亭日記巻十八続(昭和9年続) … 325
断膓亭日記巻十八続(昭和9年続 )…… 401
断腸亭日記巻十九(昭和10年)……… 419
断腸亭日記巻十九……………………… 421
断腸亭日記巻第十九続(昭和10年続)…… 487
*後記……………………………………… 531
 


第22巻 1963.5.15
 
断腸亭日乗 4 ……………………………… 1
断腸亭日記巻二十(昭和11年)………… 3
断腸亭日記巻第二十続(昭和11年続)…47
断腸亭日記第二十一(昭和12年)…… 129
断腸亭日記巻第二十一 ノ 続(昭和12年続)…… 207
昭和十三年歳次戊寅日記巻二十二…… 241
断膓亭日記巻第二十二続(昭和13年続)…… 251
断腸亭日記巻二十二続 (昭和13年続)…… 295
断膓亭日記第二十二巻続 (昭和13年続)…… 339
断膓亭日記巻二十三(昭和14年)…… 347
断腸亭日記巻二十三続(昭和14年続)…… 387
*後記……………………………………… 433
 


第23巻 1963.3.12
 
断腸亭日乗 5 ……………………………… 1
断腸亭日記第二十四巻(昭和15年)…… 5
断腸亭日記巻二拾四続(昭和15年続)…95
断腸亭日記第貳拾伍巻(昭和16年)… 129
断腸亭日記巻二十五続(昭和16年続)……… 199
断腸亭日記巻二拾六(昭和17年)…… 247
断腸亭日記第二十七巻(昭和18年)… 309
断腸亭日録巻貳拾八(昭和19年)…… 423
断腸亭日録第二十八巻続(昭和19年続)…… 463
*後記……………………………………… 513
 


第24巻 1964.9.12
 
断腸亭日乗 6 ……………………………… 1
断腸亭日記第二十九巻(昭和20年)…… 5
断腸亭日乗第二十九巻続(昭和20年続)…… 101
断腸亭日乗巻第三十(昭和21年)…… 117
断腸亭日乗第三十一巻(昭和22年 自1月初1至1月14日)…… 167
断腸亭日乗第三十一(昭和22年)…… 171
断膓亭日乗第三十二巻(昭和23年)… 233
断腸亭日乗第卅三巻(昭和24年)…… 277
断腸亭日乗第卅三巻(昭和24年続)… 303
断腸亭日乗第卅四巻(昭和25年)…… 321
断腸亭日乗第卅五巻(昭和26年)…… 351
断腸亭日乗第卅六巻(昭和27年)…… 375
断腸亭日乗第卅七巻(昭和28年)…… 405
断腸亭日乗第卅七巻(昭和28年続)… 429
断腸亭日乗第卅八巻(昭和29年)…… 437
断腸亭日乗巻卅九(昭和30年)……… 467
断腸亭日乗巻第四十(昭和31年)…… 495
断腸亭日乗巻第四十一(昭和32年)… 525
断腸亭日乗巻四十二(昭和33年)…… 553
断腸亭日乗第四十三巻(昭和34年)… 581
断腸亭日乗稿…………………………… 589
断腸亭日乗(昭和21年)……………… 593
断腸亭日乗第三十一(昭和22年)…… 645
*後記……………………………………… 655
 


第25巻 1965.5.31
 
断膓亭尺牘…………………………………… 1
書簡集…………………………………………75
補遺……………………………………… 511
*書簡索引………………………………… 521
*後記……………………………………… 529
 


第26巻 1965.1.30
 
雑纂1
王昭君 其他………………………………… 3
王昭君……………………………………… 5
おくり船……………………………………13
つくりばなし………………………………29
糸のもつれ…………………………………41
四畳半襖の下張……………………………57
雑草園 其三…………………………………65
新年の雑誌界 其他………………………67
酒汀作の「失恋」上……………………68
新年の雑誌界……………………………69
湖山君の「大学攻撃」を読む…………75
二月の文壇………………………………78
日本人の作は素人臭い…………………82
フランス物語の発売禁止………………87
芸術品と芸術家の任務…………………91
芸術は智識の樹に咲く花也……………95
作品の性質に依り何れにても可也……98
批評について………………………… 100
小説と口絵…………………………… 102
正宗白鳥君…………………………… 104
文学雑感……………………………… 106
文章の調子と色……………………… 108
太陽第3回懸賞募集小説選評 ……… 115
文芸読むがまゝ……………………… 119
久米秀治氏の「その話」…………… 142
増田廉吉君新作「驚き」を読む…… 147
上田博士三周忌……………………… 150
現代文学全集につきて……………… 152
沼波瓊音氏…………………………… 158
上田敏先生…………………………… 160
小波先生と少年文学………………… 162
近代仏蘭西作家一覧………………… 164
拍子木物語 其他……………………… 187
拍子木物語…………………………… 188
歌舞伎座の春狂言…………………… 193
琴古流の尺八………………………… 198
楽屋十二時…………………………… 203
芝居の囃子…………………………… 214
劇界と劇評家………………………… 223
音楽雑談……………………………… 228
自分の見たるロダンの作品………… 232
演芸の趣味…………………………… 233
帝国劇場開場式合評………………… 238
帝国劇場批評………………………… 247
仏蘭西の女優………………………… 250
三人吉三廓初買につきて…………… 254
新書漫評……………………………… 259
繁太夫節拝聴仕候…………………… 262
左団次上演用脚本選後感…………… 263
申訳(第9回自由劇場開演) ……… 267
今様薩摩歌を観る…………………… 269
市川左団次…………………………… 273
帝劇の「旅姿思掛稲」……………… 276
謎帯一寸徳兵衛を観る……………… 279
岡鬼太郎君作昔摸鼠小紋…………… 280
梅暦について………………………… 286
市川左団次追憶座談会……………… 288
断章…………………………………… 293
上海紀行 其他………………………… 295
上海紀行……………………………… 296
涙……………………………………… 304
逗子より……………………………… 305
読書は悪行なり、多く語って少く読め!…… 306
俳優を愛したる乙女に……………… 308
死後の生活…………………………… 311
帰郷雑感……………………………… 314
雅号について………………………… 321
欧米の生活と日本の生活…………… 322
東洋的風土の特色…………………… 327
予と宗教信仰………………………… 330
浅草趣味……………………………… 332
少年時代愛読の雑誌………………… 334
「味」は調和………………………… 336
乗合船………………………………… 340
雅号の由来…………………………… 342
客子暴言……………………………… 343
古本評判記…………………………… 349
花月編輯雑記………………………… 354
独居雑感……………………………… 358
亜米利加の思ひ出…………………… 365
秋草…………………………………… 372
東京風俗ばなし……………………… 375
アンケート……………………………… 391
新年物と文士………………………… 392
注目すべき本年の作品……………… 392
文士と酒、煙草……………………… 393
文士と芝居…………………………… 393
文士とすし、汁粉…………………… 394
小説の地の文の語尾………………… 394
文士と八月…………………………… 395
七月十二日の記……………………… 395
簡易銷夏法…………………………… 396
趣味と好尚…………………………… 398
夏の生活……………………………… 399
浴衣姿の美人に対して……………… 400
若気の過ちとも申す可くや………… 401
余が最も好む土地と花と人と……… 401
夏の旅行地の感想…………………… 402
私の好きな夏の料理………………… 403
私の好きな夏の女姿………………… 403
文部省の所管とせよ………………… 404
余の文章が始めて活字となりし時… 405
興も覚えず…………………………… 405
私が女に生れたら?どう男を遇するか?!…… 406
もし私に子があつたら……………… 407
快活なる運河の都とせよ…………… 408
挿画類題言……………………………… 411
断片……………………………………… 415
西洋音楽最近の傾向 附記………… 416
橡の落葉 添書……………………… 416
紅茶の後(其四) 附記…………… 417
浮世絵 添書………………………… 417
五月闇 ことわりがき……………… 417
二人処女 附記……………………… 418
散柳窓夕栄 挿画…………………… 418
大窪だより 添書…………………… 419
日和下駄 挿絵目録………………… 419
けふこのごろ 添書………………… 421
正誤…………………………………… 421
謹告…………………………………… 422
禾原先生遊学日誌はしがき及び注… 424
序跋其他………………………………… 433
喜怒多集序…………………………… 434
久保田万太郎著小説浅草の跋……… 435
ルバイヤツト序……………………… 438
江戸庵句集序………………………… 439
浅草川船遊之記前書………………… 445
山下八景前書………………………… 446
鳰鳥柳花鈔叙………………………… 447
東京風景版画集叙…………………… 448
雑誌花月発行の辞…………………… 451
詩集昨日の花のはじめに…………… 453
堀口大学著月光とピヱロ叙………… 455
谷中大円寺笠森阿仙碑文…………… 457
谷崎潤一郎著近代情痴集叙………… 458
黒田湖山著小説滑稽の叙…………… 460
浮世絵保存刊行会趣意書…………… 462
山内秋生著春の別離の叙…………… 464
岡鬼太郎著世話狂言集の序………… 465
風流御小道具所開店披露の口上…… 466
堀口大学著青春の焔の叙…………… 467
山彦栄子墓誌………………………… 469
歌舞伎座俳諧雑誌はしかき………… 470
巌谷三一編述綴合亀山縞題言……… 472
市川左団次所蔵蜀山人画像函題…… 475
三世河竹新七脚本全集広告文……… 476
大衆文学全集松本泰集序…………… 477
文学博士上田敏著述全集広告文…… 479
市川松莚養子襲名披露の文(代作)…… 482
雑誌赤本屋第一号題言……………… 484
楽天居小波先生還暦賀詞俳句集序… 485
邦枝完二作小説おせん序…………… 486
川尻清潭著名優芸談序……………… 488
日高基裕著釣する心序……………… 490
種くばり識語………………………… 491
大島隆一著柳北談叢序……………… 492
屠龍の技跋…………………………… 493
木村富子著浅草富士序……………… 494
金秉旭著詩集馬の序………………… 496
南畝先生手蹟帖に題す……………… 497
花柳章太郎著きもの簪序…………… 498
思想才芸まさに円熟………………… 499

縮刷小本牡丹の客はしがき………… 501
荷風傑作鈔跋………………………… 502
モオパッサン序……………………… 503
荷風筆書画帖跋……………………… 504
麻田駒之助氏蔵画軸函題…………… 505
夏すがた題言………………………… 506
荷風文稾はしがき…………………… 507
重印荷風全集叙……………………… 508
永井荷風先生略伝…………………… 510
やどり蟹はしがき…………………… 512
現代日本文学全集永井荷風集序…… 513
つゆのあとさき序…………………… 514
狐につきて…………………………… 516
墨の糟序……………………………… 517
改訂下谷叢話序……………………… 518
夢の女題言…………………………… 519
 東綺譚題言………………………… 520
珊瑚集識語…………………………… 521
杏花余香はしがき…………………… 522
来訪者序……………………………… 523
鎌倉文庫版 東綺譚序……………… 525
日誌につきて………………………… 526
罹災日録序…………………………… 528
荷風日歴序…………………………… 529
日かげの花序………………………… 530
浮沈序………………………………… 531
木版摺かたおもひ序………………… 532
雑草園序……………………………… 533
葛飾土産序…………………………… 534
腕くらべ重刊の序…………………… 535
八木書店版 東綺譚序……………… 536
 東綺譚識語………………………… 537
東都書房版日和下駄序……………… 538
江戸庵句集序 異文………………… 539
*後記……………………………………… 547
 


第27巻 1965.3.30
 
雑纂2
雑草園 其四………………………………… 3
談話………………………………………… 5
アカデミイの内容……………………… 6
遊楽の仏京巴里…………………………11
レニエの詩と小説………………………17
モーレス、バレース……………………21
「姉の妹」の発売禁止…………………25
別に何とも思はなかった………………27
我が思想の変遷…………………………30
巴里の寄席芸人…………………………35
予の二十歳前後…………………………39
昨日午前の日記…………………………42
十七八の頃………………………………43
西洋の劇場………………………………49
明治座の九月狂言………………………56
自己の性情と態度………………………64
明治座の二番目…………………………67
大隅太夫の堀川…………………………70
炉辺にて…………………………………71
見て居て気持が好い……………………75
文士の生活………………………………80
現代と支那趣味…………………………88
新劇と劇場………………………………92
女優に就て………………………………95
鴎外先生のこと…………………………98
脚本検閲問題の批判………………… 103
芝居閑話……………………………… 109
井上唖々君のこと…………………… 115
偏奇館劇話…………………………… 119
歌劇葛飾情話の上演について……… 135
この頃の私…………………………… 139
合評
一夕話……………………………………… 145
摂州合邦辻………………………………… 163
雨夜の曲…………………………………… 190
怪異談牡丹燈篭…………………………… 210
桐一葉……………………………………… 231
妹背山婦女庭訓…………………………… 245
雪暮夜入谷畦道…………………………… 260
由井正雪…………………………………… 274
初開場の南座……………………………… 289
今様薩摩歌………………………………… 309
国性爺合戦………………………………… 328
一年間の総決算…………………………… 341
坂崎出羽守………………………………… 358
御柱………………………………………… 381
第一の世界………………………………… 401
深与三玉兎横櫛…………………………… 424
小田原陣…………………………………… 445
お国と五平………………………………… 459
薩摩櫛……………………………………… 479
雑談………………………………………… 496
二つの新作品(断橋・息子)…………… 509
月佳夏夜話………………………………… 532
*後記……………………………………… 553
 


第28巻 1965.8.14
 
雑纂3
対談・鼎談・座談
偏奇館雑談(永井荷風,邦枝完二) ……… 3
松井千枝子との一問一答録………………… 5
新春懇談会(永井荷風,市川左団次,谷崎潤一郎,嶋中雄作)……14
好日鼎談(永井荷風,谷崎潤一郎,辰野隆)……67
荷風先生とストリップ仲沢清太郎〔司会〕……82
荷風ないしょ話(永井荷風,相磯勝弥) …95
荷風思出草(永井荷風,相磯勝弥) …… 110
映画『女優ナナ』を語る(永井荷風,角田敏夫,石井柳子)…… 188
独身の教え(永井荷風,芦原英了) …… 200
昔の女 今の女(永井荷風,谷崎潤一郎,佐藤観次郎)…… 208
創作ノート・手帖・草稿
創作ノート………………………………… 221
手帖………………………………………… 235
草稿………………………………………… 283
原稿断片………………………………… 284
シンフホニヤ、デル、アサクサ……… 292
花のいろいろ…………………………… 294
裸体……………………………………… 296
養子……………………………………… 297
袖子……………………………………… 306

『耳無草』正誤原稿……………………… 319
いく代勘定書……………………………… 321
荷風文稾第一集後書……………………… 324
為永春水扉書……………………………… 324
荷風全集プラン…………………………… 324
谷口宛領収証……………………………… 327
雑誌「スリル」裁判鑑定書……………… 327
『小説道楽』書入………………………… 328
参考篇
暗面奇観 夜の女界……………………… 333
『夜の女界』書入……………………… 473
海の黄昏…………………………………… 475
荷風小伝…………………………………… 505
「三田文学」抄…………………………… 506
「文明」「花月」抄……………………… 517
聞書………………………………………… 541
漫言冗語(1) ………………………… 542
幽窗清話………………………………… 544
偏奇館漫談3 …………………………… 546
補遺
俳句………………………………………… 551
和歌・狂歌・漢詩………………………… 555
随筆・評論………………………………… 556
江戸錦絵の時価と室内装飾…………… 556
久米秀治君を悼む……………………… 566
ノエル、ヌエット個展推薦文………… 568
アンケート………………………………… 569
好きな土地……………………………… 569
文士と洋行……………………………… 569
序跋其他…………………………………… 571
蜀山人草稾の後に書す………………… 571
断片………………………………………… 572
広告……………………………………… 572
広告……………………………………… 572
求人広告………………………………… 573
書簡………………………………………… 574
*珊瑚集校異……………………………… 585
*後記……………………………………… 679
*索引……………………………………… 698
 


第29巻 1974.6.27
 
拾遺
俳句…………………………………………… 3
和歌…………………………………………… 7
漢詩…………………………………………… 8
アンケート…………………………………… 9
断片……………………………………………10
求職広告……………………………………10
談話……………………………………………11
最近の仏蘭西劇……………………………11
仏蘭西の追懐………………………………17
追憶の甘さ…………………………………21
草稿……………………………………………23
書簡……………………………………………27
続参考篇
下谷のはなし(『下谷叢話』初出)…… 121
杏花余香…………………………………… 285
「葛飾情話」の上演せられるまで……… 351
創作ノート(第28巻所収影印釈文)…… 361
手帖(第28巻所収影印釈文)…………… 375
草稿(第28巻所収影印釈文)…………… 427
左団次自叙伝……………………………… 435
知友書翰集………………………………… 467
*年譜竹盛天雄〔作製〕………………… 567
*著作年表竹盛天雄〔作製〕…………… 619
*書誌竹盛天雄〔作製〕………………… 755
*後記……………………………………… 875
*索引……………………………………… 896

















荷風全集 初版 全28巻    昭和38年

『荷風全集』全29巻(岩波書店、1962.12〜1974.6)
※初版は全28巻。第2刷(1972〜74)刊行時に新資料1巻を追加し、全29巻となった。



第1巻 1963.7.12
 
おぼろ夜……………………………………… 1
烟鬼……………………………………………15
花篭……………………………………………31
かたわれ月……………………………………39
濁りそめ………………………………………47
三重襷…………………………………………57
薄衣……………………………………………75
夕せみ……………………………………… 129
をさめ髪…………………………………… 149
うら庭……………………………………… 183
闇の夜……………………………………… 191
花ちる夜…………………………………… 207
四畳半……………………………………… 249
青簾………………………………………… 265
小夜千鳥…………………………………… 273
山谷菅垣…………………………………… 301
桜の水……………………………………… 319
新梅ごよみ………………………………… 329
いちごの実………………………………… 423
野心………………………………………… 431
*後記……………………………………… 515
 
1897年
2月 - 初めて吉原に遊ぶ。
- 中学校を卒業。父久一郎官を辞し、日本郵船会社に入社、上海支店長として赴任。第一高等学校入学試験に失敗。9月から11月まで両親、弟たちと一緒に上海で生活するが、帰国して、同年に新設された神田一ツ橋の高等商業学校(現一橋大学)附属外国語学校清語科に入学する[4][40]。
1898年
9月 - 『簾の月』という作品を携え、広津柳浪に入門。
1899年
1月 - 落語家六代目朝寝坊むらくの弟子となり、三遊亭夢之助の名で席亭に出入りする。秋、寄席出入りが父の知るところとなり、落語家修行を断念。『萬朝報』の懸賞小説に応募入選するなど、習作短編が新聞雑誌に載るようになる。
12月 - 外国語学校を第2学年のまま除籍となる。

第2巻 1964.6.12
 
闇の叫び……………………………………… 1
地獄の花………………………………………33
新任知事…………………………………… 173
夢の女……………………………………… 225
夜の心……………………………………… 391
燈火の巷…………………………………… 437
すみだ川…………………………………… 469
庭の夜露…………………………………… 497
*後記……………………………………… 507
 
1900年
2月 - 父久一郎日本郵船会社横浜支店長になる。この年巖谷小波を知り、その木曜会のメンバーとなる。また、歌舞伎座の立作者福地桜痴の門に入り作者見習いとして拍子木を入れる勉強を始める。
1901年
4月 - 日出国新聞に転じた桜痴とともに入社、雑誌記者となる。
9月 - 同社を解雇される。フランス語の初歩を学ぶ。年末ゾラの作を読み感動する。
1902年
5月 - 家族とともに牛込区大久保余丁町(現・新宿区余丁町)に転居
9月 - 『地獄の花』を刊行、ゾライズムの作風を深めた。
1903年
9月 - 父の勧めで渡米。
1905年
6月 - ニューヨークに出、翌月からワシントンの日本公使館で働く。
12月 - 父の配慮で横浜正金銀行ニューヨーク支店に職を得る。


第3巻 1963.8.12
 
あめりか物語………………………………… 1
船房夜話…………………………………… 5
牧場の道……………………………………17
岡の上………………………………………29
酔美人………………………………………51
長髪…………………………………………67
春と秋………………………………………81
雪のやどり…………………………………97
林間……………………………………… 107
悪友……………………………………… 117
旧恨……………………………………… 133
寝覚め…………………………………… 149
一月一日………………………………… 167
暁………………………………………… 177
市俄古の二日…………………………… 199
夏の海…………………………………… 215
夜半の酒場……………………………… 227
落葉……………………………………… 237
夜の女…………………………………… 245
ちゃいなたうんの記…………………… 267
夜あるき………………………………… 279
六月の夜の夢…………………………… 289
舎路港の一夜 あめりか物語 余篇… 313
夜の霧 あめりか物語 余篇………… 321
夏の海 あめりか物語 異文………… 331
ふらんす物語……………………………… 345
船と車…………………………………… 349
ローン河のほとり……………………… 365
秋のちまた……………………………… 373
蛇つかひ………………………………… 383
晩餐……………………………………… 403
祭の夜がたり…………………………… 419
霧の夜…………………………………… 441
おもかげ………………………………… 457
再会……………………………………… 473
ひとり旅………………………………… 489
雲………………………………………… 499
巴里のわかれ…………………………… 541
黄昏の地中海…………………………… 559
ポートセット…………………………… 569
新嘉坡の数時間………………………… 579
西班牙料理……………………………… 589
橡の落葉………………………………… 595
橡の落葉の序………………………… 596
墓詣…………………………………… 598
休茶屋………………………………… 606
裸美人………………………………… 608
恋人…………………………………… 612
夜半の舞蹈…………………………… 617
美味…………………………………… 623
ひるすぎ……………………………… 625
舞姫…………………………………… 627
*後記……………………………………… 631

 
1907年
7月 - 父の配慮でフランスの横浜正金銀行リヨン支店に転勤。
1908年
3月 - 銀行をやめる。2か月ほどパリに遊ぶ。
7月 - 神戸に到着。
8月 - 『あめりか物語』を博文館より刊行。
1909年
3月 - 『ふらんす物語』を博文館より刊行したが届出と同時に発売禁止となる。

第4巻 1964.8.12
 
歓楽…………………………………………… 1
歓楽………………………………………… 3
監獄署の裏…………………………………49
牡丹の客……………………………………71
花より雨に…………………………………85
狐……………………………………………93
曇天……………………………………… 111
深川の唄………………………………… 121
春のおとづれ…………………………… 141
祝盃……………………………………… 151
新帰朝者日記……………………………… 175
新帰朝者日記 拾遺…………………… 241
冷笑………………………………………… 249
*後記……………………………………… 467
 


第5巻 1963.1.8
 
すみだ川……………………………………… 1
第五版すみだ川之序………………………61
すみだ川序…………………………………63
つくりばなし………………………………66
新橋夜話………………………………………73
序……………………………………………75
掛取り………………………………………77
色男…………………………………………93
風邪ごゝち……………………………… 119
名花……………………………………… 139
松葉巴…………………………………… 157
五月闇…………………………………… 175
浅瀬……………………………………… 189
短夜……………………………………… 201
昼すぎ…………………………………… 213
見果てぬ夢……………………………… 227
小品集……………………………………… 253
夏の町…………………………………… 255
伝通院…………………………………… 273
下谷の家………………………………… 285
楽器……………………………………… 299
日本の庭………………………………… 309
父の恩……………………………………… 323
*後記……………………………………… 373
 


第6巻 1962.12.5
 
柳さくら……………………………………… 1
散柳窓夕栄………………………………… 5
恋衣花笠森…………………………………61
花瓶………………………………………… 101
仮面………………………………………… 147
うぐひす…………………………………… 163
夏すがた…………………………………… 175
腕くらべ…………………………………… 209
*後記……………………………………… 413
 
1910年
2月 - 慶應義塾大学文学科刷新に際し、森?外、上田敏の推薦により、教授に就任。
5月 - 雑誌『三田文学』を創刊、主宰した
1911年
11月 - 「谷崎潤一郎氏の作品」を『三田文学』に発表。
1912年
9月 - 本郷湯島の材木商・斎藤政吉の次女ヨネと結婚。
1913年
1月2日 - 父久一郎死去。家督を相続。
2月 - 妻ヨネと離婚。
1914年
8月 - 市川左団次夫妻の媒酌で、八重次と結婚式を挙げる。実家の親族とは断絶する[1]。
1915年
2月 - 八重次と離婚。
5月 - 京橋区(現中央区)築地一丁目の借家に移転。
1916年
1月 - 浅草旅籠町一丁目13番地の米田方に転居。
3月 - 慶應義塾を辞め、『三田文学』から手をひくこととする。余丁町の邸の地所を半分、子爵入江為守に売却し邸を改築。
5月 - 大久保余丁町の本邸に帰り、一室を断腸亭と名づけ起居。
8月 - 「腕くらべ」を『文明』に連載( - 1917年10月)

第7巻 1963.4.12
 
おかめ笹……………………………………… 1
おかめ笹あとがき……………………… 179
雨瀟瀟……………………………………… 181
雨瀟瀟序………………………………… 219
雪解………………………………………… 221
春雨の夜…………………………………… 253
二人妻……………………………………… 263
芸者の母…………………………………… 343
寐顔………………………………………… 357
*後記……………………………………… 367
 
1917年
9月 - 木挽町九丁目に借家し仮住居とし無用庵と名づける。9月16日 - 日記の執筆を再開(『断腸亭日乗』の始まり)
1918年
12月 - 大久保余丁町の邸宅を売却し京橋区(現中央区)築地二丁目30番地に移転。
1919年
12月 - 「花火」を『改造』に発表。


第8巻 1963.12.12
 
ちゞらし髪…………………………………… 1
かし間の女……………………………………37
カツフヱー一夕話………………………… 121
夜の車……………………………………… 135
かたおもひ………………………………… 145
榎物語……………………………………… 161
夢…………………………………………… 177
あぢさゐ…………………………………… 201
つゆのあとさき…………………………… 223
*後記……………………………………… 359
 
1920年
5月 - 麻布区(現港区)市兵衛町一丁目6番地の偏奇館に移転。
1923年
5月 - 来日したヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーの演奏を帝国劇場で聴く。
1926年
8月 - 銀座カフェー・タイガーに通い始める。

第9巻 1964.2.12
 
ひかげの花…………………………………… 1    「中央公論」1934(昭和9)年8月
?東綺譚 ………………………………………93
作後贅言 ………………………………… 183
おもかげ…………………………………… 207
女中のはなし……………………………… 231
浮沈………………………………………… 257
*後記……………………………………… 429
 
1936年
3月 - 向島の私娼窟玉の井通いを始める、
1937年
4月 - 『?東綺譚』(私家版)を刊行。東京・大阪朝日新聞に連載(4月16日 - 6月15日)
9月8日 - 母恒死去。

第10巻 1964.4.13
 
勲章…………………………………………… 1
踊子……………………………………………17
来訪者…………………………………………81
問はずがたり……………………………… 155
羊羹………………………………………… 267
腕時計……………………………………… 281
或夜………………………………………… 291
噂ばなし…………………………………… 305
靴…………………………………………… 313
畦道………………………………………… 325
にぎり飯…………………………………… 337
心づくし…………………………………… 355
秋の女……………………………………… 371
買出し……………………………………… 385
人妻………………………………………… 399
*後記……………………………………… 415
 
1944年
3月 - 大島一雄(杵屋五叟)の次男永光を養子として迎える。
1945年
3月 - 東京大空襲で偏奇館焼失。
6月 - 明石を経て岡山へ疎開。
8月 - 岡山県勝山町に疎開中の谷崎潤一郎を訪問したのち、岡山三門町の武南家に戻り、そこで終戦を知る。
9月 - 熱海和田浜の木戸正方に疎開していた杵屋五叟宅に寄寓。
1946年
1月 - 千葉県市川市菅野258番地(現菅野三丁目)の杵屋五叟の転居先に寄寓。
1947年
1月 - 市川市菅野の小西茂也方に寄寓。
1948年
12月 - 市川市菅野1124番地(現東菅野二丁目)に瓦葺18坪の家を買い入れ、移転。

第11巻 1964.11.28
 
裸体…………………………………………… 1
老人……………………………………………23
吾妻橋…………………………………………35
日曜日…………………………………………51
心がはり………………………………………65
たそがれ時……………………………………77
うらおもて……………………………………89
捨て児……………………………………… 101
袖子………………………………………… 117
男ごゝろ…………………………………… 127
夏の夜……………………………………… 143
東雲………………………………………… 155
冬日かげ…………………………………… 165
晩酌………………………………………… 173
珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選…………… 181
珊瑚集序………………………………… 182
死のよろこび(シヤアル・ボオドレヱル)…… 183
憂悶(シヤアル・ボオドレヱル)…… 185
暗黒(シヤアル・ボオドレヱル)…… 187
仇敵(シヤアル・ボオドレヱル)…… 189
秋の歌(シヤアル・ボオドレヱル)… 191
腐肉(シヤアル・ボオドレヱル)…… 194
月の悲しみ(シヤアル・ボオドレヱル)…… 199
そゞろあるき(アルチユウル・ランボオ)…… 201
ぴあの(ポオル・ヴヱルレヱン)…… 203
ましろの月(ポオル・ヴヱルレヱン)…… 205
道行(ポオル・ヴヱルレヱン)……… 207
夜の小鳥(ポオル・ヴヱルレヱン)… 209
暖き火のほとり(ポオル・ヴヱルレヱン)…… 210
返らぬむかし(ポオル・ヴヱルレヱン)…… 211
偶成(ポオル・ヴヱルレヱン)……… 213
沼(ピエエル・ゴオチエ)…………… 215
池(ヱドモン・ピカアル)…………… 217
音楽と色彩と匂ひの記憶(ヱミル・ヴオオケヱル)…… 219
秋のいたましき笛(アア・ヱフ・ヱロオル)…… 221
仏蘭西の小都会(アンリイ・ド・レニエエ)…… 223
葡萄(アンリイ・ド・レニエエ)…… 227
われはあゆみき(アンリイ・ド・レニエエ)…… 229
夕ぐれ(アンリイ・ド・レニエエ)… 231
秋(アンリイ・ド・レニエエ)……… 233
正午(アンリイ・ド・レニエエ)…… 235
告白(アンリイ・ド・レニエエ)…… 237
庭(アンリイ・ド・レニエエ)……… 240
 (アンリイ・ド・レニエエ)……… 242
年の行く夜(アンリイ・ド・レニエエ)…… 244
暮方の食事(シヤアル・ゲラン)…… 248
道のはづれに(シヤアル・ゲラン)… 251
ありやなしや(シヤアル・ゲラン)… 254
四月(ギユスタアヴ・カン)………… 255
ロマンチックの夕(伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ)…… 257
九月の果樹園(伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ)…… 260
西班牙を望み見て(伯爵夫人マチユウ・ド・ノワイユ)…… 263
菊花の歌(シヤアル・グランムウラン)…… 266
あまりに泣きぬ若き時(フヱルナン・グレヱ)…… 269
沈みし鐘(スチユアル・メリル)…… 270
夏の夜の井戸(スチユアル・メリル)…… 273
奢侈(アルベヱル・サマン)………… 276
珊瑚集拾遺………………………………… 287
をかしき唄(Tristan Klingsor)…… 289
嘆息(ステフワン・マラルメ)……… 294
ショーパンの曲(アンナ・ド・ノアイユ)…… 295
シューマンをきゝて(アンナ・ド・ノアイユ)…… 298
偏奇館吟草………………………………… 301
はしがき………………………………… 303
夏うぐひす……………………………… 305
からす…………………………………… 307
旧調……………………………………… 309
絶望……………………………………… 311
こほろぎ………………………………… 313
小春……………………………………… 316
暗き日のくり言………………………… 318
冬の草…………………………………… 320
口ずさみ………………………………… 322
狼………………………………………… 324
日曜日…………………………………… 328
船の上…………………………………… 330
涙………………………………………… 332
冬の窓…………………………………… 334
ハーモニカ……………………………… 339
燕………………………………………… 342
震災……………………………………… 345
窓の禽…………………………………… 347
門づけ…………………………………… 349
鳩………………………………………… 353
墓詣……………………………………… 356
影法師…………………………………… 359
拷問……………………………………… 361
堀割の散歩……………………………… 363
落花の風………………………………… 367
夜半の風………………………………… 369
犬の声…………………………………… 371
雀………………………………………… 373
暮春の庭………………………………… 374
無題……………………………………… 376
海月の歌………………………………… 378
山の手…………………………………… 379
 蟲……………………………………… 381
不浄の涙………………………………… 383
 ………………………………………… 385
雨蛙……………………………………… 388
武器……………………………………… 390
秋窓風雨夕……………………………… 392
永きわかれ……………………………… 394
ひるがほ………………………………… 402
偏奇館吟草拾遺…………………………… 405
即興……………………………………… 407
Au Caf  Printemps ………………… 407
自由劇場の稽古の午過ぎ…………… 409
朽行く老樹……………………………… 411
乱余漫吟…………………………………… 413
外套……………………………………… 415
日の暮…………………………………… 417
年はゆく………………………………… 419
押絵……………………………………… 421
銅像……………………………………… 423
冬の日…………………………………… 426
草の花…………………………………… 428
静なる小みち…………………………… 430
自選 荷風百句…………………………… 433
自選 荷風百句序……………………… 434
春之部…………………………………… 435
夏之部…………………………………… 438
秋之部…………………………………… 441
冬之部…………………………………… 443
俳句………………………………………… 447
狂歌………………………………………… 493
小唄………………………………………… 497
漢詩………………………………………… 501
*後記……………………………………… 507
 
1952年(昭和27年)
11月 - 文化勲章受章。
1954年
1月 - 日本芸術院会員に選ばれる。
1957年
3月 - 市川市八幡町四丁目1224番地(現八幡三丁目)に転居。
1959年(昭和34年)
4月30日 - 死去。死因は胃潰瘍の吐血による窒息死(『荷風外傳』)。

第12巻 1963.9.12
 
異郷の恋 三幕四場………………………… 1
平維盛 一幕…………………………………55
秋の別れ 一幕………………………………65
わくら葉 三幕………………………………87
煙 三幕…………………………………… 163
三柏葉樹頭夜嵐 三幕…………………… 227
旅姿思掛稲 浄瑠璃 一幕……………… 283
開化一夜艸 二幕………………………… 291
夜網誰白魚 二幕………………………… 339
早春 一幕………………………………… 375
葛飾情話 歌劇 二場…………………… 391
停電の夜の出来事 一幕三場…………… 415
春情鳩の街 一幕三場…………………… 439
渡鳥いつかへる 一幕四場……………… 469
浅草交響曲 映画筋書…………………… 495
三巴天明騒動記…………………………… 509
平維盛一幕異文…………………………… 535
*後記……………………………………… 551
 


第13巻 1963.2.12
 
紅茶の後……………………………………… 1
紅茶の後序………………………………… 3
三田文学の発刊…………………………… 5
有楽座にて………………………………… 9
一幕見………………………………………12
片恋…………………………………………15
五月…………………………………………18
倦怠…………………………………………21
鋳掛松………………………………………26
霊廟…………………………………………29
冷笑につきて………………………………41
九月…………………………………………45
流竄の楽土…………………………………49
絶望なるかな………………………………51
希望…………………………………………55
歌舞伎座の桟敷にて………………………57
或劇場の運動場にて………………………62
自由劇場の帰り……………………………67
新年…………………………………………72
浮世絵………………………………………80
芝居小景……………………………………89
銀座…………………………………………95
あの人達………………………………… 106
蟲干……………………………………… 121
海洋の旅………………………………… 132
雑草園 其一……………………………… 147
谷崎潤一郎氏の作品…………………… 149
樅山庭後………………………………… 159
浅草の久保田君に呈す………………… 163
東京の夏の趣味………………………… 169
厠の窓…………………………………… 175
妾宅………………………………………… 187
大窪だより 自大正2年至大正3年……… 217
大窪だより 拾遺……………………… 291
日和下駄 一名 東京散策記…………… 293
序………………………………………… 295
第1 日和下駄…………………………… 297
第2 淫祠………………………………… 307
第3 樹…………………………………… 309
第4 地図………………………………… 316
第5 寺…………………………………… 321
第6 水 附 渡船……………………… 331
第7 路地………………………………… 345
第8 閑地………………………………… 350
第9 崖…………………………………… 365
第10 坂 ………………………………… 377
第11 夕陽 附 富士眺望 …………… 383
日和下駄異文…………………………… 389
*後記……………………………………… 393
 


第14巻 1963.6.12
 
江戸芸術論…………………………………… 1
浮世絵の鑑賞……………………………… 3
鈴木春信の錦絵……………………………17
浮世絵の山水画と江戸名所………………33
泰西人の見たる葛飾北斎…………………53
ゴンクウルの歌麿及北斎伝………………67
欧米人の浮世絵研究………………………81
浮世絵と江戸演劇…………………………95
衰頽期の浮世絵………………………… 113
狂歌を論ず……………………………… 131
江戸演劇の特徴………………………… 143
江戸芸術論 異文………………………… 155
浮世絵の山水画と江戸名所…………… 157
ゴングウルの歌麿伝 并に北斎伝…… 181
欧人の観たる葛飾北斎………………… 203
断腸亭雑稾………………………………… 227
序………………………………………… 229
断腸亭記(庭後隠士)………………… 230
築地草…………………………………… 237
矢はずぐさ……………………………… 247
矢立のちび筆…………………………… 273
雨声会の記……………………………… 279
一夕……………………………………… 283
初硯……………………………………… 289
築地がよひ……………………………… 295
草箒……………………………………… 301
何ぢやゝら……………………………… 307
葡萄棚…………………………………… 313
松の内…………………………………… 317
夏ごろも………………………………… 323
来青花…………………………………… 325
曝書……………………………………… 329
夕立……………………………………… 331
立秋所見………………………………… 335
雑草園 其二……………………………… 337
文明発刊の辞…………………………… 339
文反古…………………………………… 347
文明一周年の辞………………………… 353
書かでもの記……………………………… 357
小説作法…………………………………… 393
*後記……………………………………… 409
 


第15巻 1963.11.12
 
麻布襍記……………………………………… 1
花火………………………………………… 5
砂糖…………………………………………19
写況雑記……………………………………27
十年振 一名 京都紀行…………………39
梅雨晴………………………………………57
十日の菊……………………………………69
偏奇館漫録…………………………………83
偏奇館漫録 拾遺……………………… 123
二百十日……………………………… 130
裸談義………………………………… 139
隠居のこゞと…………………………… 147
鴎外先生…………………………………… 227
鴎外先生………………………………… 229
森先生の事……………………………… 231
鴎外全集刊行の記……………………… 234
鴎外全集を読む………………………… 239
森先生の伊沢蘭軒を読む……………… 241
東京堂版鴎外選集広告文……………… 247
東京堂版鴎外選集第8巻解説 ………… 248
鴎外記念館のこと……………………… 256
仏蘭西人の観たる鴎外先生…………… 259
下谷叢話…………………………………… 263
葷斎漫筆…………………………………… 457
大田南畝年譜……………………………… 525
為永春水…………………………………… 549
為永春水年譜……………………………… 581
*後記……………………………………… 593
 


第16巻 1964.1.13
 
荷風文稾……………………………………… 1
礫川 記………………………………… 3
几辺の記……………………………………15
七月九日の記………………………………23
白鳥正宗氏に答るの書……………………31
文芸春秋記者に与るの書…………………37
金阜山人戯文集………………………………43
金阜山人戯文集叙…………………………45
芸人読本……………………………………47
東京花譜……………………………………57
賞心楽事……………………………………63
洋服論………………………………………65
洋食論………………………………………75
桑中喜語……………………………………83
猥褻独問答……………………………… 111
毎月見聞録 自大正5年3月至大正7年11月…… 115
東京年中行事……………………………… 253
荷風随筆…………………………………… 265
成嶋柳北の日誌………………………… 267
柳橋新誌につきて……………………… 283
向嶋……………………………………… 293
百花園…………………………………… 309
上野……………………………………… 315
帝国劇場のオペラ……………………… 329
歌舞伎座の稽古………………………… 335
にくまれぐち…………………………… 349
新聞紙について………………………… 361
訳詩について…………………………… 367
申訳……………………………………… 373
中洲病院を訪ふ………………………… 401
市河先生の燼録………………………… 407
雀………………………………………… 411
巷の声…………………………………… 417
中村さんに質する文…………………… 423
正宗谷崎両氏の批評に答ふ…………… 429
*後記……………………………………… 439
 


第17巻 1964.7.13
 
冬の蝿………………………………………… 1
冬の蝿序…………………………………… 3
断腸花……………………………………… 5
枇杷の花……………………………………11
きのふの淵…………………………………17
井戸の水……………………………………31
深川の散歩…………………………………41
元八まん……………………………………53
里の今昔……………………………………61
十六七のころ………………………………75
十九の秋……………………………………83
岡鬼太郎氏の花柳小説を読む……………91
鐘の声…………………………………… 101
放水路…………………………………… 105
寺じまの記……………………………… 115
町中の月………………………………… 129
郊外……………………………………… 135
西瓜……………………………………… 139
浅草公園の興行物を見て……………… 157
冬の夜がたり…………………………… 165
蟲の声…………………………………… 177
雪の日…………………………………… 185
枯葉の記………………………………… 197
葛飾土産 其他…………………………… 203   
亜米利加の思出………………………… 205
冬日の窓………………………………… 213
墓畔の梅………………………………… 227
仮寐の夢………………………………… 233
草紅葉…………………………………… 245
木犀の花………………………………… 255
葛飾土産………………………………… 263
細雪妄評………………………………… 281
宮城環景を観る………………………… 285
裸体談義………………………………… 289
出版屋惣まくり………………………… 299
放談……………………………………… 305
浅草むかしばなし……………………… 313
漫談……………………………………… 317
雑話……………………………………… 325
水のながれ……………………………… 329
向島……………………………………… 333
*後記……………………………………… 337
 


第18巻 1964.10.12
 
女優ナナ 其他……………………………… 1
恋と刃……………………………………… 3
女優ナナ………………………………… 129
洪水……………………………………… 187
ヱミールゾラと其の小説……………… 231
女優ナヽ広告文………………………… 253
ゾラ氏の故郷…………………………… 255
ゾラ氏の「傑作」を読む……………… 259
ゾラ氏の作 La B te Humaine ……… 265
モーパサンの石像を拝す 其他………… 269
モーパサンの石像を拝す……………… 271
モーパッサンの扁舟紀行……………… 277
窓の花 其他……………………………… 305
氷る夜…………………………………… 307
窓の花(カチュル、マンデス)……… 313
水かゞみ(アンリイ、ド、レニヱー)…… 321
二人処女(マルセル、プレヴオ)…… 331
極東印象記(Henry Myles) ………… 341
仏蘭西の新社会劇 其他………………… 351
仏蘭西の新社会劇……………………… 353
仏蘭西自然主義と其反動……………… 383
芸術と芸術の製作者…………………… 401
伊太利新興の閨秀文学………………… 411
歌劇フオーストを聴くの記 其他……… 439
歌劇フオーストを聴くの記…………… 441
西洋音楽最近の傾向…………………… 469
欧洲歌劇の現状………………………… 491
欧米の音楽会及びオペラ劇場………… 501
仏蘭西観劇談…………………………… 515
仏蘭西現代の小説家 其他……………… 521
仏蘭西現代の小説家…………………… 523
仏国に於ける象徴派…………………… 533
仏国文壇の表徴派について…………… 539
小説壇の現在及び仏国小説の近事…… 545
ベルレーヌの伝記を読みて…………… 551
ピヱールロチと日本の風景…………… 557
*後記……………………………………… 577
 


第19巻 1964.5.12
 
西遊日誌抄…………………………………… 1
西遊日誌稿 1908年…………………………55
断腸亭日乗 1 ………………………………67
断膓亭日記巻之一(大正6年) …………73
断膓亭日記巻之二(大正7年) …………83
断腸亭日記巻之三(大正8年) ……… 115
断膓亭日記巻之四(大正9年) ……… 159
断腸亭日記巻之五(大正10年)……… 187
断膓亭日記巻之六(大正11年)……… 219
断膓亭日記巻之六(大正11年続)…… 255
断腸亭日記巻之七(大正12年)……… 261
断腸亭日記巻之八(大正13年)……… 307
断膓亭日記巻九(大正14年)………… 353
*後記……………………………………… 425
 


第20巻 1964.3.12
 
断腸亭日乗 2 ……………………………… 1
断腸亭日記巻之十(大正15年)………… 3
断膓亭日記巻之十(大正15年続)………19
断腸亭日記巻十一(昭和2年) ……… 103
断腸亭日記巻十一之下(昭和2年続)
………………………………………… 185
断膓亭日記巻十二(昭和3年) ……… 203
断腸亭日記巻十二下(昭和3年続) … 257
断膓亭日記巻第十三(昭和4年) …… 313
断膓亭日記巻十三下(昭和4年続) … 337
断腸亭日記巻十四(昭和5年) ……… 377
断腸亭日記巻十四下(昭和5年続) … 421
*後記……………………………………… 443
 


第21巻 1963.10.12
 
断腸亭日乗 3 ……………………………… 1
断腸亭日記巻十五(昭和6年) ………… 3
断膓亭日記巻十六(昭和7年) …………67
断腸亭日記巻十六続(昭和7年続) … 153
断膓亭日記巻十七(昭和8年) ……… 199
断膓亭日記巻十七続(昭和8年続) … 243
断腸亭日記巻十八(昭和9年) ……… 297
断腸亭日記巻十八続(昭和9年続) … 325
断膓亭日記巻十八続(昭和9年続 )…… 401
断腸亭日記巻十九(昭和10年)……… 419
断腸亭日記巻十九……………………… 421
断腸亭日記巻第十九続(昭和10年続)…… 487
*後記……………………………………… 531
 


第22巻 1963.5.15
 
断腸亭日乗 4 ……………………………… 1
断腸亭日記巻二十(昭和11年)………… 3
断腸亭日記巻第二十続(昭和11年続)…47
断腸亭日記第二十一(昭和12年)…… 129
断腸亭日記巻第二十一 ノ 続(昭和12年続)…… 207
昭和十三年歳次戊寅日記巻二十二…… 241
断膓亭日記巻第二十二続(昭和13年続)…… 251
断腸亭日記巻二十二続 (昭和13年続)…… 295
断膓亭日記第二十二巻続 (昭和13年続)…… 339
断膓亭日記巻二十三(昭和14年)…… 347
断腸亭日記巻二十三続(昭和14年続)…… 387
*後記……………………………………… 433
 


第23巻 1963.3.12
 
断腸亭日乗 5 ……………………………… 1
断腸亭日記第二十四巻(昭和15年)…… 5
断腸亭日記巻二拾四続(昭和15年続)…95
断腸亭日記第貳拾伍巻(昭和16年)… 129
断腸亭日記巻二十五続(昭和16年続)……… 199
断腸亭日記巻二拾六(昭和17年)…… 247
断腸亭日記第二十七巻(昭和18年)… 309
断腸亭日録巻貳拾八(昭和19年)…… 423
断腸亭日録第二十八巻続(昭和19年続)…… 463
*後記……………………………………… 513
 


第24巻 1964.9.12
 
断腸亭日乗 6 ……………………………… 1
断腸亭日記第二十九巻(昭和20年)…… 5
断腸亭日乗第二十九巻続(昭和20年続)…… 101
断腸亭日乗巻第三十(昭和21年)…… 117
断腸亭日乗第三十一巻(昭和22年 自1月初1至1月14日)…… 167
断腸亭日乗第三十一(昭和22年)…… 171
断膓亭日乗第三十二巻(昭和23年)… 233
断腸亭日乗第卅三巻(昭和24年)…… 277
断腸亭日乗第卅三巻(昭和24年続)… 303
断腸亭日乗第卅四巻(昭和25年)…… 321
断腸亭日乗第卅五巻(昭和26年)…… 351
断腸亭日乗第卅六巻(昭和27年)…… 375
断腸亭日乗第卅七巻(昭和28年)…… 405
断腸亭日乗第卅七巻(昭和28年続)… 429
断腸亭日乗第卅八巻(昭和29年)…… 437
断腸亭日乗巻卅九(昭和30年)……… 467
断腸亭日乗巻第四十(昭和31年)…… 495
断腸亭日乗巻第四十一(昭和32年)… 525
断腸亭日乗巻四十二(昭和33年)…… 553
断腸亭日乗第四十三巻(昭和34年)… 581
断腸亭日乗稿…………………………… 589
断腸亭日乗(昭和21年)……………… 593
断腸亭日乗第三十一(昭和22年)…… 645
*後記……………………………………… 655
 


第25巻 1965.5.31
 
断膓亭尺牘…………………………………… 1
書簡集…………………………………………75
補遺……………………………………… 511
*書簡索引………………………………… 521
*後記……………………………………… 529
 


第26巻 1965.1.30
 
雑纂1
王昭君 其他………………………………… 3
王昭君……………………………………… 5
おくり船……………………………………13
つくりばなし………………………………29
糸のもつれ…………………………………41
四畳半襖の下張……………………………57
雑草園 其三…………………………………65
新年の雑誌界 其他………………………67
酒汀作の「失恋」上……………………68
新年の雑誌界……………………………69
湖山君の「大学攻撃」を読む…………75
二月の文壇………………………………78
日本人の作は素人臭い…………………82
フランス物語の発売禁止………………87
芸術品と芸術家の任務…………………91
芸術は智識の樹に咲く花也……………95
作品の性質に依り何れにても可也……98
批評について………………………… 100
小説と口絵…………………………… 102
正宗白鳥君…………………………… 104
文学雑感……………………………… 106
文章の調子と色……………………… 108
太陽第3回懸賞募集小説選評 ……… 115
文芸読むがまゝ……………………… 119
久米秀治氏の「その話」…………… 142
増田廉吉君新作「驚き」を読む…… 147
上田博士三周忌……………………… 150
現代文学全集につきて……………… 152
沼波瓊音氏…………………………… 158
上田敏先生…………………………… 160
小波先生と少年文学………………… 162
近代仏蘭西作家一覧………………… 164
拍子木物語 其他……………………… 187
拍子木物語…………………………… 188
歌舞伎座の春狂言…………………… 193
琴古流の尺八………………………… 198
楽屋十二時…………………………… 203
芝居の囃子…………………………… 214
劇界と劇評家………………………… 223
音楽雑談……………………………… 228
自分の見たるロダンの作品………… 232
演芸の趣味…………………………… 233
帝国劇場開場式合評………………… 238
帝国劇場批評………………………… 247
仏蘭西の女優………………………… 250
三人吉三廓初買につきて…………… 254
新書漫評……………………………… 259
繁太夫節拝聴仕候…………………… 262
左団次上演用脚本選後感…………… 263
申訳(第9回自由劇場開演) ……… 267
今様薩摩歌を観る…………………… 269
市川左団次…………………………… 273
帝劇の「旅姿思掛稲」……………… 276
謎帯一寸徳兵衛を観る……………… 279
岡鬼太郎君作昔摸鼠小紋…………… 280
梅暦について………………………… 286
市川左団次追憶座談会……………… 288
断章…………………………………… 293
上海紀行 其他………………………… 295
上海紀行……………………………… 296
涙……………………………………… 304
逗子より……………………………… 305
読書は悪行なり、多く語って少く読め!…… 306
俳優を愛したる乙女に……………… 308
死後の生活…………………………… 311
帰郷雑感……………………………… 314
雅号について………………………… 321
欧米の生活と日本の生活…………… 322
東洋的風土の特色…………………… 327
予と宗教信仰………………………… 330
浅草趣味……………………………… 332
少年時代愛読の雑誌………………… 334
「味」は調和………………………… 336
乗合船………………………………… 340
雅号の由来…………………………… 342
客子暴言……………………………… 343
古本評判記…………………………… 349
花月編輯雑記………………………… 354
独居雑感……………………………… 358
亜米利加の思ひ出…………………… 365
秋草…………………………………… 372
東京風俗ばなし……………………… 375
アンケート……………………………… 391
新年物と文士………………………… 392
注目すべき本年の作品……………… 392
文士と酒、煙草……………………… 393
文士と芝居…………………………… 393
文士とすし、汁粉…………………… 394
小説の地の文の語尾………………… 394
文士と八月…………………………… 395
七月十二日の記……………………… 395
簡易銷夏法…………………………… 396
趣味と好尚…………………………… 398
夏の生活……………………………… 399
浴衣姿の美人に対して……………… 400
若気の過ちとも申す可くや………… 401
余が最も好む土地と花と人と……… 401
夏の旅行地の感想…………………… 402
私の好きな夏の料理………………… 403
私の好きな夏の女姿………………… 403
文部省の所管とせよ………………… 404
余の文章が始めて活字となりし時… 405
興も覚えず…………………………… 405
私が女に生れたら?どう男を遇するか?!…… 406
もし私に子があつたら……………… 407
快活なる運河の都とせよ…………… 408
挿画類題言……………………………… 411
断片……………………………………… 415
西洋音楽最近の傾向 附記………… 416
橡の落葉 添書……………………… 416
紅茶の後(其四) 附記…………… 417
浮世絵 添書………………………… 417
五月闇 ことわりがき……………… 417
二人処女 附記……………………… 418
散柳窓夕栄 挿画…………………… 418
大窪だより 添書…………………… 419
日和下駄 挿絵目録………………… 419
けふこのごろ 添書………………… 421
正誤…………………………………… 421
謹告…………………………………… 422
禾原先生遊学日誌はしがき及び注… 424
序跋其他………………………………… 433
喜怒多集序…………………………… 434
久保田万太郎著小説浅草の跋……… 435
ルバイヤツト序……………………… 438
江戸庵句集序………………………… 439
浅草川船遊之記前書………………… 445
山下八景前書………………………… 446
鳰鳥柳花鈔叙………………………… 447
東京風景版画集叙…………………… 448
雑誌花月発行の辞…………………… 451
詩集昨日の花のはじめに…………… 453
堀口大学著月光とピヱロ叙………… 455
谷中大円寺笠森阿仙碑文…………… 457
谷崎潤一郎著近代情痴集叙………… 458
黒田湖山著小説滑稽の叙…………… 460
浮世絵保存刊行会趣意書…………… 462
山内秋生著春の別離の叙…………… 464
岡鬼太郎著世話狂言集の序………… 465
風流御小道具所開店披露の口上…… 466
堀口大学著青春の焔の叙…………… 467
山彦栄子墓誌………………………… 469
歌舞伎座俳諧雑誌はしかき………… 470
巌谷三一編述綴合亀山縞題言……… 472
市川左団次所蔵蜀山人画像函題…… 475
三世河竹新七脚本全集広告文……… 476
大衆文学全集松本泰集序…………… 477
文学博士上田敏著述全集広告文…… 479
市川松莚養子襲名披露の文(代作)…… 482
雑誌赤本屋第一号題言……………… 484
楽天居小波先生還暦賀詞俳句集序… 485
邦枝完二作小説おせん序…………… 486
川尻清潭著名優芸談序……………… 488
日高基裕著釣する心序……………… 490
種くばり識語………………………… 491
大島隆一著柳北談叢序……………… 492
屠龍の技跋…………………………… 493
木村富子著浅草富士序……………… 494
金秉旭著詩集馬の序………………… 496
南畝先生手蹟帖に題す……………… 497
花柳章太郎著きもの簪序…………… 498
思想才芸まさに円熟………………… 499

縮刷小本牡丹の客はしがき………… 501
荷風傑作鈔跋………………………… 502
モオパッサン序……………………… 503
荷風筆書画帖跋……………………… 504
麻田駒之助氏蔵画軸函題…………… 505
夏すがた題言………………………… 506
荷風文稾はしがき…………………… 507
重印荷風全集叙……………………… 508
永井荷風先生略伝…………………… 510
やどり蟹はしがき…………………… 512
現代日本文学全集永井荷風集序…… 513
つゆのあとさき序…………………… 514
狐につきて…………………………… 516
墨の糟序……………………………… 517
改訂下谷叢話序……………………… 518
夢の女題言…………………………… 519
 東綺譚題言………………………… 520
珊瑚集識語…………………………… 521
杏花余香はしがき…………………… 522
来訪者序……………………………… 523
鎌倉文庫版 東綺譚序……………… 525
日誌につきて………………………… 526
罹災日録序…………………………… 528
荷風日歴序…………………………… 529
日かげの花序………………………… 530
浮沈序………………………………… 531
木版摺かたおもひ序………………… 532
雑草園序……………………………… 533
葛飾土産序…………………………… 534
腕くらべ重刊の序…………………… 535
八木書店版 東綺譚序……………… 536
 東綺譚識語………………………… 537
東都書房版日和下駄序……………… 538
江戸庵句集序 異文………………… 539
*後記……………………………………… 547
 


第27巻 1965.3.30
 
雑纂2
雑草園 其四………………………………… 3
談話………………………………………… 5
アカデミイの内容……………………… 6
遊楽の仏京巴里…………………………11
レニエの詩と小説………………………17
モーレス、バレース……………………21
「姉の妹」の発売禁止…………………25
別に何とも思はなかった………………27
我が思想の変遷…………………………30
巴里の寄席芸人…………………………35
予の二十歳前後…………………………39
昨日午前の日記…………………………42
十七八の頃………………………………43
西洋の劇場………………………………49
明治座の九月狂言………………………56
自己の性情と態度………………………64
明治座の二番目…………………………67
大隅太夫の堀川…………………………70
炉辺にて…………………………………71
見て居て気持が好い……………………75
文士の生活………………………………80
現代と支那趣味…………………………88
新劇と劇場………………………………92
女優に就て………………………………95
鴎外先生のこと…………………………98
脚本検閲問題の批判………………… 103
芝居閑話……………………………… 109
井上唖々君のこと…………………… 115
偏奇館劇話…………………………… 119
歌劇葛飾情話の上演について……… 135
この頃の私…………………………… 139
合評
一夕話……………………………………… 145
摂州合邦辻………………………………… 163
雨夜の曲…………………………………… 190
怪異談牡丹燈篭…………………………… 210
桐一葉……………………………………… 231
妹背山婦女庭訓…………………………… 245
雪暮夜入谷畦道…………………………… 260
由井正雪…………………………………… 274
初開場の南座……………………………… 289
今様薩摩歌………………………………… 309
国性爺合戦………………………………… 328
一年間の総決算…………………………… 341
坂崎出羽守………………………………… 358
御柱………………………………………… 381
第一の世界………………………………… 401
深与三玉兎横櫛…………………………… 424
小田原陣…………………………………… 445
お国と五平………………………………… 459
薩摩櫛……………………………………… 479
雑談………………………………………… 496
二つの新作品(断橋・息子)…………… 509
月佳夏夜話………………………………… 532
*後記……………………………………… 553
 


第28巻 1965.8.14
 
雑纂3
対談・鼎談・座談
偏奇館雑談(永井荷風,邦枝完二) ……… 3
松井千枝子との一問一答録………………… 5
新春懇談会(永井荷風,市川左団次,谷崎潤一郎,嶋中雄作)……14
好日鼎談(永井荷風,谷崎潤一郎,辰野隆)……67
荷風先生とストリップ仲沢清太郎〔司会〕……82
荷風ないしょ話(永井荷風,相磯勝弥) …95
荷風思出草(永井荷風,相磯勝弥) …… 110
映画『女優ナナ』を語る(永井荷風,角田敏夫,石井柳子)…… 188
独身の教え(永井荷風,芦原英了) …… 200
昔の女 今の女(永井荷風,谷崎潤一郎,佐藤観次郎)…… 208
創作ノート・手帖・草稿
創作ノート………………………………… 221
手帖………………………………………… 235
草稿………………………………………… 283
原稿断片………………………………… 284
シンフホニヤ、デル、アサクサ……… 292
花のいろいろ…………………………… 294
裸体……………………………………… 296
養子……………………………………… 297
袖子……………………………………… 306

『耳無草』正誤原稿……………………… 319
いく代勘定書……………………………… 321
荷風文稾第一集後書……………………… 324
為永春水扉書……………………………… 324
荷風全集プラン…………………………… 324
谷口宛領収証……………………………… 327
雑誌「スリル」裁判鑑定書……………… 327
『小説道楽』書入………………………… 328
参考篇
暗面奇観 夜の女界……………………… 333
『夜の女界』書入……………………… 473
海の黄昏…………………………………… 475
荷風小伝…………………………………… 505
「三田文学」抄…………………………… 506
「文明」「花月」抄……………………… 517
聞書………………………………………… 541
漫言冗語(1) ………………………… 542
幽窗清話………………………………… 544
偏奇館漫談3 …………………………… 546
補遺
俳句………………………………………… 551
和歌・狂歌・漢詩………………………… 555
随筆・評論………………………………… 556
江戸錦絵の時価と室内装飾…………… 556
久米秀治君を悼む……………………… 566
ノエル、ヌエット個展推薦文………… 568
アンケート………………………………… 569
好きな土地……………………………… 569
文士と洋行……………………………… 569
序跋其他…………………………………… 571
蜀山人草稾の後に書す………………… 571
断片………………………………………… 572
広告……………………………………… 572
広告……………………………………… 572
求人広告………………………………… 573
書簡………………………………………… 574
*珊瑚集校異……………………………… 585
*後記……………………………………… 679
*索引……………………………………… 698
 


第29巻 1974.6.27
 
拾遺
俳句…………………………………………… 3
和歌…………………………………………… 7
漢詩…………………………………………… 8
アンケート…………………………………… 9
断片……………………………………………10
求職広告……………………………………10
談話……………………………………………11
最近の仏蘭西劇……………………………11
仏蘭西の追懐………………………………17
追憶の甘さ…………………………………21
草稿……………………………………………23
書簡……………………………………………27
続参考篇
下谷のはなし(『下谷叢話』初出)…… 121
杏花余香…………………………………… 285
「葛飾情話」の上演せられるまで……… 351
創作ノート(第28巻所収影印釈文)…… 361
手帖(第28巻所収影印釈文)…………… 375
草稿(第28巻所収影印釈文)…………… 427
左団次自叙伝……………………………… 435
知友書翰集………………………………… 467
*年譜竹盛天雄〔作製〕………………… 567
*著作年表竹盛天雄〔作製〕…………… 619
*書誌竹盛天雄〔作製〕………………… 755
*後記……………………………………… 875
*索引……………………………………… 896











inserted by FC2 system